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「森博嗣」という天才・異才 思考回路 & 名言紹介 

「森博嗣」という人物

 

森博嗣という作家を知っているでしょうか?

「すべてがFになる」などのミステリー小説で有名です。

 

現在はほぼ引退し、作家業は趣味にすぎないそうです。

 

彼を紹介したい理由は、彼こそ本当に自由な人だと思うからです。私自身、様々なすごい人の話に触れていきましたが、やはり森博嗣はとんでもない。もっとも尊敬している人かもしれません。

 

今回の記事では、なぜ彼がそれほど「自由」な人なのか、その真髄に少しでも迫りたいと思います。きっと彼の本を読みたくなるはずです。

 

 

 

 

森博嗣 略歴

 

森 博嗣(もり ひろし、1957年12月7日 - )は、日本小説家同人作家、工学博士。元名古屋大学助教授ローマ字表記はMORI Hiroshi

wikiより

 

現在は、金を稼ぐための仕事からは引退し、毎日趣味に時間を使う。作家も趣味の範囲。

 

刊行する作品は、エッセイ、新書が中心。小説は稀。

 

 「すべてがFになる」がデビュー作であり、ドラマ化、アニメ化された。

 

 

 

アニメ化もされましたね。

今のところ、配信サービスなどで見れないのが残念。

DVDを買うしかないだろうか。

 

 

 

 

彼の思考をもっと堪能したい方には、特集した雑誌、ユリイカもおすすめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何ものにもとらわれない自由さ

 

 

彼の本当に凄い所は、ズバリ「自由さ」だ。それを一言で表現するならば、

 

「何ごとにもとらわれない」姿勢だ。

 

何ごとにも、つまり、世界の常識、人、自分自身、あらゆるものから自由なのだ。

 

 

その自由さのいくつかの側面を見てみよう。

 

 

 

 

他人にとらわれない

 
比較しない、憧れない、嫉妬しない、他人に欲を持たない
 
 
 

常識にとらわれない

 
自分の言葉、理屈を自分で考える。
他人の理屈や常識を跳ね返すだけの論破力がある。
 
彼の特徴として、「言葉」への敏感さが挙げられる。愛読書は国語辞典だ、ということもある。
 
それも、言葉によって人は思考停止することを知っているからだろう。人は言葉に支配されている。
 
たとえば、「浮気はダメだ!」という意見も、実は、その「浮気」の中身は様々なはずだ。そのカップル、夫婦の数だけ「浮気」の中身は異なる。にもかかわらず、人は「浮気はダメだ!」とまとめて批判しがちだ。言葉に操られている。不自由である。
 
使っている言葉の意味をもっと厳密に考えようという姿勢は、思考停止を壊し、自由を生み出す。彼のエッセイを読んでいると実感する。
 
 
 
 

金儲けにとらわれない

 
他の有名人やインフルエンサーは人を煽り、動かそうとする。人を煽り目立つことが、彼らの仕事だからだ。自身の利益になるからだ。
 
現代で有名な人は、お金を儲けよう、他人を少しでも多く動かそう、という動機が背景にある場合が多い。しかし、森博嗣は、別次元にいる。
 
常識を超えた思考で有名な堀江貴文氏なども、やはり目立つことを仕事の一部にしている。
  
一方、森博嗣は他人を動かすのが目的ではない。他人に欲を持たない。金儲けのために、目立とうとしたり、人を煽ろうとする必要はない。作家として世の中に意見を述べることの矛盾と限界にも自覚的である。だからこそ、作家業から遠のいているのだろう。
 
 
 
 
 

賞に全く興味なし

小説で権威ある賞を取ることに価値を感じない。テレビなどのメディア出演は全部拒否。
 
 
 
 

頭の良さ

 
過去に発表した作品での未来予測が当たる。
 
 
 
科学者らしい思考力だと思う。現状の世界の分析力と、技術、テックへの理解度の高さがすごい。それが作品作りにも生かされている。
 
また、的を得た数々の言葉がすごい。私たちがふだんいかに思考停止しているのか、覚醒させてくれる。ネット上でも、名言として話題になっている。
 
正直、彼のような頭の良さは、私たち一般人には全く計ることはできないと思う。(こんな記事を書いておいてなんだが...)
 
