知的生産において見落とされている点
「知的生産ってなんだろう?」
「圧倒的に生産性のある人って?」
こうした疑問をもっている人も多いと思います。
今回の記事では、『イシューから始めよ』という本を参考に、そんな問いを掘り下げます。
ビジネス本としては、圧倒的に有名な一冊ですよね。
この記事を読み終えると、「知的生産において一番重要なこと」がわかるはずです。それは、あなたの全ての思考とアウトプットを変えてくれるでしょう。
- 知的生産において見落とされている点
- イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」
- イシューを見極める!!!
- 良いイシューの条件
- So What?(だから何?)を繰り返す
- 考えると悩むの違い
- 表層的な論理思考に陥っていないか
- 関連記事
- まとめ
イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」
著者である安宅和人氏のTEDの動画がこちら。この動画を見ると、彼の分析力の凄さがわかる。本質的で、解く必要のあるイシューが掲示されている。本と一緒に、ぜひ見て欲しい。
イシューを見極める!!!
知的生産の本質、その答えはシンプルだ。
「何に答えを出す必要があるのか」を見極めることから始める。
これを、イシューから始める、という。
一般的には、「問題を解く」ことが重要だと思われがちだ。
しかし、問題を見極めることの方が優先なのだ。これがこの本の主張の核である。そして、圧倒的に生産性が高い人物の特徴だ。
そして、本当に質の高い仕事は、「イシュー度の高さ✖️解の質」の両方が必要になる。
逆に、がむしゃらにただやってみるだけという方法は、根性論だとして推奨されない。
自分の言葉で言い換えてみたい。
イシューから始めるって、結局、どんなこと?
本質を見極めることから始める、ということだと思う。
あくなき、本質への探究の姿勢。
では、本質とはなに?
最も大事なこと、核心。(ただの言い換えで、説明になっていないか笑)
良いイシューの条件
本質的な選択肢である
まずは大きな分岐点を見極めることが大切。
深い仮説がある
常識を否定し、新しい構造で説明できないか。
答えを出せる
既存の手法、アプローチで答えを出せるかどうか。
So What?(だから何?)を繰り返す
良いイシューを見極めるための方法が、いくつか紹介されている。その中の一つが、「So what?」である。
自分が立てた仮説に対して、「だから何?」をくりかえしていく。そうしていくことで、浅く、ざっくりとしていた考えが、細かく深いレベルに変化していく。そうすると、曖昧な表現だったものが、細部まで定義された言葉で置き換えられることになる。
このアプローチは、「深く考えること」に有効だ。
普段私たちが使う言葉は、当たり前なこと、常識のレベルに支配されている。だから、その状態で使う言葉たちをもとにした発言には、思考がないのだ。
たとえば、「毎日7時に起きているよ。」などには、思考・考えがない。これと同じように、普段の私たちのちょっとした考え・意見・仮説もパターンになっている。そこには考えるという作業がみえない。よくよく考えてみれば、それら言葉は意味が曖昧なものが多い。もっと考えることができるものばかりだ。
言葉で思考停止してはいけない。
この日常のパターンを破れ、とガクトも強調している。
本質的に深い分析をするためには、言葉の意味を厳密にしていく必要がある。そうすることで初めて、言葉に対応した現象の構造を見つけることができる。そうした掘り下げる過程に、シンプルに役立つのが「だから何?」というツッコミなのだろう。
考えると悩むの違い
悩む=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるふり」をすること
考える=「答えが出る」という前提をもとに、建設的に考えを組み立てること
メインテーマとはそれるが、この視点はとても深い。私自身、これに気がついてから思考法が変化したと思う。
答えを出せるのか出せないのかがポイントになる。たしかに悩んでいる時は、答えが出せない状態で、ぐるぐると同じことを考え続けてしまっている。考えても考えても答えが出ないことに、浸ってしまっている。無駄なループを繰り返すのは生産的ではない。
悩むのはやめて、答えが出せることを考える。
とにかく、「今悩んでいるな」と感じたならば、その時点でやめたほうがいい。だからこそ、「悩んでいるのか」、「本当に自分は考えられているのか」のどちらなのかを見極めるためにも訓練が必要だ。論理的思考のフレームワークや、本書が掲示する「イシュー」の考え方など、とても参考になるはずだ。
表層的な論理思考に陥っていないか
著者は、浅い論理的な思考だけではなく、一次情報に触れることの重要性を訴えている。
さらに、強調しているのが「自分なりに感じる」ことなのが面白い。「自分だけの視点」という言い方もしている。自分独自の感性をつかみ、自分の言葉で考えよ、ということなのだろう。
これには、私はとても共感できる。たしかに論理的に思考することは大切だが、論理や言葉は本来自分にとって他者なのだ。そこで使われる言葉たちは、自分のものではない。自分独自の、自分の身体的な感覚から形成される言葉を「自分ごと」と呼ぶ研究者もいる。この本の著者も指摘しているのは、まさにこの「自分ごと」の欠如ではないだろうか?なぜなら、論理的思考だけならば、ほとんどの人の間で差はなくなってしまうからだ。
「自分ごと」については、次の記事で詳しく書いている。
関連記事
まとめ
・まずは「イシュー」から始める
・「考える」と「悩む」は違う