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映画マーシュランド【ネタバレ考察】ラストの意味は?真犯人は誰か?

記事の内容

今回の記事では、映画「マーシュランド」のネタバレ考察をしていきます。

 

サスペンスミステリーとして評価が高い今作。陰鬱な雰囲気と謎がうまく絡み合う、上質な映画でした。

 

この映画の最大の謎は、やはり、ラストでしょう。みなさんも、いろいろな考察記事をよんでいることと思います。

 

それでは、オチの考察をしていきます。気になる方は是非読んでみてください。

 

 

 

 

マーシュランド あらすじ

 

 

 

独裁政治の爪あとがいまだ残る1980年スペイン・アンダルシア地方。湿地帯の小さな田舎町で祭りの最中、二人の少女が行方不明となり、やがて死体で発見される。彼女たちは強姦され、凄惨な拷問をうけ、そして殺されていた。事件の捜査を担当するのは、首都マドリードから左遷されてきた若く血気盛んな刑事ペドロと、ベテランのフアン。ほどなく二人は、過去にも同様の少女失踪事件が起こっていることを突き止める。しかし、捜査を進めていくうちに明らかになる、貧困、差別、汚職、小児性愛に麻薬密売。小さな町にはびこる幾多の悪意が刑事たちの行く手をはばもうとする。そんな中また一人、少女が姿を消す。タイムリミットはわずか。二人は少女の命を救い、事件の全貌を暴くことができるのか?

filmarksより

 

 

マーシュランドとは、「湿地帯」という意味である。タイトルの通り、じめじめとしていてはっきりしない。

 

犯人が見つかり、すべてが解決化に見えた。しかし、この映画のラストに、ある新事実は浮き彫りになる。

 

それをどう解釈するかで、この映画の結末が変わると思う。

 

それでは、いくつかの視点から、このラストについて考察してみる。

 

 

 

 

 

フアンとペドロ

 

この映画では、時代背景をつかむことが重要になる。独裁政治が終わったものの、社会にはまだまだその爪痕が残っている。

 

そんな時代の雰囲気を反映している事件であった。田舎の少女たちの生きづらさが事件の背景にはある。

 

さて、フアンという男についても、ラストに衝撃的な事実が明らかになる。彼は、もともと独裁政権側で猛威をふるった人間だったのだ。デモの参加者など、数百人を拷問していた。

 

そして、事件のカギを担っていたあの写真についても新事実がわかる。写真に写っている男の顔は分からないものの、その男の腕には腕時計があった。その時計は、フアンのものと同じなのだった。

 

そんあフアンへの疑惑を、ペドロは胸の内にしまう。

 

 

 

 

フアン真犯人説

フアンが真犯人なのでは、ということを示唆してこの映画は終わる。しかし、はっきりとした言明はされていない。いくつかの伏線を見直してみたい。

 

フアンについては、血尿、病気など、回収されていない伏線も多い。

 

 

占い師の女のセリフ

「あなたのことは見たわ。死体があなたを待っているわ」

 

これは、殺した犯人のことを言っているのか。それとも、死体を発見することを示しているのか。この発言だけからは決めることができない。フアン真犯人説としては、決定打に欠ける。

 

 

 

拷問のプロと腕時計

やはり、この点がもっとも有力な根拠になるのではないか。

 

なぜならば、被害者の女の子たちが拷問される理由が分からなかったからだ。とくに、理由がないということは、「拷問するのが好き」ということになる。この人物像にあてはまる存在として、フアンが挙がる。だからこそ、彼の過去に触れるような伏線が序盤から残されていたのだろう。

 

 

 

 

コラレスが真犯人説

もう一人怪しいのが、同じく時計をしているコラレスだ。彼は、町の有力者ということもあり、警察から情報をもらえるほどである。彼のような権力がある人間ならば、今回のような舞台を整えることは容易だろう。それに、もし末端であるキニとのつながりが見つかりそうになっても、もみ消すこともできそうだ。

 

しかし、彼については情報が少なすぎる。

 

ここで、もう少し、邪推してみよう。最後に出てきた情報は、フアンを陥れる罠だったのではないか。つまり、その情報は、フアンを陥れるための嘘なのだ。観客と操作をミスリードするための、コラレスの策略だったのではないだろうか。

 

けれど、これは推論が飛びすぎているように感じる。監督の意図ではないように思う。

 

 

 

 

 

俯瞰のイメージと鳥

今作では、たびたび俯瞰から見ているカットが挿入されている。そして、「鳥」もたびたび登場する。

 

これは、鳥から見た視点を意識しているのだろう。上から、第三者としてこの物語を眺める。この映画のラストシーンも俯瞰のカットだ。

 

これは何を意味するのだろう?

 

上から俯瞰してみれば、何通りかの解釈ができるよ、ということなのかもしれない。すなわち、一つの真実ではなく、解釈の多様性こそ、この映画の行き着くところなのだと思う。ここに、監督の伝えたいことがあるのではないか。

 

 

皆さんはどう感じただろうか?

 

 

 

 

 

 

 

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