 

 
 
 
 

森博嗣が描く天才像

 

彼の作品には、多くの天才が登場する。そんな彼らの発する雰囲気が好きで、作品を読んでいる人も多いと思う。

 

そこで描かれる特徴は、頭がいい、発想力、独創性、思考の自由度、などだろうか。これは、一般的な頭の良いイメージと合っている。

 

しかし、一般的なレベルだけでは、作家としての突出できない。

 

彼は、天才についてこんなことを述べている。だいたい以下のようなものだ。

 
天才を作品で描こうとしても、読者のレベル内でしか描けない。読者が想像できるレベルに落とし込まなければいけない。
 
これは、「天才を描く」ということの限界を示している。彼の小説群に登場する最高の天才として「真賀田四季」というキャラクターがいる。彼女は、まさに既存の天才観を超越するような描写を持つ。
 
しかし、これも我々読者がギリギリ想像できるような範囲に、森博嗣があえてセーブしているのではないか?もちろん、度肝を抜かれるような思考回路を見せてくれるのだが。
 
 
彼が自由に本気を出して作った天才像はどんなものになるだろう?
 
拍子抜けするくらい、全然「天才」には見えないようなキャラになる気がする。その天才さは、私たちには、はっきりとは伝わらないのだ。
 
 
 
 
 
 
 

天才の定義ってなんだろう

 
ここで、彼の意見を参考に、天才の定義を拡張してみたい。
 
「天才とは、一般的には理解できないことをする者だ」
 
私は、天才をこのように定義したい。
 
つまり、私たちが持っている視点・常識では、全く測れないのだ。つまり、彼ら天才の所業は、年月が経ち評価されることになる。時代が追いつくと表現される。
 
たとえば、天才として評される画家や、学問の基礎を切り開いた学者たちが例だ。生きていた頃は、異端として見向きもされなかった人も多い。彼らのすることを見ても、価値観が異なりすぎて、周りは全く内容を理解できないのだ。宇宙人ほども、見ている世界が違っていると言っていい。
 
これほどの自分オリジナルの世界を構築できるという思考回路が、まさに天才なのだろう。
 
ここで一つ、注意したいことがある。あくまでも、「天才」という評価は、外野が勝手に判断することだ。そんな外側の評価など、まさに彼ら自身は気にしないはずだ。
 
 
 
 
関連して、人は他人を正当には評価できない。だから、私たちだって、周りからの「頭いいね」「頭悪いね」などという評価を気にする必要はない。「天才かどうかなんて」天才本人は気にしていないように。
 
余計なものに振り回されない姿勢こそ、森博嗣から学べるところだろう。
 
 
 
 

 
 

名言紹介

 
名言のいくつかを紹介したいと思う。どれも、より自由に考えさせてくれるものだ。
 
 
・現代人の多くは、「楽しさ」というものは、人からもらうものだと考えている。(夢の叶え方を知っていますか?)
 
 
・自己満足という言葉が、 忌み嫌われているのは、実に不思議な現象といえる。満足はそもそも自分でするものであって、自己満足こそが正統な満足なのである。(夢の叶え方を知っていますか?)
 
 
・他者に対する欲がない。欲はいつも自分に向かっている。(つぼねのカトリーヌ)
 
 
・人の主張の大半は「これが正しい」ではなく、「こうあってほしい」である。(常識にとらわれない100の講義)
 
 
・人生も、あなたが生まれて、あなたが生きているのは、世界で唯一の条件であって、過去にあなたが生きた例はない。誰も研究していないし、どこにも発表されていない。人生とはフロンティアなのだ。(道なき未知)
 
 
・好きなのか嫌いなのか、自分はどんな人間なのか、そんなにはっきりわかっているのだろうか。僕は、はっきりしている人間というのは、つまりそれだけ「浅い」のだろう、と想像してしまう。(思考を育てる100の講義)
 
 
 
 
 
 
 
 

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まとめ

 

彼のような、本当の意味で「自由=幸せ」に生きている人は、本来は表には出てこないのだろう。

 

他人にアピールする必要がまったくないのだから。

 

一人で山にこもり、修行することそのものに最高の充実さ、幸福を感じる禅者に近いのかもしれない。思えば、彼の自由さは、仏教における「悟り」に近いものがある。

 

改めて、本当にすごい人だ。

 

「本」という媒体のおかげで、彼の思考を覗けることにとても感謝である。

 

 

ぜひ、いろいろと手にとってみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼については、他の記事でもいろいろと書いている。気になる方は、リンク先へ飛んでみてほしい。

 

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