記事の内容
京極夏彦の新作「今昔百鬼拾遺 鬼」の内容をまとめます。
・京極堂シリーズの新作
・あのキャラの再登場
などなど、ファンの人にとってはとても楽しめる作品です。
今回の記事では、今作の魅力をネタバレありで解説します。
今昔百鬼拾遺 鬼
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「先祖代代、片倉の女は殺される定めだとか。しかも斬り殺されるんだという話でした」 昭和29年3月、駒沢野球場周辺で発生した連続通り魔・「昭和の辻斬り事件」。七人目の被害者・片倉ハル子は自らの死を予見するような発言をしていた。ハル子の友人・呉美由紀から相談を受けた「稀譚月報」記者・中禅寺敦子は、怪異と見える事件に不審を覚え解明に乗り出す。百鬼夜行シリーズ最新作。
京極堂など、中心メンバーは出てきませんが、重要なキャラクターである中禅寺敦子が主人公となって物語が進みます。
さて、今回の記事では、この作品の見どころ、ストーリーの解説をしていきます。
以下では、ネタバレがあるので注意です!!!
ネタバレ
ズバリ、七人目の被害者・片倉ハル子が連続通り魔の正体だったのだ。
娘の以上に気がついた母親と、仕事を手伝っていた青年の二人で、彼女を止めようとする。
その結果、母親がもみ合ううちに娘を刀で斬ってしまったのだ。
母親も、青年も、ハル子の罪を被ろうとしたため、事件はややこしいものになっていく。
どうして、ハル子は通り魔になってしまったのか。その背景にある、何代にもわたる因縁の謎を敦子たちは探っていく。
憑き物落としシーンがあるわけではない
百鬼夜行シリーズの最大の見どころと言えば、京極堂の謎解きシーンだろう。ミステリーを解決するというより、謎を解きほぐす。
一方、今回の作品では、京極堂は登場しない。その分、中禅寺敦子が謎をとく役になる。
しかし、彼女は拝み屋でも探偵でもない。つまり、そもそも謎を解くという働きをこなすタイプではない。
本作の謎解きシーンも、謎解きだからといって、盛り上がりはしない。なぜならば、そこには「役割」がないからだろう。役割がない分、日常の生活の延長のまま、謎も解体される。謎解きだからといって、盛り上がるような演出があるわけではないのだ。
中禅寺敦子が自分自身と兄、つまり京極堂と比べるシーンがいくつかある。
京極堂は、確信があるまで決して動かない。推論段階では、何も言わず、動かない、と。
一方、敦子は確信がなくとも、まっすぐに動こうとする。その結果、過去のシリーズでは危険な目にあったこともあった。今作では、素直に動いたことで、自然と謎をとくことになっていく。
「非科学的なものを信じないのではなく、科学的思考を信じているだけです」
このようなセリフも、とてもあっちゃんらしい。
呉美由紀の活躍
片倉ハル子の友人役として、シリーズに帰ってきた呉美由紀。
彼女は、「絡新婦の理」にて生き残った女の子だ。そんな彼女が成長した姿を見せてくれる。事件の真相が明らかになり、関係者たちは皆うろたえることになる。
なぜなら、16歳の少女が殺人鬼だったわけだからだ。
そんなうろたえる大人たちに対して、呉美由紀が叱責する。この啖呵を切る姿こそが、皆の憑き物を落とすことになったのだと思う。16歳の少女が起こした憑き物を、これまた少女が落とす。
そんな姿を、敦子は榎木津のようだ、と表現する。このようなキャラたちの関係や成長は、ファンにとってはとても嬉しいものだろう。
鬼
今作のテーマは、「鬼」。
最も有名なようで、実はその背景は知らない。
京極堂シリーズおきまりの妖怪の背景の説明が楽しい。それが事件とリンクする。
兄に依れば、鬼とは ないもの だと云う。存在しないのではなく、 ない という形であるものだと云う。ならば虚無こそが鬼だ。
そうやって、何か人でないものに 擬 えることは一種の 逃げ なのだ。 どんなに異常に見えたとしても、それが片倉ハル子と云う人なのだろう。 人は皆、狂気と背中合わせだ。異常ならざる者などはいない。
でも、理由は多分、ない。理不尽でも不条理でも、そう云うものなのだ。だから人は人でないものを招請し、その埋まらない穴を埋めようとするのだろう。 埋まらない穴に満ちているものは、虚無だ。 鬼である。
鬼とは、「ないことそのもの」つまり、「虚無」であるという。
片倉という家系の歴史、そこにみせられたハル子。これら因縁がまさに鬼といえる。
彼女の心情の描写はゼロだ。死んでから物語が始まるのだから。
「鬼」という構造から、類推するしかない。
拝み屋がいない分、随分と曖昧な視点になってしまう。読者が想像するしかない。
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まとめ
久しぶりの京極堂シリーズの新作。ファンなら絶対に楽しめると思う。
ぜひ読んでみてほしい。
シリーズ2作目である 「今昔百鬼拾遺 鬼」の解説はこちらへ!