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科学の限界 ありのままの世界をとらえられない理由 ベルクソンの「持続」

記事の内容

 

今回の記事は、科学の限界について分析します。

 

科学と知の営みの性質をもう一度考えることで、科学の本性がわかる。そうすることで科学の限界と有効性が見えてきます。

 

科学という方法の範囲がわかることで、哲学などの他の方法の意味もより明確になるはずです。

 

科学では捉えられない世界の本当の姿を分析するために、ベルクソンの「持続という概念を紹介します。

 

それでは、目次をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

心脳問題 『脳がわかれば心がわかるか』

 

 

 

はんらんする脳科学・脳情報に振り回されず、「脳の時代」を生き抜くための処方箋を示した、平易かつ本質的なマップ(『心脳問題』2004年、朝日出版社刊)から12年を隔てた増補改訂版。改訂にあたって改題しました。

 

 

哲学における「心脳問題」というものを知っているでしょうか?

 

心は、脳さえ分かれば説明しつくせるのか?

 

実は、そこには大きなギャップがある。科学によって私たちの心を記述しようとするとき、そこにはどうしても感覚的な違和感、論理的な矛盾が残る。

 

脳科学の進展が著しい現代、脳で心をきっちり解明できるという主張には、鋭く深い批判が必要だ。

 

本書についてくわしくは、次の記事でまとめている。こちらの記事を読んでからの方が、今回の記事がよりわかると思う。

www.buchinuku.work

 

 

この心脳問題は、科学の限界を考える上で格好のテーマだ。

 

この記事では、本書の流れ、つまり心脳問題を意識しつつ、「持続」という概念についてまとめてみたい。

 

 

 

 

 

 

「特異性」が本来

 

実際の世界には、特異なこと、一度しか起こらないことだけが生じ続けている。

 

二度と同じ状態はない。

 

事実として、どれもかけがえのない状態である。私たち人間も、この地球も、二度と同じ状態にはならない。

 

一方、科学は「一般性」と「同一性」を用いる。

 

それなら、科学は「特異性」をとらえることができない。本来は、科学ではなく特異性が先にあり、特異性に満ちた世界なのだが。

 

 

 

 

 

 

「ひとつながりの流れ」しかない

 

「一度」「二度」と数えることすら本来はできない。

 

私たちの生活も、一つ一つの出来事として区切ることはできない。自然現象もただ続いているのであって、そこに本来区切りはない。

 

この宇宙、地球、生物などの過程は、本来、「ひとつながりの流れ」としか表現できないようなものだ。

 

 

その流れ、特異なもの、一度しか生じない出来事、二度とあらわれない出来事のつながりから、人は関心に応じて同一であるとみなせる出来事をとりだしているわけです。

 

 

逆だと思ってしまいがちだが、特異性が先にあって一般性が見いだされる。

 

 

 

 

 

 

「持続」

 

科学は特異な出来事について、記述しつくすことができない。

 

科学は、何かと何かを同一のものとしてみなす。そうして初めて科学が成り立つ。

 

この同一性にも、さまざまなレベルがある。

 

一つ一つのリンゴは色も形も異なるのに、すべて同じリンゴと扱う。

 

ニューロンを同一視すれば、脳は1000億のニューロンから成り立つことになる。

 

同一性をもちだすということは、本来あった違いが無視されてしまうことになる。

 

脳を同一視した場合抜け落ちるものは、私たちが生きてきた履歴である。誰一人として、おなじ生を送ってきた者はいない。

 

本来の分割も区別もできない生の流れを「持続」という。これは、哲学者アンリ・ベルクソンが唱えた概念である。

 

 

 

 

 

持続を科学でとらえようとすれば...

 

科学は、持続を持続のまま記述することができない。そもそも、それを目的としてもいない。

 

本来持続である心や脳を、同一性によって記述しようとすればおかしなことになるのはあたりまえ。

 

同一性をもちいる知の営みには、必ずついてまわる問題である。こうした前提のせいでどうしても引き起こされてしまう問題は、科学の副作用のようなものだと本書では指摘されている。

 

同一性を用いた記述に成功するためには、特異なもの、つまり持続を引き換えにしなければならない。しかし、「心を解明する」ということは、持続としての心をとらえることだと期待してしまっている。

 

ここにも、「回帰する疑似問題」がみえている。

 

目的を達成したいのに、道具の選択の時点でミスが含まれている。

 

科学という道具の性質である。

 

「言葉」を使った知の限界ともいえる気がする。

 

 

 

 

 

 

持続としての心を見つめる

 

持続そのものを適切にとらえる言葉はない。

持続は、同一性や一般性では記述しつくせない。

 

 

哲学の歴史上にあらわれた無数の議論の大半は、持続と同一性の齟齬をめぐる検討であったこと、そしていまもなおそうありつづけていることがわかるでしょう。

 

 

そのつど、科学による説明から抜け落ちることに、自身で気が付き続けるべきだ、という。

 

自分の足場をチェックするしかない。そうした経験の条件を絶えずチェックすることに哲学は役立つはずだ、と著者は強調している。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

心脳問題、そして、科学の限界、哲学の有効性についていいヒントになったでしょうか?

 

考えるためのいいヒントになったならうれしいです。

 

さらに詳しくは、ぜひいろいろな本へと進んでみてほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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