普通の探偵じゃないミステリー
設定が新しいことで話題になった推理小説だ。著者は、井上真偽。
(名前からして、論理学の香りがしますね)
どこが新しい点なのか、それはこの小説のタイトルが表している。
この小説の探偵は、「その可能性はすでに考えた」が決め台詞だ。このセリフは何を表すのか??
一風変わったミステリー作品として、オススメしたい小説だ。本記事では、本作品のテーマについてまとめる。
あらすじ
2016年度第16回本格ミステリ大賞候補に選ばれる[3]。「本格ミステリ・ベスト10」2016年版(国内部門)5位、『ミステリが読みたい! 2016年版』(国内編)5位、『このミステリーがすごい!』(2016年 国内編)14位、「週刊文春ミステリーベスト10」(2015年 国内部門)15位、「キノベス!2016」28位[4]など各種ミステリランキングにランクインしている。黄金の本格ミステリー(2016年)に選出されている。
探偵事務所で上苙とフーリンが話していると若い女性が訪れる。その女性・渡良瀬莉世は自分が人を殺したのかどうか推理してほしいと話し、幼い頃の記憶を語り始めた。
莉世は小学校に入学した直後、母親に連れて行かれ、新宗教団体「血の贖い(アポリュトローシス)」の村で集団生活を始めた。教祖と信者あわせて33人が暮らすその村は、周囲を高い崖に囲まれた山奥の秘境であり、脱出が極めて困難な刑務所のような場所だった。村に暮らす同じ信者の少年・堂仁が優しく接してくれることがうれしく、また〈拝日の祠〉にある祭壇の花や供物を取りかえる巫女の役目をこなす中で、隠れて祠で豚を飼うことで心の支えとしていた。「脱出するときは仔豚も一緒に連れていこう」などと堂仁と話していた折、村を地震が襲う。地震後、滝と川が枯れ、更に教祖は村の唯一の出入り口である〈洞門〉を爆破し塞いでしまう。〈禊〉が行われ、信者全員でお祈りを唱えていた拝殿で頭を伏せた信者の首を教祖が斬り回る姿を目撃し、自分の首が斬られる直前に堂仁に助け出された莉世はやがて気を失い、目覚めたときには祠にいた。その眼前には堂仁の生首と胴体が転がっていた。莉世と堂仁以外の信者は全員外から施錠された拝殿に閉じ込められ、また拝殿の閂は莉世には重くて動かせなかった。
これらの状況から自分が堂仁を殺してしまったのではないか、と考えるようになったという莉世。しかし一方で、堂仁の首を斬ったと思われるギロチンの刃も堂仁の胴体も重く、祠まで運べたはずはないという。当時、彼女は地震で足を骨折し松葉杖とギプスをしていたのだ。
堂仁は首を斬られた後、莉世を抱いて祠まで運んだのではないか。祠まで行く途中、堂仁の首を抱いていたような気がすると話す莉世に、上苙は〈奇蹟〉に違いない、人知の及ぶあらゆる可能性を否定し〈奇蹟〉が成立することを証明すると言い放つ。全ての可能性を否定することなど不可能だという大門老人や、フーリンの知人である中国人美女リーシー、元弟子である少年・八ツ星が提示した仮説をことごとく反証していく上苙だったが……。
他のミステリー作品と異なる点
普通、探偵の役割は、事件の謎を解くことだ。事件の謎をとく仮説を掲示し、それを立証する。
ミステリー小説とは、その謎解き過程を楽しものが軸だろう。
しかし、この作品の探偵である上苙は違う。
彼の目的が、奇跡の存在を証明することなのだ。
今回の事件でも、彼は、本当に奇跡が起きたのだということを示そうとする。そのために、あらゆる考えられるトリックの仮説を自らリストアップし、その一つ一つが成り立たないことを立証するのだ。
仮説を解体する
そんな彼の奇跡の証明を邪魔しようと、何人かの刺客が送り込まれる。
それぞれが事件を解く仮説を掲示する。その仮説が成り立たないことを、上苙が証明できなければ、奇跡はないことになる。
あるトリックが成り立ちそうだという、可能性さえ示せればいい。つまり、事実どうこうよりも、可能性を残すことに焦点が当たっている。だから、かなり無理があるような、言い換えれば、面白いトリックが出てくる。
つまり、探偵 対 刺客たちの勝負は、圧倒的に探偵が不利なのだ。刺客たちは、わずかな可能性すら残せばいいのだから。
彼らが掲示した仮説に対して、上苙はその仮説が成り立たないことを示していく。
その時に使われる決め台詞が、タイトルだ。
「その可能性はすでに考えた」
一般的なミステリー小説の探偵とは、まるで役割が逆だ。謎を解体するのでく、仮説を解体する。そして、すべての仮説が成り立たないことを示し、奇跡の存在を示すのが彼の目的だ。
しかし、奇跡の存在を証明するには、すべての可能性が成り立たないことを示さなければならない。この「すべて」とは、つまり、無限ではないのか?と本書でも指摘されている。それに対する探偵の方針は、あくまでも特殊な条件下のもとでの事件であるため可能性は有限だ、ということなのだろう。
「無限」というテーマに興味がある人は、次の記事がオススメだ。
悪魔の証明
このような類いの証明は、「悪魔の証明」と呼ばれる。
悪魔の証明とは、「ある事実・現象が『全くない(なかった)』」というような、それを証明することが非常に困難な命題を証明すること。例えば「アイルランドに蛇はいる」ということを証明するとしたら、アイルランドで蛇を一匹捕まえて来ればよいが、「アイルランドに蛇はいない」ということの証明はアイルランド全土を探査しなくてはならないので非常に困難、事実上不可能であるというような場合、これを悪魔の証明という。
まとめ
ミステリーとして、なにを求めるのか、という視点の新しさは楽しめた。
トリックも様々なものが登場し、考えさせてくれる。
最後の挽回も、物語として面白い。
たた、個人的に入り込めなかったのが、キャラ設定。
かなり、色のある設定なのだが、それを生かしきり、自然にさせる描写があまりない。中国語の表現や、知識も多いのだが、必然性がない。ストーリーに対して、キャラたちの良さが生かされないように感じた。
こうしたキャラたちに感情移入できるか、抵抗がないかで、もちろん全体のストーリーとしての評価が分かれるところだろう。