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【教育の弊害?】 大人よりも子どもの方が正しい 本質を見抜く子供たち

記事の内容

今回は、子ども、教育についての記事です。

 

「子どもの方が本質を見抜いている」

 

このように感じたことがある人はいないでしょうか?

 

このテーマに関係のある本質的で、面白いアイデアに触れることができました。

 

今回の記事では、そのテーマについて考えてみます。それでは、目次をご覧ください。

 

 

 

 

 

現代教育への批判

 

堀江貴文氏が語る教育論についての次の動画の中で、このアイデアは登場する。その部分を引用したい。

www.youtube.com

 

 

子どもの方が先進的。

 

子どもがつまらないことは、本当につまらない。

 

子どもがやっていることは正しい。

 

 

この言葉にピンとくる人はいるだろうか?そんな人は、日々感じている感覚が言語化できたのだと思う。

大人が見失っているある大切な視点が見えてくるはずだ。

 

 

彼の教育論への考え方は、次のような本がいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

「本質」を見抜く力

 

「こどもがやっていることは正しい」

 

この言葉の意味を、自分なりに考えてみたい。

 

子どもと対比して、大人の特徴を考えてみよう。一番大きな特徴は、常識によって思考停止していることではないだろうか?

 

成長すればするほど、常識というフレームで物事を考えるようになる。つまり、そのフレームに頼りっきりになり、自分で考える力を失ってしまうのだ。

 

一方、子どもは日々新しいことに触れている。その中で彼らは、常識には頼っていない。余計なものに加工されていないから、より本質に近づけるのではないだろうか?

 

実際に、こどもが発する疑問は、時にとても鋭いことがある。

 

常識による思考停止がない分、ストレートなのだ。いいかえれば、本質をつかむ力があるということでもある。子どもはもともと本質をつかむ力を持っている。なぜならば、そうすることが人間の生存上有利だったからではないだろうか?だから、本能はその機能を有している。

 

大人たちが使っている常識というフレームは、そもそも本質をつかむために作られていない。だから、そのフレームに頼れば、本質を見抜く思考は、邪魔されてしまう。

 

 

 

 

 

同調ゲーム

しかし、成長するにつれて別の生存原理に巻き込まれてしまう。それは、みんなに合わせるというゲームである。

 

そこでは、生きるためにみんなと同じことをする必要がある。だから、その中で機能する「常識」というフレームに染まるしかないのだ。そうしなければ、生きるのに不利になるからだ。ここまでの話をきいて、真っ先に「学校」という空間が浮かぶのではないだろうか。

 

そこでは、教育という名のもと、思考停止が進められてしまう。

 

「自分」を出すのではなく、みんなと同じになることが求められてしまう。

 

よって、自分の本能のもと、自分の問いを発していた主体は、どんどん弱くなっていく。その結果、思考停止した「大人」へと、どんどん近づいてしまうのだ。

 

 

 

 

 

結局、考える力

 

教育とは、知識を与えること。

 

しかし、知識には弊害もある。知識があれば、それ以上のことを考えることをやめてしまう。疑問を持つことをやめてしまう。

 

知識の前に、その知識を使役できる「主体」が大事だと思う。

 

主体を大事にすれば、自然と様々な疑問が出てくるはずだ。なぜならば、生きる必要があるからだ。それを、子どもたちは自然にやっているのだろう。

 

一方、大人たちは、固まったフレームの中で生きている。日々の生活に疑問を持って生きるということは、より楽しく生きることにつながるはずだ。思考停止さは、楽しさとは真逆にあると思う。

 

 

 

 

 

教養

しかし、一度、知識をいれてしまえば、もう後戻りはできない。それならば、どうやって自由になればいいだろうか?

 

知識は知識で壊せばいい。

 

知識をアップデートし続けることは楽しい。そこには、主体的な思考があるからだ。そこでは、主体と知識が溶け合い、考えることが楽しくなる。そこで役立つのが、教養だと思う。

 

「教養とは自分がわかることだ」と、私は定義したい。「主体」というものを重要視している。

 

詳しくは、次の記事を見てみてほしい。

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楽しそうな子ども

子どもたちは、本当に生きることを楽しんでいるように見える。そこに、私たち大人も人生を楽しみ切るヒントがあるように見える。

 

そこからのヒントも、やはり、他者による思考停止ではなく、ありありとした主体性だと思う。なぜならば、「楽しさ」とは与えられるものではなく、自分で創るものだと思うからだ。

 

次の記事が大きなヒントになると思う。ぜひ読んでみてほしい。 

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