好きをブチ抜く

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トゥルー・ロマンス 映画感想

 トゥルーロマンスのここがすごい

  • 役者が豪華
  • 愛と自由の見せ方
  • あのタランティーノが脚本
  • ゲイリーオールドマンが海賊に

 

 

 

感想 彼女の笑顔さえあれば...

 

「彼女の笑顔さえあれば…」と言えるような男になってみたい。
少なくとも私は、そう思う。

それほど誰かを大事に思って生きている人は、どんどん少なくなっているようにみえる。もちろん、私自身もその例からもれない。そんな私が、この映画を見てどんなメッセージを受けとるのだろうか。
 
こんな愛の形があるのか、という希望を植え付けられた。これは、私にとって、たしかに「希望」だった。なぜなら、予感を伴った映画体験だったからだ。その方向に進めば、きっと欲しいものがあるな、触れてみたい感覚があるな、と思えた。

では私は、どのような愛に希望を感じたのだろうか。

普段、意識している「愛」には、希望は薄い、ということが自覚できる。これは、愛という「言葉のまやかしさ」のせいだ。たいてい、人は愛という言葉の前に思考停止し、縛られる。そもそも愛という言葉は定義が難しい。言葉にできないものを言葉にしているせいで、その言葉の前で人は考えることをやめる。言葉にただ反応する「パターン」になってしまっている。こういう愛に、私は惹かれない。

では、この映画での愛はどんな現象か。

それは、言葉、損得、理屈を超える、と感じさせた。
これは、 J・ラカンのいう<法>を超える営みのように見える。

そのように、「社会」や「ルール」から、超越する象徴がヒロインのアラバマだろう。とても魅力的な女性だ。全てを包み込むようなあの姿、とても大きい。しかし、これも男の理想という幻想なのかもしれない。けれども文化的、言葉的な押し付けからは徹底的に自由な人にみえる。自分がやりたいように生きる、それを体現しているように見えた。だからこそ最高に綺麗な女性に見えるのだろう。

本当に自由に生きる、ということは人間には難しい。言葉、文化というフレームが染み付いているからだ。しかし、それを超越する何かと一緒になりたい、という動機もある。その一つの方法として、人間の奥深い動機として、愛があるのだろう。こうした営みが存在するということそのものが、人として嬉しい、と感じる。

 

 

 

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