悪魔を見た
悪魔に対峙するには、人間をやめなくてはいけない
「幸せになることは簡単なことなんだ。人を辞めてしまえばいいのさ。」
( 魍魎の匣 京極夏彦 )
このセリフを思い出した。
生まれもっての悪魔と
悪魔になってしまった男。
警察官でもある彼が豹変する。それは、人間は誰しも「悪魔の種」を持っているということを意味する。
しかし、だ。
悪魔になってしまった男は、最後の最後に涙を流す。やっばり、彼は『人間』だということを意味すると思う。私にはそう思えた。
ここでいう『人間』という概念は、とても主観的で感覚的なものだと思う。
この私が思う『人間』って、なんとも言語化しづらい。
チェ・ミンシクの怪演
さてさて、ストーリー的にはツッコミどこ多いかもしれません。
けど、異常殺人者役のチェ・ミンシクの演技で、すべてを持っていかれました。
まさに悪魔です。
もう、凄まじい役への入り込みよう。彼の顔が何度も画面いっぱいに映りますが、とても演技には見えない。迫力。狂気。最高に怖い。
一方、イ・ビョンホンは、時々 T-1000に見えます 笑
殺人者の幸せと我々の幸せは両立するのか?
サイコパスという存在。
人間という「生物」としてのリミッターが外れている。
一般人から見て解せないのは、彼が最高に幸せだということだ。自分の理屈、動機のもと、やりたいことを100パーセントやりきる。これができている人は、一般的には幸せなはずだ。
サイコパス研究の成果により、彼のようなイレギュラー的な存在が、たしかに確認されてきた。そんな中、どう道徳、倫理を組み立てればいいのか。彼らの理屈で動かれたら、私たち一般人はたまったものではない。
教科書に書かれているような道徳感は役に立たないように思える。良い悪いでは割り切れない。人類学、幸福論の成果がどのように道徳を編集していくのだろうか。
filmarksやってます
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