ここがすごい 知能の物語 中島秀之
- 「知能」とは何なのか、様々なアプローチが紹介される
- ただのAIの技術書では、何かが足りない人にぴったり
- 科学と哲学がぶつかる場所が、知能研究
- 知能を研究してきた歴史を「物語」と見立てる
どうして “物語” なのか?
このタイトルに私は惹かれた。流行りの機械学習という狭い領域だけではなく、知能そのものの研究の外観、流れを知りたかった。いった知能とは何なのか。
著者は、どういう意図で、「物語」という言葉を使用したのだろうか。
それは、まえがきにて語られる。とくに、以下の
人工知能の研究自身が知能に関する物語の生成を目指している
という主張は、非常に面白い視点であり、納得させられた。
今回は、1章の内容について、気になる部分を拾ってみる。
1人工知能の立場
「知能」か、「心」か。
人口知能
知能の解明を目的とする学問分野
知的な振る舞いをするプログラムの構築を目的とする学問分野
認知科学
心(あるいはそれに代表される認知系)の総合的探求
2意識
意識やクオリアの問題は人工知能の文脈で捉えるにはまだ難しすぎる、という。
クオリア論は、科学哲学にもつながる。
意識の扱い方について
- 意識がパターンのシーケンス
シーケンスを飛ばして、次を計算することは不可能
- 意識が複雑系
逐次計算しかできない。
逐次計算をするしか次の状態を知る方法がない。
3知能
木村敏の説 記憶の存在が意識(心)の起源だとしている。
生命進化と知能、身体性について以下の疑問は、大変気になる。
アメーバやミミズは、あらかじめ決められたプログラム(遺伝)を再現しているだけ。
知能の分類は、生存能力に関するものだった。
- それ以外の知能はあるか?
- 身体性を持たない純粋知能のようなものは存在するか?
4考えるということ
「考える」という述語の拡張定義が必要
“機械は考えられるか?” と質問することは、ちょうど “潜水艦は泳げるか?” と質問するようなものだ。 (ダイクストラ)
この指摘のもうひとつの意味。
「泳ぐ」という言葉に相当するか否かとは無関係に潜水艦はその機能を果たしている。
機械も「考える」という言葉とは無関係にその機能を果たしてくれればいい。
人間は機械か?
脳科学者は、知的活動は神経細胞の言葉で記述できる、としがち。
しかし、これは説明のレベルを混同している。
知的活動は神経細胞の働きによって実現されているということと、神経細胞のレベルで説明できるということは別。
人工知能についても、概念定義が重要であり、哲学が顔を出すというのが面白い。そうなると、カテゴリーミステイクもつきまとい、科学、哲学双方をじっくりと考えることが必要になる。
カテゴリーミステイクについては以下の本が詳しい。
心と脳の関係について、陥りがちなミスについて説明がわかりやすい。
5考える機械に向けて
人間が機械であることと、考える機械が作れるということは別。以下のような困難がある。
- 考える機構が不明
- 機械には、意識、目的意識がない
- 機械は、入出力が貧弱。人は、"積極的に外界に働きかけ、その変化を観察する"
意識という言葉も拡張が必要
機械に適用するなら、
意識=自分の思考に関する思考=メタレベルの思考
知能には周りの環境認識が重要
「思考」を持つ機械は、ロボットのような自立行動系でないと実現できないかもしれない
6人工知能研究者の知能観
3つの立場 知能の本質は?
- 知能の本質は記号処理にある 知識の表現と推論が中心
- 知能の本質は環境認識にある 環境の生データを記号に分類することが知能の本質。
- 知能の本質は環境との相互作用にある 知的システムの内部の機構だけではダメ。外界との境界分けは無意味、あるいは不可能。環境を含む系、環境とシステムの相互作用の中に知能の本質を見る。
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