記事の問いと内容
今回の記事では、橘玲氏の「言ってはいけない 残酷すぎる真実」という本を紹介する。
ベストセラーにもなった本だ。
内容については多くの人がすでに紹介している。今回は、この本はなぜ批判されるのか、という点に焦点を当ててみたい。
とくに、「遺伝」という言葉に注目する。
きちんと理解できているだろうか?
「遺伝率」という概念の把握にも迫ってみたい。
・なぜこの本は批判されるのか?
・遺伝とはなにか?
慎重にこの論点を確かめてみたい。
言ってはいけない 残酷すぎる真実 橘玲
この社会にはきれいごとがあふれている。人間は平等で、努力は報われ、見た目は大した問題ではない――だが、それらは絵空事だ。往々にして、努力は遺伝に勝てない。知能や学歴、年収、犯罪癖も例外でなく、美人とブスの「美貌格差」は約三六〇〇万円だ。子育てや教育はほぼ徒労に終わる。進化論、遺伝学、脳科学の最新知見から、人気作家が明かす「残酷すぎる真実」。読者諸氏、口に出せない、この不愉快な現実を直視せよ。
この本の意義
まずは、著者が述べるこの本の意義をまとめてみる。
世の中には当たり障りのない話があふれている。気分が良くなるような話だ。しかし、なぜ不満を持っていたり怒っている人が多いのだろう?
その答えはこうだ。
現実の世界の有り様そのものが、不愉快なものなのだ。
我々の理性にとって。
不愉快で残酷な世界に対処するためには、まず真実を見ることから始める。
その1つが、科学の成果だ。
そこで明らかになってきたことがある。
「ひとは幸福になるために生きているけど、幸福になるようにデザインされているわけではない」
私たちをデザインしているのは誰か??
神ではない。進化だ。
その進化論はこう主張する。
「身体だけでなく、ひとのこころも進化によってデザインされた」
この前提から導き出される真実こそが、私たちの感情、良識に反することなのだ。
とても不愉快である。
だから、なかなかその成果が集団に広まらない。それを主張することそのものが、禁忌的な扱いにされてしまう。
しかし、この本はその不愉快な言説を紹介してくれる。なぜならば、それはより真実に近いからだ。それらは、よほど役に立つはずである。社会に転がっている当たり障りのない言葉よりも。
遺伝率とは?
「身長の遺伝率が66パーセントというのは、背の高さのばらつきのうち66パーセントを遺伝で、34パーセントを環境で説明できるということ。」
この遺伝率という概念が厄介。この本の理解されなさも、この遺伝率という中心概念がわかりにくいものだからではないだろうか??
ポイントは、ばらつきの要因ということ。
行動遺伝学者として著名な安藤氏の説明を引用させてもらう。
遺伝の影響が60%とは、テスト得点が80点だったとき、その60%にあたる48点までは遺伝で取れ、残り40%ぶんの12点を環境が補ったというような意味では全くない。それはある集団の成員の「ばらつき」を説明する割合である。
「ばらつき」というのはややなじみのない概念だと思うので、「2階建ての建物の高さ」の比喩で考えてみよう。
この建物の高さを決めているのは1階だろうか、それとも2階の高さだろうか。この問いがナンセンスであることはすぐにお分かりいただけるだろう。
「2階建ての建物の高さ」は「1階の高さ+2階の高さ」なのであって、その両方がそろって初めて全体の高さが定まる。
しかしここに5軒の2階家があり、1階の高さは3mで一定、2階の高さだけが2mから4mのあいだでばらついていたとしたとき、この5軒の高さの「ばらつき」を決めているのは1階だろうか2階だろうか、という問いであれば意味がある。
これは100%、2階の高さで決まっている。つまり2階率100%だ。今度は逆に2階の高さが3mで一定、1階の高さだけが2mから4mのあいだで散らばっていたとしたら、これら2階家の高さの「ばらつき」における「1階率」は100%、「2階率」は0%ということになる。
ここで1階も2階も、同じように2mから4mのあいだでランダムにばらついた組み合わせからなる5軒の2階家の高さについて考え見ると、1階も2階も同じ程度に散らばっているので、だいたい1階率も2階率も50%ずつくらいとなる。
また1階のばらつきは2mから4mと2mの幅だが、2階のばらつきはその半分で2.5mから3.5mと1mの間しかないとしたら、1階対2階の比が2:1となり、1階率がおよそ67%、2階率がおよそ33%となる。
遺伝率は、定義としては「表現型の全分散(ばらつき)に占める遺伝分散(遺伝で説明できるばらつき)の割合」ということなんですが、直感的には、「ある集団の中で相対的に、ある性質が後天的にどのくらい変わりやすい」かを表していると考えてください。つまり、遺伝率が50%の形質より、遺伝率80%の形質の方が、ある特定の社会の中で、環境によって相対的順位を変えにくいということを表しています。
例えば、肥満傾向の強い遺伝子セットを持って生まれた人が痩せようと思ったら、そうでない人に比べて相当頑張らないといけないということです。
誤解されがちなんですが、持って生まれた性質は絶対に変わらないということではありません。あくまでも今のある社会における相対的な位置が、その社会で取りうる環境資源のバリエーションのもとで、どの程度変わりやすいかということ。
仮に身長の遺伝率が100%だとしても、社会全体が飢餓状態から飽食の時代に変わるなど、集団が全体として変われば、身長は伸びます。だけど今のその集団の中にある栄養の取り方のちがいやダイエット法の選び方くらいでは身長の順位は変わらない。一卵性双生児はそれぞれ同じ順位のまま、身長が高くなるという意味なんです。
うーん、伝わっただろうか??
