記事の内容
「科学とはなにか」をより考えるためのヒントになる本を紹介したい。
現代の科学技術に囲まれて生きる私たちにとって、科学とはなにかをつかんでおくことは重要である。
マイナスイオンなど、「科学っぽい」情報や商品も多い。それらを信じてしまっていいのだろうか?
何が科学で科学でないのかは、私たち素人が見分けるのはとても難しい。だからこそ、いつまでたっても「疑似科学やニセ科学」が流行してしまうのだ。
医療や健康食品など、まさに生活に欠かせない話題も多い。そこで、疑似科学に騙されてしまっては、大きな損失になる。
この記事では、科学とは何かを考えるためのヒントを提供できればと思う。『もうダマされないための科学講義』という本からまとめさせてもらう。
もうダマされないための「科学」講義
科学とはなにか?
科学と科学でないものの間は?
科学不信はなぜ生まれるのか?
科学を報じるメディアの問題とは?
科学を上手に使うには?
----学校が教えてくれない科学的な考え方を、稀代の論客たちが講義形式でわかりやすく解説。3・11以降の科学に対するモヤモヤがきれいになくなる一冊。
科学とそうでないもの
科学と非科学の間に、明快な線引きはない。
グレーゾーンがある。だから、科学と非科学に違いはない。こういった「強い相対主義」といえる立場はとらない。
区別のつかない領域があったとしても、はっきりと区別できる両端はあるはずです。
グレーがあっても、黒と白の区別はつく。
こうした現実的な態度を著者はとっている。
ニセ科学、疑似科学は、オカルトなどと違い、科学のふりをしている点で注意が必要である。
特徴が何点か挙げられている。
・人々の希望を叶えるために科学が使われている
・科学はイエスかノーで答えてくれないのに、白黒で答えを言ってくれる
疑似科学を生む人間心理
人間は、理解と納得が異なる生き物であることに注意。
著者は、疑似科学を信じている人々に納得してもらうことの難しさを痛感しているのだという。
「理屈がわかれば、不安は感じないはずだ」と考えるのは間違い。
納得するということは個人の気持ちの問題である。そこまで、科学による理解は届かないことが多い。
ここには、本当に注意が必要だと思う。人間は感情の生き物だということを忘れてはいけない。
科学の拡大
・ローカルな知
ある特定の領域で用いることのできる、経験知。一方、科学は体系的で普遍的な知を求める。このローカルな知は、科学のモード2という場面において、つまり、社会での応用面において、重要な要素になる。
自然との暮らしの中で蓄えられた伝統的な慣習、方法論などが例だろう。科学的に検証されたわけではないが、長年うまくいくことが確かめられてきた。
・科学のモード1
従来の科学のイメージそのまま。
・科学のモード2
社会での問題解決にいかに役に立つのか。真理探究とは違う。
ポパーの反省可能性という条件だけでは、不十分。これは、科学の歴史を見てみると分かる。科学は多様すぎて、一つの基準で分けられない。
科学のモード2が、社会で発展している今だからこそ、この線引き問題は重要。
科学の定義
・内容ではなく、態度で判断
同じ主張が、科学よりになったり、疑似科学よりになったりすることがある。ある主張がどういう態度をとってきたのか、に注目するべき。
著者がいう科学の定義は以下のとおりだ。
以下の所与の条件の下で、もっとも信頼できる手法を用いて情報を生産するような集団的知的営み
a)その探究の目的に由来する制約
b)その研究対象についての現在利用可能な研究手法に由来する制約
もっとも信頼できる方法を使うということが軸。そしてその方法は、目的次第で変わるということが重要。
問題解決という目的か、真理探究という目的なのか。
信頼性を高めるための手段が存在するのに、それを利用していないのが疑似科学。
逆に、1番信用できる方法がローカルな知である場合には、それをしっかり導入するのが科学になる。
この視点が個人的に新しかった!!
科学を論じるためには、科学の「目的」と「信頼性のある方法」がポイントになることがわかった。たしかに、その他の科学哲学の本を読んでいても、最終的には科学の目的論にたどり着くことが多い。もちろん、方法論についても、まさに哲学的に緻密な議論が繰り広げられる。演繹法や帰納法の是非などだ。しかし、本書はローカルな知の重要性も訴えている。たしかに、すでに科学は社会を排除できない。社会の中で生きているものこそ、科学である。科学の定義に、ローカルな知の使用も想定に入っているというのは大事な視点だと感じた。勉強になる。
ぜひくわしくは本書へと進んでみてほしい。
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