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今昔百鬼拾遺 鬼【感想・ネタバレ・解説】やっと出た京極堂シリーズの最新作!

記事の内容

 

京極夏彦の新作「今昔百鬼拾遺 鬼」の内容をまとめます。

京極堂シリーズの新作

・あのキャラの再登場

 

などなど、ファンの人にとってはとても楽しめる作品です。

今回の記事では、今作の魅力をネタバレありで解説します。

 

 

 

 

 

 

今昔百鬼拾遺 鬼

 

今回紹介する本はこちら。(画像クリックでamazonへ飛べます)

 

講談社タイガより発売です。

 

「先祖代代、片倉の女は殺される定めだとか。しかも斬り殺されるんだという話でした」 昭和29年3月、駒沢野球場周辺で発生した連続通り魔・「昭和の辻斬り事件」。七人目の被害者・片倉ハル子は自らの死を予見するような発言をしていた。ハル子の友人・呉美由紀から相談を受けた「稀譚月報」記者・中禅寺敦子は、怪異と見える事件に不審を覚え解明に乗り出す。百鬼夜行シリーズ最新作。

『今昔百鬼拾遺 鬼』(京極 夏彦):講談社タイガ|講談社BOOK倶楽部

 

待ちに待った京極夏彦百鬼夜行シリーズの最新作です。

 

京極堂など、中心メンバーは出てきませんが、重要なキャラクターである中禅寺敦子が主人公となって物語が進みます。

 

さて、今回の記事では、この作品の見どころ、ストーリーの解説をしていきます。

 

以下では、ネタバレがあるので注意です!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ

 

ズバリ、七人目の被害者・片倉ハル子が連続通り魔の正体だったのだ。

 

娘の以上に気がついた母親と、仕事を手伝っていた青年の二人で、彼女を止めようとする。

その結果、母親がもみ合ううちに娘を刀で斬ってしまったのだ。

 

母親も、青年も、ハル子の罪を被ろうとしたため、事件はややこしいものになっていく。

 

どうして、ハル子は通り魔になってしまったのか。その背景にある、何代にもわたる因縁の謎を敦子たちは探っていく。

 

 

 

 

 

憑き物落としシーンがあるわけではない

 

百鬼夜行シリーズの最大の見どころと言えば、京極堂の謎解きシーンだろう。ミステリーを解決するというより、謎を解きほぐす。

 

一方、今回の作品では、京極堂は登場しない。その分、中禅寺敦子が謎をとく役になる。

 

しかし、彼女は拝み屋でも探偵でもない。つまり、そもそも謎を解くという働きをこなすタイプではない。

 

本作の謎解きシーンも、謎解きだからといって、盛り上がりはしない。なぜならば、そこには「役割」がないからだろう。役割がない分、日常の生活の延長のまま、謎も解体される。謎解きだからといって、盛り上がるような演出があるわけではないのだ。

 

中禅寺敦子が自分自身と兄、つまり京極堂と比べるシーンがいくつかある。

 

京極堂は、確信があるまで決して動かない。推論段階では、何も言わず、動かない、と。

 

一方、敦子は確信がなくとも、まっすぐに動こうとする。その結果、過去のシリーズでは危険な目にあったこともあった。今作では、素直に動いたことで、自然と謎をとくことになっていく。

 

「非科学的なものを信じないのではなく、科学的思考を信じているだけです」

 

このようなセリフも、とてもあっちゃんらしい。

 

 

 

 

 

呉美由紀の活躍

 

片倉ハル子の友人役として、シリーズに帰ってきた呉美由紀。

 

彼女は、「絡新婦の理」にて生き残った女の子だ。そんな彼女が成長した姿を見せてくれる。事件の真相が明らかになり、関係者たちは皆うろたえることになる。

 

なぜなら、16歳の少女が殺人鬼だったわけだからだ。

 

そんなうろたえる大人たちに対して、呉美由紀が叱責する。この啖呵を切る姿こそが、皆の憑き物を落とすことになったのだと思う。16歳の少女が起こした憑き物を、これまた少女が落とす。

 

そんな姿を、敦子は榎木津のようだ、と表現する。このようなキャラたちの関係や成長は、ファンにとってはとても嬉しいものだろう。

 

 

 

 

 

今作のテーマは、「鬼」。

 

最も有名なようで、実はその背景は知らない。

 

京極堂シリーズおきまりの妖怪の背景の説明が楽しい。それが事件とリンクする。

 

兄に依れば、鬼とは ないもの だと云う。存在しないのではなく、 ない という形であるものだと云う。ならば虚無こそが鬼だ。

 

そうやって、何か人でないものに 擬 えることは一種の 逃げ なのだ。  どんなに異常に見えたとしても、それが片倉ハル子と云う人なのだろう。  人は皆、狂気と背中合わせだ。異常ならざる者などはいない。

 

でも、理由は多分、ない。理不尽でも不条理でも、そう云うものなのだ。だから人は人でないものを招請し、その埋まらない穴を埋めようとするのだろう。  埋まらない穴に満ちているものは、虚無だ。  鬼である。

 

鬼とは、「ないことそのもの」つまり、「虚無」であるという。

 

片倉という家系の歴史、そこにみせられたハル子。これら因縁がまさに鬼といえる。

 

彼女の心情の描写はゼロだ。死んでから物語が始まるのだから。

 

「鬼」という構造から、類推するしかない。

拝み屋がいない分、随分と曖昧な視点になってしまう。読者が想像するしかない。

 

 

 

 

 

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まとめ

 

久しぶりの京極堂シリーズの新作。ファンなら絶対に楽しめると思う。

 

ぜひ読んでみてほしい。

 

 

 

 

 

シリーズ2作目である 「今昔百鬼拾遺 鬼」の解説はこちらへ!

 

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