記事の内容
森博嗣のWWシリーズの最新作が出ましたね。
「神はいつ問われるのか」というタイトルです。
さっそく読んだので、ネタバレ・感想をまとめていきたいと思います。
タイトルの通り、「神」について思考される小説です。Wシリーズからの流れのなかでも、とくに哲学ぽさが出ている作品でした。
それでは、見どころ、そして個人的な解釈をまとめていきたいと思います。
まだ読んでいない方はネタバレに注意です。
あらすじ
内容紹介
アリス・ワールドという仮想空間で起きた突然のシステムダウン。ヴァーチャルに依存する利用者たちは、強制ログアウト後、自殺を図ったり、躰に不調を訴えたりと、社会問題に発展する。 仮想空間を司る人工知能との対話者として選ばれたグアトは、パートナのロジと共に仮想空間へ赴く。そこで彼らを待っていたのは、熊のぬいぐるみを手にしたアリスという名の少女だった。amazonより
ネタバレ・感想
グアトとロジはアリス・ワールドの創造主たる存在と会話していく。
もちろん、アリスワールドという仮想空間の中でだ。
ここでは、その空間の創造主のことを「クマさん」と呼んでいる。なぜこの世界を突然システムダウンさせたのか、とグアトは問う。これは、人工知能らしくない思考だ、と。
キリスト教になぞらえた終末観のイメージを見せるなど、やはり自身を「神」になぞらえている様子のクマさん。
現実と「神」との関係に関する考察がすすむ。
そんな中、現実世界においても、アリスから接触がある。彼女の要求は、アリス・ワールドのシステムそのものを亡命させるのを手伝ってほしいというもの。そのために、現実世界にある基盤を運搬する作業をグアトとロジに手伝ってほしいと依頼する。
変実世界で、とある人物のところまで、基盤を運搬するグアトたち。その人物こそ、アリス・ワールドを構築した人物だった。亡命したかったのは、彼だったのだ。
ここで、アリス・ワールドというシステムが自律して亡命したかったのではなく、その創造主たる人間の都合だったことが明らかになる。その作戦に、実はロジは最初から協力していたのだ。
ずっと、グアトとロジ二人の旅だったため、二人の関係はより進展したよう。ロジの意外な一面が見えてくる。グアトはこの旅で、現実と仮想のみわけがつかなくなるような、ちょっとした混乱があった。その混乱の原因こそ、ロジの意外な人間性によるものだったことが分かる。ここが今作の一番のミステリーかもしれない。
宗教の経典のような目次
さて、本書は以下のような目次からなる。まるで宗教の経典のようだ。
楽園はいつ消えるのか?
人はいつ絶滅するのか?
世界はいつ消滅するのか?
神はそれらよりもさきか?
この章のタイトルを内容から解釈してみたい。(あくまでも、個人的に考えたことになる。)
世界の消滅
ヴァーチャルのシステムダウンで、大勢が自殺に追い込まれたことは、ヴァーチャルの膨張ではなく、リアルの縮小に起因している。
とてもおもしろい視点だとおもう。すでに人類は、身のまわりの社会だけでなく、SNSという仮想空間にいる。そして、その盛り上がりを見ればわかるように、リアルの世界だけでは満足できていない。
テクノロジーが進めば進むほど、社会は発展する。しかし、人々の心の豊かさはどうなるだろうか?
システムによってつくられた仮想世界のほうが、よっぽど充実したものになることは想像できる。
なぜなら、現実の乏しさが際立ってきたのだ。テクノロジーの発展は、現実社会よりも、仮想空間の充実さを加速させる。
現雑世界の乏しさ。そして、仮想空間の単調さ、発展の停滞。
この状態こそ、世界の消滅といえるのではないか?
知性
人類と人工知能の共通点として、「知性」というものがある。知性を純粋にもとめる人工知能が作り出す社会は、どのようになっていくのだろうか?
「発展の停滞こそが、知的活動の死であり、あらゆる知性の自滅を招く元凶といえます。恐れているのではなく、ポテンシャルを失うことを、知性は嫌うもの」
一方、人間の知性は不純すぎる。さまざまなものが混ざりすぎているのだ。(ここが人間のいいところでもあるのだが)
人工知能なら、知性の発展のためにあらゆる選択肢を試すことができる。その奥義こそ、今回のような「システムダウン」だったのではないか。
人工知能にとっての終末観と、人間にとっての終末観はどのように異なるだろうか??
そこでキー概念になるのが、「神」だろう。
神と人工知能
神は、人間が絶滅したら、自身の存在も消えることを知っているのだ。 神は、人を作ったかもしれないが、それは自身の存在を確かめるためだっただろう。神は、人間の意識が作るものだからだ。
神は、人間の意識によって作られる。
それならば、「問われる」とは、「存在を要請される」ことと同義なのではないか?
つまり、問う必要があるから、神をつくりだしたのだ。
人工知能と人の違いとは、「神が必要かどうか」なのかもしれない。今作では、人工知能も神という言葉を使っているが、それはグアトやロジ、つまり人にわかりやすく説明するためにすぎない。
分析哲学における「存在」を思い出した。
「存在するとは、変項の値になることだ」との考えには、重要な言語論的転回が含まれています。量化表現から離れたところに「実際にあるもの」などはなく、また、言語と無関係な「実際にあるもの」の探究もありえないのです。
そして、人間と神の関係について、本作の次の言葉が印象的だ。
世界を消すよりも、さきに自分が消えようと考える神、それが人間だ。
この言葉からわかるように、神=人間なのだ。だから、生物として、存在としてパラダイムが異なる人工知能にとっては、神はいらない。
人は神を問う。しかし、人工知能は神を問わない。
ここで、人工知能について二つの方向性を確認したい。
A 人に近づく
B 純粋に知性を発展させる
この二つは、完全に排反ではなく、やや混ざっているかもしれない。ただ、Aの方向性を進むとき、人工知能においても、神が問われるようになるのかもしれない。
このようなテーマを本書からは感じた。
気になったかたは、ぜひ本書へ進んでみてほしい。
シリーズ第一作はこちら。
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