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その悩み、哲学者が既に答えを出しています 【書評・まとめ】 悩みのプロな哲学者たち

悩みは哲学者にたずねよう

 

人間は、日々暮らす中で必ず悩みを抱えている。

 

あなたは、その悩みを解消するためにどうしているだろうか?

 

誰かに相談することが多いかもしれない。逆に、誰にも相談できない人もいるだろう。

 

今回は、悩みのプロである哲学者の知恵を借りたい。そのために、うってつけの本を紹介する。

 

記事を読み終えると、「悩むことと哲学することの関係」がわかるはずだ。そして、自分の悩みを切り開くヒントになる。

 

 

 

本記事のイシュー

 

哲学者が悩んできた結果が、哲学なのか。だから、哲学は悩みに有効なのか。

 

 

 

 

 

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています

 

 

人類は、ずっと似たようなことで悩みを抱えています。そして、過去の偉人たちがそれらについて、彼らの生涯をかけて、答えを考えてくれているのです。

 

誰でも抱える「悩み」という入り口から、抽象度の高い哲学の理屈を、この本はうまく説明してくれます。

 

誰もが抱える悩みに答える叡智を求めて、哲学者たちが格闘した思索の跡をたどっておくことに、意味がないはずがありません。

 

これからあなたが出会う悩みと向き合い、乗りこえてゆくにあたって、ここで学んだ哲学は必ずや生きてくるものです。

 

いくつかのテーマをまとめてみましょう!!

 

 

 

 

忙しい。時間がない

毎日忙しくて時間がない。そんな悩みには、アンリ・ベルクソンの考えが役立つ。

 

私たち現代人は、スケジュール帳の区分けを見ればわかるように、時間というものを空間的に捉えている。

 

しかし、時間というのは、「誰に取っても一律で、客観的な空間」としてのものだけでいいのだろうか?

 

楽しい時間は、あっという間に過ぎ、退屈な時間は長く感じられる。そう、時間とは、もっと主観的な性質を持っている。

 

通常の時間感覚を忘れるような主観的で濃密な時間こそ、時間を生きる私たちにとっての「自由」ということなのではないだろうか。このような経験を、ベルクソンは手帳の余白をスキなく埋めていくような合理的・空間的な時間と対比させて、「 純粋な持続」 と呼びました。

 

本当に自由な時間とはごく主観的な時間 のことであり、他人から言われた予定をむやみに詰めこむよりも、あとでふりかえるとずっと生産的で、充実した時間だったりすることがあるのです。

 

 

私たちの行為が私たちの人格全体から出てくるとき、私たちは自由である。 ベルクソン

 

 

 

 

 

会社を辞めたいが辞められない

居場所では問題ではない、精神的に動けばいい、とジル・ドュルーズは言う。

 

徹底した管理が行き届いているかに見える高度資本主義的な企業社会においても、「 ものは考えよう」 で自分たちがのびのびと生きるやりよう を、ドゥルーズは「逃走」 といっているのです。

 

私は会社員だけど、上司や同僚がどう思おうが、やりたいことはやってやる」といった、孤高をおそれぬ覚悟さえあれば──閉鎖的で息苦しく見える職場環境も、実は 考えようではそこからいくらでも「 逃げ」出すことのできる、やりようのあるスキマにみちた希望の場所 だということに気がつくのではないでしょうか。

 

 

逃走の線を引け ドュルーズ

 

 

 

 

 

真に自分を成長させるためには

正直なところ、こうした本を読んでもあまり成長できた実感がわかない人が多いのではないだろうか?

 

読書はとても勉強にはなる。しかし、自分を変化させるには、何かが足りない。

 

それら本の言葉は他人の言葉だから、あなたに深くは届かない。その言葉を聞いた後に、自分の身体で実行し、そこから自分の言葉を作る必要がある。

 

哲学者たちが自分の人生をかけて解決していったように、あなたも実行してみるしかない。

 

詳しくは、以下の記事に書いている。

interaction.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

なぜ哲学が好きか

この本を読んでみて改めて考えたくなったことがある。それは、なぜ私は哲学が好きなのか、というものだ。

 

 

哲学と情緒

私は、哲学の人間らしいところが好きだ。
 
哲学とは、人類の悩みの歴史とも言える。哲学者一人一人が、自分の人生をかけて、自分の悩み、苦しみに向き合おうとしてきた。彼らの孤独、痛み、苦しみ、コンプレックスは並大抵のものでは無い。
 
だからこそ、偉大な思想を組み立てる動機があった。彼ら自身が、自分が生きるために「哲学すること」を必要としたのだ。それを考えずには生きられない、そんな切迫した想いがあったはずだ。
 
自分自身を、他者を説得するためには、理屈が必要だ。よって、思想にも、論理や体系化が必要になる。
 
しかし、始まりにあるのは、とても個人的な欲求だ。その哲学者の個人的な歴史が詰まっている。だからこそ、誰にでも当てはまる普遍的な答えが導けるかどうかは難しい。哲学の弱い部分と言える。
 
 
 
 

哲学と論理

一方で、アリストテレスの論理学から始まり、知というものを論理的に検討しようという動きも重要だ。そこには、誰もが納得するような主張をするにはどうすればいいのか、どのように真理というものを証明するのか、などという要請がある。
 
これら流れは、論理を厳密に考えていこうという姿勢につながる。数学としての数理論理学、論理を支えにした分析哲学言語哲学などが発展してきた。論理という体系が整理されたことで、哲学という抽象的なものを議論することが可能になった。
 
その一つが可能世界という概念装置だろう。
 
可能世界論(かのうせかいろん)とは、論理学哲学において、可能性、必然性、偶然性などの様相命題を論理的に扱うための理論的装置である。可能世界の概念は論理学において広く定着しているが、その解釈の仕方を巡っては議論も多い。
 
 
このように、論理とは何かを考え、論理を土台にした思想を展開するのも哲学の重要な特徴だ。
 
 
 
 

矛盾さが人間らしい

個人の欲求、想いを救うための思想。
 
誰でも同じ答えを得るための論理。
 
これら2つが絡み合っているのが哲学だと思う。
 
けれど、個人の情緒を救おうとしつつ、普遍的な論理も求めているというのは矛盾しかけない。その微妙なバランスのせいで、学問的には批判も多い。「哲学なんか科学じゃない」と。
 
しかし、哲学は、それら矛盾しかねない両方を包摂し、議論していく。その揺らぎこそ、とても人間らしくはないだろうか。
 
月並みな構造だが、感情と理性の離反と接近が見られる。こうした一連の営みこそ、とても人間的である。
 
だからこそ、人間の営みの中でも最高の英知だと、哲学は言われるのかもしれない。
 
 
 
 
 

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追記

 

本記事が誰かの自由につながったのなら、うれしい。