記事の問いと内容
今回の記事では、ドクターストーンというアニメのとあるセリフを紹介したい。
このアニメは、謎の石化現象によって、全人類が石化してしまった地球が舞台だ。何千年もの後に石化から解けた主人公千空だったが、人類の科学文明はとっくに滅びてしまっていた。
無類の「科学好き」の千空が、石化の謎をとき、文明を取り戻そうとする物語だ。とてもスケールが大きい。そして、なによりも人類が生み出した「科学」という知恵をフル活用していくところが熱い。科学をあつかうため、大人から子供まで楽しめる作品だと思う。
さて、本作では、主人公が語る「科学とは何か?」がとてもよかった。なぜなら、科学というものの面白さが表れているからだ。
この記事では、その言葉を紹介し、「科学」というものについてもう少し考えてみたい。
ドクターストーン 名言 科学とは?
作中から、引用させてもらう。
「科学では分からないこともある、じゃねえ」
「分からないことにルールを探す。このくっそ地道な努力を、科学って呼んでるだけだ」
科学とはなにか?という問いに、科学という概念の定義を与えようとするのではなく、人の姿勢のこととして答えているところがいい。
地道な努力。これこそ、とても人間らしいとおもう。
科学を決まりきったつまらないものとする。このような非人間的なイメージとは真逆だ。
「科学ではわからないこともある」という発言の意図
この発言はよく見られる。それに、意味としては正しい。
この発言の意図について、2通りの場合を考えてみたい。
自分が信じたいものだけ信じる
一般の人が言う「科学ではわからないこともある」という言葉には、「思考停止」が含まれているようだ。
なぜ人は思考停止してしまうのだろうか?いろいろな原因があると思うが、人は自分が信じたいものを信じたいのだ。その場合、「考える」ということはむしろ、邪魔になってしまう。自分が信じていることの絶対性を守りたい。つまり、その人にとって科学は敵になる、
この意味の場合、その主張を好きにはなれない。なぜなら、科学を一方的に否定、遮断しようとする意図があるように聞こえるからだ。つまり、「科学という営み」を分かろうとしていない。
わからないことに対して、科学的な態度でアプローチしてみる。その結果、まだ答えがわからない。あきらめるのではなく、また考えてみる。この過程は、思考停止などではなく考え続けることだ。これこそが、科学的な態度だとおもう。
科学の性質上難しい
科学という方法論の都合上、アプローチしにくい問題はたしかにある。これは、科学の原理の話である。
誰がやっても同じ結果になるような普遍性を科学は目指す。そこには、個人の主観などが入ってはいけないのだ。
ほかにも、科学の限界といわれるように、さまざまな科学の範囲がありうる。しかし、科学の原理を追い求めてしまうと、科学の定義の話になってしまう。こうなると、科学そのものを考える「科学哲学」という学問があるように、科学への批判は増え、科学の定義も議論が必要になる。
ざっくりと、科学という方法論では、アプローチしにくい問題があるということだけでも覚えておくべきだろう。この文脈での「科学ではわからないこともある」という発言は、とてもまっとうだとおもう。
まっとうな主張の分、それはさらなる思考を促す。つまり、「科学とはなにか?」という議論を深めていくことにつながり、科学もまた進歩していくはずだ。
科学的な姿勢
分からないものに出会ったとき、あなたはどうするのか?
人類は、分からないものに、ずっと立ち向かってきた。その中でとられたたくさんの方法のなかで、もっとも成功したものが科学なだけである。現状、もっとも信頼度が高いのである。
しかし、科学の定義を考えようとすると、いろいろと難しい。科学の根本的な方法である演繹法と帰納法すら、大きな欠陥があるのだ。だからこそ、科学哲学では様々な議論が続いている。
現在の教科書では、科学というものを、個人から引き離しすぎている気がする。つまり、すでに完成された科学が上から降ってくるように感じてしまうのだ。そうではなく、科学とは私たち人間が日々行っている探求、工夫、試行錯誤そのものである。とても血が通っているものだ。まさに人間らしい営みだと思う。
今回のDr.ストーンの場合、科学とはなにか?という問いに、科学という概念の定義を与えようとするのではなく、人の姿勢のこととして答えるところがいい。
私の経験上、多くの自然科学者も、科学とは態度、姿勢のことだ、と答えることが多かったように思う。
このように熱い科学物語をぜひ読んでみてほしい。
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