ポイント
こんにちわ、メタといいます。 Follow @kyogoku_meta
- 生存バイアスという概念の適切な使い方って?
- 言葉の思考停止性
- 人格と意見を切り離すことの難しさ
生存バイアスの間違った使い方、誤用を分析してみます。もっと、言葉・論理に敏感になりたい方におすすめな記事です。
- ポイント
- 生存者バイアスについての話題ツイート
- 生存者バイアスとは?
- はあちゅう氏の主張の要約
- なぜ生存者バイアスと言われたのか?
- はあちゅう氏個人へのバイアスのせい?
- 言葉の操り人形にならないために
それでは、考えてみます。
生存者バイアスについての話題ツイート
https://twitter.com/kankimura/status/1046578036773085184
【10/12 追記】元のツイート削除されてしまいました!!!
本記事は、誰かの役には立つかもしれないので残しておきます。問題のツイートの構造は次の通りです。
抜きだしておく。
夢が叶うよ、って言ってくれる大人は少ない。自分の夢が叶わなかったから、人の夢が叶うとも思えないんだと思う。夢を叶えた人は、ちゃんと「夢は叶うよ」って言ってくれる。そういう大人に出会えるかどうかが人生を決める。叶うよって言える大人が増えるといいな。
に対して、下のように引用リツイートされていた。
典型的な生存者バイアスである。
さて、私はこのやり取りに違和感を覚えた。あらためて読んでみて、皆さんはどう感じるだろうか?
私は、はあちゅう氏個人のことをほとんど知らない。今回のツイートのみに焦点を絞り、考えてみる。個人的に生存者バイアスという概念を掴んでおきたい。違和感の正体を探ってみよう。
生存者バイアスとは?
定義を確認できただろうか?
はあちゅう氏の主張の要約
夢が叶った大人は、夢が叶うと言い、叶わなかった大人は、叶わないと言う。
叶えた人と出会えたら、人生に影響あるから、そういう人が増えてほしい。
このように要約できると思う。
さて、主張の真偽については、個人の価値観の範囲の話なのでなんと言えない。しかし、「生存者バイアス」に陥っている箇所があるかどうかについては、言及することができる。
「生存者バイアス」的な誤解は、ここにはない。そう私は思う。
なぜ生存者バイアスと言われたのか?
おそらく、発言の中にあるこの一文に、過剰反応してしまったのではないだろうか。
夢を叶えた人は、ちゃんと「夢は叶うよ」って言ってくれる。
確かに、典型的な生存者バイアスの文に似ている...??しかし、もう一度よく生存者バイアスの定義を確認してみよう。この文は、最終的に生き残った一部のみを見て、謝った判断をしているようには見えない。
なぜ見えないのか。どこが生存者バイアスかそうでないかの基準だろうか。
生存者バイアスかどうかを判別する一番のポイントは、謝った判断をしているかどうか、ではないだろうか?はあちゅう氏の主張は、あくまでも彼女の価値観に基づくものだ。今回の文の場合、文脈を見ても、客観的にその判断が誤っていると決定できる部分は無い。
さらに、生存者バイアスは、ふつう理由として使われる。例えば、「成功者の成功話には認知バイアスがかかっている。だから、鵜呑みにしすぎるのは良くない」などだ。「それは生存者バイアスだ。だから、〇〇だ。」といった使い方になるはず。しかし、今回のツイートは、その〇〇、つまり意見の部分が欠けている。
典型的な生存者バイアスである。
意見をきちんと言うには、生存者バイアスのその中身まで言及する必要がある。その意見の部分の欠如が、バイアスの為の言葉にバイアスをかけてしまうというミスを増やすことになったのではないだろうか。
はあちゅう氏個人へのバイアスのせい?
もう一つの可能性にも思い当たった。人は次のような癖をもつ。
言葉の内容ではなく、その話し手が誰なのかに影響を受けやすい
つまり、今回のツイートを拡散させてしまった人たちは、はあちゅう氏個人にもともと偏見を持っていた可能性が高い。そういう見方もできるのではないだろうか。話者が誰かということに惑わされず、意見は意見として内容を評価すべきだ。私は、なんの前情報もなく偶然このツイートを目にした。だからこそ、違和感を持つことができたのかもしれない。
その他の認知バイアスについてはこちらで考えている。とんでもなく強力。
言葉の操り人形にならないために
今回のツイートはかなり伸びている。これには注意が必要だろう。リプ欄を見ると、他にも違和感を持った人もいるようだ。内容をよく読み、少し考えれば、違和感を持つことができるのではないだろうか?多くの人が「生存者バイアス」という言葉に踊らされてしまった。そう言えるのかもしれない。
言葉が持つ思考停止性は怖い。
こちらでも、言葉や論理について考えています。
言葉に操られるのではなく、自分で考えることがより良い人生につながる。自由に考え、自由を楽しみたい。
本ブログが誰かの役に立てたなら嬉しい。