詳しくはリンク先に飛んで、繰り返し読んでみてほしい。
そして、遺伝率を理解してから、「言ってはいけない」を再度読んでみるのがいいと思う。
安藤先生本人が出演し、遺伝について解説している動画もある。参考にして欲しい。
批判内容
売れた本だけあって、かなり批判も多い。
「遺伝が全てを決める」という誤読が最も多いように見える。これは、遺伝率の話からもわかるように、本書でこんなことは言っていない。
これら論理的ではない批判も多いが、「学問的なエビデンスが薄い」という批判もある。
・タイトルが煽っているから、中身も胡散臭い
・自分の意見に都合のいい研究成果のみ持ってきている
・環境が遺伝子を調整するというエピジェネティクスを無視している
・様々な角度から検証されたような学問的なエビデンスが薄い
「学問的なエビデンス」をどう捉えればいいか?
著者は、その学問界では多くの人に認められ、通説となっているような説を主には引用している。本書の中心にある根本的な「遺伝と心」についての研究成果は、たしかに通説とされるものが多いと思う。だから、数十年前の研究成果など、何度も確からしいことが確認されているデータを使用している。
それに、先ほども引用したような遺伝学の専門家の意見と大枠は一致している。(引用しているだけなのだから、あたりまえ)
本書は、多くの人に読んでもらうため、テーマを広げている。その分、細部の議論が荒いのかもしれない。しかし、中心的な考え方は、現代科学の成果を踏まえていると言っていいだろう。
それに、「エビデンスがない」と批判しているその本人の主張にエビデンスが感じられない。それに、ネットを検索してみると、科学者がこの本を批判している様子を見つけられなかった。
科学を扱ってそこそこ有名になる本の場合、中身が不適切ならば、それは「とんでも本」として批判される可能性が高い。
この本が「とんでも本」として扱われている様子はない。
しかし、もちろん科学に絶対はない。いつ、現在の定説が覆されるかはわからないのである。科学を盲信するのではなく、批判的な態度も重要だ。
だからこそ、本書を批判したいのなら、その批判も慎重に行うべきだ。
読解力のなさ
今回、この本の批判を探してみて感じたことがある。
それは、批判している人のほとんどは、この本の内容を理解できていない、ということだ。論理的な読解力、理解力が不足しているように見える。
これは、新井紀子氏が警鐘を鳴らしている事例そのものだと思う。彼女は人工知能を研究するうちに、人間のほうの読解力の劣化に気が付いた。危機を感じ、色々と教育界に掛け合っている。(劣化ではなく、人間の知能の分布からいって、読解力が低い人が存在するのは当たり前、という見方もある。いずれにせよ、教育でどこまでカバーできるのかは気になるところだ。)
本の読解力の前に、ツイッターを見てみれば、「日本語力」そのものがかなり怪しいツイートが散見している。
この新井氏の分析については、次の本が必読である。
また、橘玲氏本人も、この事態を分析している。
次の記事がおすすめだ。
この事実も、まさに「言ってはいけない」ことの一つなのだろう。
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まとめ
まとめると批判理由は、
・不愉快だから納得したくない
・そもそも理解力が足りない
・学問的な言説をどう扱うべきか慣れていない
だろうか。
不愉快なのは、まさにこの本が主張していることだし、誤読は論外である。
「学問的な言説をどう扱うべきか」ここは、かなり難しいと思う。色々な問題が絡んでいそう。科学をわかりやすく一般の人に伝えようとする営みには、必ずつきまとう論点だと思う。論じるには、もっと勉強が必要だ。
いろんな意味で勉強できる本だと思う。
ぜひ読んでみてほしい。