記事の内容
お笑い芸人オードーリーの若林さんが、とても面白いことを言っていました。
お笑い、常識、価値観、がテーマです。
彼の発言を紹介しつつ、自分なりに深掘りしてみます。
お笑い好きな方にも、お笑いが嫌いな方にも、何か得られるような記事にできれば、と思います。
それでは、目次をご覧ください。
多様性とツッコミは相性が悪い
2019年12月28日のオードリーのオールナイトニッポンでの若林さんの発言をまとめさせてもらう。一部、要約している。
多様性とツッコミは相性が悪い
常識が強い時代の方が、ツッコミが強くなる
ツッコミは指摘や否定。多様性を受け入れることと相性が悪い。
俺は多様性を尊重するレギュラー番組が多い。
だから、ツッコミが難しい。
焼き鳥しか食べない人に、焼き鳥だけかよ!とツッコミができない気がしている。本当にそれを指摘できるのは、医者だけだろう(笑)「いや、栄養バランス悪いな!」と。
けれど、いまは生き方としてバラバラになってきている。
だから、多様性を認めつつのツッコミを成り立たせたペコバの漫才に感動した。
お笑い芸人のなかでこうした視点もっているところに、好感をもてる。
ツッコミの負の側面
お笑いの負の効果が見えている。
ツッコミということの性質をもう少し考えてみよう。若林さんも言うように、ツッコミには指摘や否定の要素がある。
そもそもこうしたマイナスの方向をもつのに、それがお笑いになるとは、ツッコミということの凄さに驚かされる。あらためて、おもしろいツッコミというのは、よくできているな、と感じる。
しかし、「おもしろさ」という要素を取っ払ってしまえば、そこにあるのは「否定」である。そこでは、何を否定しているのか、という点が重要だ。
概して、否定するのはだれかのパーソナルな部分だ。
逆に、パーソナルな部分でないものとは、例えば、意見、主張だろう。
原発には、こういった理由で反対だ。こうした意見なら、論理的に考えを述べることで賛成、否定することができる。
しかし、お笑い芸人がしているツッコミはこういう種類のものだろうか?先ほども言ったように、パーソナルなことが多いと思う。
いいかえれば、個人の価値観である。
だから、そういった個人の価値観を安易に否定することに、若林さんは違和感を感じ始めているのだろう。
そもそも、お笑いが嫌いな人も、もちろんいる。
お笑いが持つ価値観の否定という側面に、なんとなく違和感を感じているのかもしれない。(私は基本的にお笑いが好きなので、あくまでも想像である)
お笑いと常識
お笑いで用いられるルールは、常識と関係しているとおもう。
どんなことが面白いのか、これは一般的に決まっている。常識の一部なのだろう。
だから、国が異なり常識が違えば、何が面白いのかも異なる。
そして、もうひとつ見逃せないのが、「一般的」という点だ。全員が必ず、面白いと感じるお笑いはない。大体の人がそう思うこと、これが常識の定義である。だから、必ず例外がある。
お笑いのルールの前に、人間社会がある。つまり、人間社会が変われば、お笑いも変わる。
現在は、よくいわれるように常識がどんどん変化していっている時代である。
そこでの特徴は、一言でいうならこうだ。価値観の多様化である。
なにを面白いと感じるのか、これもどんどんばらけていくだろう。
だから、これまでのようなお笑いのツッコミで、笑ってくれる人の数も少なくなる。違和感を感じるひとが増えるからだ。
今後のお笑いのルールはどうなっていくのか?
これまでも、一部のお笑いにたいして、全然面白くない、それって虐めじゃん、など批判の声もあった。
事実、いじりと虐めの境界はあいまいだ。
今後は、こうしたいろいろな声がさらに増えていく。
お笑いという文化はどうなっていくのだろうか。
個人的に、日本のお笑い文化はとてもすごいと思う。だからこそ、さらに成熟していくべきだ。つまり、いろいろな声を包摂しつつ、まさに多様なお笑いに進化していってほしい。
そもそも、批判はゼロにはならないのだから。
だからこそ、一線で活躍しているお笑い芸人の方が、お笑いをどう感じているのか、もっと聞いてみたい。今回の若林さんのように、問題提起のような動きも、またいいお笑いの進化につながっていくのだと思う。
若林さんは、エッセイも出版している。まだ読んだことはないので、手に取ってみたい。
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