就活、そして生き方
「もっと自分にある仕事あるんじゃ...」
「就活作法には飽き飽きしてきた...」
仕事と人生、就活生だけではなく、社会人のみなが悩んでいるテーマだろう。
今回の記事では、社会学者宮台真司さんの本を参考に、これらテーマを考えたい。
今回の記事を読み終えると、自分の人生の上で、どう仕事を選択していけばいいかわかるはずだ。そして、どう成長していけばいいのかのヒントがもらえる。
就活を通して、自分の人生をしっかりと考えたくなってくるはずだ!!
宮台教授の就活原論
マニュアル的な就活本とは、全く違う本。いくつかのテーマをまとめたい。
選択肢が多いほどいいというわけではない
現在、選択肢のための情報がたくさんある。そのため、もっと自分にあう仕事があるはずだ、というスパイラルに終わりが見えなくなってしまう。
ニーズに応じて選択肢が掲示されるから学生の適職幻想があおられる
適職幻想は確かにある。就活生は、皆これにとらわれてしまうのではないだろうか?
最終目標
では、どうやって進路を決めればいいのか?
自分の最終的な目標から自分の道を決めよ、という。
大学生の時間は、最終目的に紐付けられた優先順位を手にするための試行錯誤のために使うべきです。就職時点で優先順位がまだわからないのでは、手段的行為に勤しむ喜びも、手段的行為としての相対化も、利用できないということです。
その自分の最終目標を見つけるための方法が次の2つだ。
・自分の価値観を壊されるような経験を何度もすること
・凄いやつに感染しては、卒業することを繰り返すこと
私自身も、この2つの重要性は身に染みている。また、「感染」という行為も繰り返してきた。これにより、大きな変化が自分に訪れた。
感染については、次の記事でまとめている。とても、重要な概念だ。
凄いやつになれ!
ひとかどでない人間がたまたまラッキーでどこかに就職できても、仕事上の成功は結局得られません。ひとかどでない人間が、たまたまラッキーでいい女やいい男に好かれても、プライベートでの実りはえられません。
ひとかど【一角・一廉】
きわだっていること。なみすぐれていること。
就活という短期的なゲームでの勝ちまけはどうでもいい。それよりも、もっと長期的に見たときに、ひとかどの人物になるべく研鑽しておいた方が、必ずチャンスを得られる。そのほうが、あなたの人生を幸せなものにする、これが宮台さんが強く指摘するポイントだ。
ひとかどの人物になる、か...
就活、面接のために何かするというよりも、自分の人生の幸せのためにすることがあるはずだ。ひとかどの人物になることがもっとも優先的なのだろう。とても険しい道だが、遠回りのようでこの道しかない、と思う。それが、自分の人生のためになる。マニュアル的な就活本とは、はっきりと違う点だ。
グループディスカッション
宮台さんいわく、グループディスカッションで見ることは、人の言いたいことを理解する力と自分の言いたいことを表現する力、である。
大人数がいれば意見が違って当たり前。自分の意見を主張し、不必要な感情的な反発を招かず、できれば相手をその気にさせる。それがグループワークの能力の柱です。意見の対立を感情の対立から区別すること、論理は相手を感情的に動かす道具であることを忘れないように。
その意味でリカバリング能力が重要な尺度になります。いちど決定的に対立した後、一瞬で関係を修復できるような対応が取れるかということです。対立が尾を引いて相手と目を合わせなくなるとか、議論の後に感情的なしこりを残すようでは議論した意味が台無しになります。
確かに、この議論する力は大切だろう。たとえ意見が違っても、しっかりとお互いを認め合い、その後の関係を修復する力は社会人にこそ欠かせないはずだ。また、この能力を有する人間は貴重である。こうした議論の果てに関係を壊さず修復し、互いの関係を発展させることで議題もより向上させる、この経験をたくさんしている人間は少ないだろう。
面接のコツ
コツも大切だけど、ひとかどの人物になるべきだ。小手先の技術なんかより、中身が有る人間が強い。
面接の場だけ、中身が有る人間になることはできない。普段の生活から周りの人間からリスペクトされるような人間であるならば、面接でも自然とその中身が伝わるはずだ。
社会はいいとこ取りができないし、人間関係もいいとこ取りはできません。まさに「すぐには役立たない就職マニアル」という他ありませんが、もっぱら中身が大切であって、良い企業に就職したいという思いが強いだけで中身がない人は、どのみち幸せにはなれないのです。
コツやマニュアルに頼ってしまう気持ちは誰にでもあるだろう。しかし、本当に大切のことほど、簡単には身につかない。だからこそ、時間をかけて努力するしかない。
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まとめ
・最終目標を元に、優先順位を作れ
・ひとかどの人物になれ
追記
本ブログが誰かの自由につながったのなら、うれしい。