夢の叶え方を知っていますか? 森博嗣
「夢を持ちなさい」
このように言われて育ってきた人は思いとおもう。
けれど、
「夢ってどうやったら叶うんだよ」
「やりたいことが見つからない」
「そう言っている大人が楽しそうじゃない」
などなど、自分の人生の夢というものに、みな色々と悩まされていると思う。それだけこの分野は、悩む機会は多いのに、考える材料が足りないのだろう。
今回の記事では、「夢の叶え方」について、森博嗣という作家の本を紹介したい。
記事を読み終えると、自分の夢なのか、それとも、そうじゃないのか、もっと深く考えられるようになるはずです。
森博嗣 夢の叶え方を知っていますか?
人気作家である森博嗣が、「夢の叶え方」について書いた本。ミステリー小説でデビューされた方です。
自由で、あらゆるものに縛られていない彼の思考は、本当に為になります。だからこそ、鋭い意見が耳に痛い。(耳に痛いほど、為になるということでしょう)
この本から、いくつかのテーマを引用させてもらいます。
”自分” の夢とは?
「夢」というのは、自分の自由の追求である。しかし、それははたして、自分が「見たい夢」なのか、それとも人に「見せたい夢」なのか、一度じっくりと考えてみることをおすすめする。
自分には夢がない、自分の夢は実現が難しい、というとき、多くは、この種の「他者に依存した夢」であることが原因といえる。「誰か自分を満足させてくれ」と訴えている姿がそこにある。それを夢だと勘違いしているのだ。
自分の夢が、実際には自分一人だけでは実現しないジレンマを多くの人が抱えている。その例は二種類あって、他者の評価を期待している場合と、他者の関与を期待している場合である。自分が「見たい夢」ではなく、誰かに、あるいは周囲に、「見せたい夢」になっている。
夢を抱くのは大切なことだが、知らず知らず、このように周囲を巻き込み、みんなで一緒に満足感を味わおうという幻想を持ってしまう。この危険性に気づくことが、実は本当に自分の夢を手にする条件でもある。
上の文章を読んでみて、みなさんはどう思うでしょうか?
大きく二つに分かれている。
自分一人で見る夢と、他者を巻き込んで見る夢。
「それなら夢の本質ってなんなんだ??」
彼は、「夢」を自分の自由の追求だと捉えている。
それならば、夢を考える上で、自分にとっての自由とは何かを考えなくてはならない。
自由な夢であるためには、どうすればいいのでしょう?
夢に、「周囲の人間」が混ざっているならば、他者を前提とした夢になってしまう。「他者に依存した夢」ということだ。自分の自由を求めていたのに、他者からの評価、承認を求めてしまっている。
この時点で、本当に自分の夢を持つということから遠ざかってしまうのではないでしょうか?
彼の考える、本当に自分の夢を持つことのポイントをもう一度確認しておこう。
「誰かに見せたい」という姿勢の否定である。他者からの反応ありきでは、周囲の目を気にした夢の設定だ。そこに、あなた自身の自由はない。
これでは、自分の自由の追求ではない。
他者の関与、評価から切り離すことで、自分が本当にしたいことがわかるはず。これが、自分の夢である。
そして、それが自分の満足に繋がる!!
自己満足という言葉が、 忌み嫌われているのは、実に不思議な現象といえる。満足はそもそも自分でするものであって、自己満足こそが正統な満足なのである。
これは見事な常識の否定だ。自己満足こそ、自分の人生にとって大切なことだ。一般的に、自己満足は悪いイメージで使われるが、彼の考えに私はとても共感出来る。
周囲を巻き込んだ夢
多くの人が考えている夢は、周囲の人間を巻き込んだものだ。この姿勢こそ、あなたを不自由にするのだ、とこの本は指摘する。
その例として一般的に挙げられるのが、「家族」だろう。
「将来の夢は、幸せな家族を作ることです」
ここに違和感を感じる人は、やはり少ないだろうか?
あなたがそんな夢を持っていては、そのあなたの夢に家族は巻き込まれてしまうことになる。そんな夢の実現よりも重要なことは、家族一人一人の「自由」ではないだろうか?
例えば、子供が見る夢の実現を、あなたの夢が阻んでしまうこともある。
そこに、真と自由と楽しみはあるだろうか?
あなたが満足する日は来るのだろうか?
真の楽しみ
現代人の多くは、「楽しさ」というものは、人からもらうものだと考えている。
あなたの楽しさは、世界のどこにもない。過去のどこにも存在しない。あなたの中から生まれ、未来に向かって育つものなのである。
夢の本質とは、自分を楽しませることだ。自分を縛りつけるために夢を目指すのではない。いつもこれを思い出そう。
自分の夢と、「楽しさ」の関係についてもこの本の指摘はとても鋭い。
なぜ、夢を求めるのかといえば、それがあなたにとって「楽しい」ことだからだろう。しかし、その「楽しさ」にも色々とある。大事なのは、楽しさを与えてもらうことではなく、自分で楽しさを作ることなのだ。なぜなら、誰かの楽しみがそのままあなたにも当てはまることは、ほぼありえないからだ。
これには耳が痛い。ネット時代になり、とんでもない量の情報があふれている。つまり、そういったたくさんの「楽しそうなもの」をどんどんインプットすることが当たり前になっている。
これは、インプットさせられている、とも言えるのではないだろうか?
日々の生活が、インプットのみで回っている人も多いのでは...
けれど、私自身、そんなインプット的な楽しさよりも、自分の中から出てくる何かが、「楽しさ」に繋がったときのほうが何倍も楽しい。
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まとめ
・自分が見たい夢なのか、他人に見せたい夢なのか
・自己満足する
・自分で、自分の「楽しみ」を作る
追記
本記事が誰かの自由につながったのなら、うれしい。
繰り返し考え続けていきたいテーマですよね。一緒に考えましょう。