映画 グリーンブック
映画グリーンブック、みなさんはもう見ただろうか?
数々の賞を獲得していることでも話題の今作。第91回アカデミー賞で作品賞、脚本賞、助演男優賞を獲得した。
孤独な天才ピアニストである黒人男性と、腕っ節も強く情に熱い男の交流を描く。
今回の記事では、「友情は何をもたらしてくれるのか」というテーマに迫りたい。友情や仲間、そして孤独、これらの背景を深堀してみる。
あらすじ
時は1962年。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は腕っぷしはもちろんハッタリも得意で、ガサツで無学だが、家族や周囲から愛されていた。 ある日、トニーは「神の域の技巧」を持ち、ケネディ大統領のためにホワイトハウスで演奏したこともある天才ピアニスト、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)のコンサートツアーの運転手として雇われる。まだまだ人種差別が根強く残る時代になぜか、黒人にとって制約と危険の多い南部を目指すシャーリー。 粗野で無教養なイタリア系用心棒と、インテリな天才黒人ピアニストという何もかも正反対な二人が、黒人用旅行ガイド〈グリーンブック〉を頼りに、ふたりはツアーへ旅立った──。
監督
ピーター・ファレリー
メリーに首ったけ、などこれまではコメディー映画が中心。
キャスト
- ヴィゴ・モーテンセン
- マハーシャラ・アリ
- リンダ・カーデリーニ
- ディメター・マリノフ
- マイク・ハットン
- イクバル・セバ
- セバスティアン・マニスカルコ
トニー、一言でいうならいい男
彼は、ほんとにいい男ではないだろうか?
家族、仲間を大切にする。
法よりも仲間を大切にする。
妻を愛する姿勢もとてもまっすぐだ。
金がないこと以外は、なにも問題ないだろう。人生が充実している男に見える。
そんな彼の充実さとは、質が違う人生を送っているのがシャーリーだ。
トニーとシャーリーの考え方の違いを示すいくつかの印象的なシーンがある。
中でも象徴的なシーンが、あの緑色の石だろう。
緑色の石は何を暗示するか
トニーは、売り物のカゴから地面に落ちている石を、拾って帰ろうとする。
「落ちてたんだからいいだろ」と。
彼は、社会的なルールに重きを置いていない。一方、シャーリーは、そのルール違反を激しく否定する。シャーリーのルールに厳格な姿勢は、他のシーンでもいくつか描かれている。
しかし、シャーリーがそこまで法にこだわる理由がわからない。これは何を意味するのか?
おそらく、「孤独である人間はどうなってしまうのか」を描きたかったのではないか。
彼は、天才であるぶん孤独だ。そして、人種差別というとんでもない壁に囲まれている。
その孤独さは、あることをもたらす。
仲間が居ないのだ。だから、法、ルールに頼るようになる。
人は、まずは仲間という集団が先だった。そのあとに、法ができる。この順序の重要性を社会学者の宮台真司は強調する。なぜならば、我々現代人は、仲間を持てなくなってきているからだ。
本来人は社会的な生き物である。だから、何かしらの集団を必要とする。しかし、その実体となる友達、仲間が居なければ、法、ルールに頼るしかなくなる。
癒されるシャーリー
法、ルールとは幻想だ。
だからこそ人は、ルールを守る「機械」のようになってしまうのだろう。それよりも大切な感情などがあったはずなのに。
その結果、その人は満たされなく、不幸な振る舞いになる。
シャーリーは、劇中でも、一人で酒を飲み、どこか不満そうだ。その不満、生きづらさには、様々な背景がある。
天才としての孤独、そして、人種差別。
そんな彼は、「友情」という絆によって癒されていく。
人種差別という圧倒的に辛い状況、そして孤独。それらによって、彼の世界は閉じていた。
そこにトニーといういい奴が登場する。お互いが認め合い、助け合うという損得ではないつながりができていく。
この笑顔から、どんどん二人近づくのがわかる。
その過程を、時には厳しく、ときには面白く描いているのがこの映画のうまいところだ。そこに「音楽」というある形が、雰囲気を作る。
シャーリーが癒されるのに連れて、観ている観客もどんどん癒されていく。いい終わり方をする映画だった。
そして、シャーリーは最後に、あの石を静かに置く。
これが、シャーリーの感覚の変化を教えてくれるだろう。
感情の生き方
法や社会の常識、ルールよりも自分たちの感情を優先する。この構造は、映画「万引き家族」でも描かれている。
なんと、ピーター監督も万引き家族が好きだとか!!
次の記事を読んでみてほしい。
社会学者 宮台真司からのヒント
彼は、社会学での概念を映画批評にも使う。その視点は大きなヒントになる。
次の動画では、グリーンブックについても言及されている。
・法、言葉
・仲間
・損得人間
これら概念な注意しながら聞いてみるのがいいと思う。
この放送のタイトルそのものが、「損得人間のクズになるな!」である。
計算してばかり、損得を気にしてばかりの人間は、言葉や法の奴隷だ。つまり、計算が得意なAIに置き換えらえるような人間になってしまう。新井紀子さんが指摘したような人間の劣化は深刻な問題だ。
そんな中、まさにこの映画で描かれる心の揺れ動きこそ、決してAIには置き換えられない部分ではないだろうか?
気になった方は、是非見てみてほしい。
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