宮台真司が意識高い系を分析
何度も耳にする「意識高い系」という言葉。
その言葉からどんなイメージを受けるかは人さまざまだろう。
社会学者 宮台真司が「意識高い系」について分析していた内容が面白かったので紹介したい。
「意識高い系」には、主体がない、という。
主体とはなんだろうか?
今回は、この記事にまとめてみたい。
- 宮台真司が意識高い系を分析
- 意識高い系は、意識が低い
- 意識高い系=「いいね!ボタン」集めばかりしているやつ
- 主体とは何か?
- 100パーセント損得人間をやめることは可能か?
- 損得人間=AIで置き換え可能
- 関連記事
- まとめ
意識高い系は、意識が低い
【宮台真司】意識高い系には「主体」がない いいね集めというクズゲーム
以下に彼の言葉をまとめる。
人間の動機には、2種類ある。
内発性 ・・・内から湧き上がる力
自発性 ・・・損得感情 いいね!ボタンあつめのような
マックスウェーバー 合理性は、主体を消す。 人間を入れ替え可能にする。
主体とは、非合理なものにコミットする力。
いいね!ボタン集めたり、損得計算する人間は、ロボットと同じ。
周りからなんでそんなことするの?と不思議がられるような人間が、主体があるということ。
意識高い系は、非合理を維持できないヘタレ。
いいね!ボタン集めは、時間の無駄。これに気付く人が増えて来た。
見ず知らずのどうでもいい人のことは気にするな。自分にとって大事な人間のことを、徹底的に大事にし、絆を結べ。
「いいね!ボタン押してくれるかな」と不安ベースで生きるな。
このテーマで語る宮台氏。
かなり、「クズ」を連呼したり、盛り上がって来たりと熱くなっている。
彼が使う「クズ」という言葉の意味は、損得人間ということ。
彼の話は、やはり聞いていて面白い笑
彼の主張は、次の本が分かりやすい。
意識高い系=「いいね!ボタン」集めばかりしているやつ
SNSに大量に存在する、いわゆる「意識高い系」。今回の宮台氏の指摘は、とても納得いくものだと思う。
もちろん、意識高い系の中にも、様々な人がいる。この言葉で、まるっとくくれるものではない。
今回の宮台氏が激しく批判する意識高い系とは次だ。
意識高い系=「いいね!ボタン」集めばかりしているやつ
たしかに、その様は普通に考えて、尊敬できる人間ではない。中身がない、浅ましいな、と感じてしまう。よく考えれば誰でもわかることだろう。この感覚というのは、理解できる人が多いはずだ。
今回の宮台氏の話は、この「感覚」の背景を哲学的に説明してくれる。マックスウェーバーから基礎付けられる展開は、とても面白い。
主体とは何か?
ここで重要になるのが、「人間とは何か」という問いだろう。
もちろん様々な答えがある。今回のようなテーマを考える上で、あくまでも1つの考え方として、とても役立つはずだ。
人間にとって、主体が大事。
それでは、主体とは何か??
主体とは、非合理なものにコミットする力
なるほど、単に合理的に、計算的に動くだけでは、他のものに入れ替え可能になってしまうわけだ。その人独自のものに、コミットするからこそ、その人でなければならない。つまり、入れ替えが効かない。個人という存在の核が、主体という意思だ。
それでは、コミットするという動詞は、何を伝えようとしているのだろう?
コミットする力の正体こそ、「内発性」というキーワードだと思う。つまり、その動機が自分の内側から出て来なければいけない。
損得や計算という軸で動こうとした瞬間に、経済合理性というフィールドに乗ってしまう。そこでは、入れ替え可能な存在になってしまうのだ。
内発性というテーマは、「感染」という概念に近い。次の記事で詳しく書いている。
100パーセント損得人間をやめることは可能か?
宮台氏の主張の意味を考えるならば、損得人間では幸せな生き方をできない、というものだろう。
しかし、私たちは仕事を通して、経済の中で生きている。そこでは、計算的に合理的に生きることが求められる。これが資本主義の本当に怖いところなのかもしれない。
だから、私たち現代人は、完全に損得人間をやめることは難しい。
領域を分けて考えるのがいいだろう。
宮台氏の主張は、幸せや人間関係、性愛の領域に損得計算を持ち込むな、ということだ。何でもかんでもコスパを気にする人間こそ、クズというわけだ。
人間の本分とは何か?
人間にとって、幸せ、正愛とは何か?
これらを考えよ、ということだ。その領域で大事になるのが、損得計算ではなく、非合理にコミットする力、ということだ。
損得人間=AIで置き換え可能
AIが発展してくる現代において、この問いはとても重要だろう。なぜならば、人間の計算力よりも、圧倒的にAIの方が生産性が高いからだ。マニュアルに従うだけのような仕事はAIが得意だ。
AIと人間との大きな違いこそ、主体があるかないかだろう。
主体がない人間、つまり、劣化した人間にならないようにすべきだ。
次の記事では、生命の自分の外側に開かれる可能性を説いている。知能、主体の本質に迫れるはずだ。
関連記事
まとめ
・主体とは、非合理なものにコミットする力
・意識高い系は、非合理を維持できないヘタレ
本記事が誰か自由につながったのならうれしい。