記事の内容
ついに、「手塚治虫AI」による漫画『ぱいどん』が登場した。
AIが手塚治虫の特徴を学習し、ストーリーを創作したというのだ!!
ブラックジャックなど、手塚治虫の作品は個人的にも大好きだ。そして、私はAI論にも関心がある。
だからこそ、この「手塚治虫AI」に関しては、一歩深く考えておきたい。
今回の記事では、手塚治虫AIをもとに、AI創作の本質について、何点かまとめる。それでは、目次をどうぞ。
「手塚治虫AI」の誕生⁉⁉
ぜひ、この動画を見てみてほしい。
この動画を見るに、
・物語の簡単なあらすじ
・キャラ設定
などの原案を、AIがアウトプットしたらしい。
そこから、人間が使えそうなものを選び、細部を決めていった。実際にマンガを描いたのは、人間である。
人間による意味の編集ありき
「AIが生み出したアイデアから、人間が使えそうなものを取捨選択し編集した」
ここが、ポイントだと思う。
AIは、意味を考えずにただ記号を処理する。アウトプットの意味内容を理解してはいない。AIは「意味」をわかっていない、これは本質的に重要だ。
だから、意味を扱える人間が編集する必要がある。
「面白い」という概念こそ、意味を土台にしている。
人間が面白いと思う対象の性質を完全に分析することができていない以上、「面白さ」の記号化は難しい。つまり、AIに面白さを計算することは原理的にできない。
もちろん、面白さの定義を数値ですることで、限定的には評価が可能になるだろう。しかし、その評価軸では、新しい創造がうまれるのだろうか?AIは過去を学習する。学習したことのフレームを超えるアウトプットは出てこない。
ルールに沿ったアウトプットしか望めない。
AIは人を感動させられるか
・「面白さ」とは、意味にあふれた世界
・AIは意味を分かることができない(AIは記号処理機械にすぎない)
この2軸が揺らがない限り、完全にAIがすべてを創作するのは難しいだろう。製作過程のどこかに、人間による「意味の編集」が入るはずだ。
結局、今回の例では、AIの支援を受けて、人間が創作しているにすぎないのだと思う。
また、AIで人間は感動するのか、という点でも、ツッコミどころがある。AIは、過去の手塚治虫の特徴を学習している。つまり、そのアウトプットで、私たち人間が感動したということは、AIではなく手塚治虫に感動させられているということではないか。
さらに考えていくには、感動とは何かが分からなければいけない。これまた難問だ。
AI創作の倫理
次の記事でも紹介した『AI倫理 人工知能は責任をとれるのか』という本からも、ヒントを得たい。生命と機械の違いというAIの本質など、くわしくはぜひ次の記事へ進んでみてほしい。
本書における「AI創作」の章の内容をまとめてみる。
AIは、基本的に論理的なプログラムに過ぎない。そこには、生物的な自律性はない。
芸術家の独創性が自由意志に基づくものであるならば、自由意志のないAIには根本的に不可能になる。
芸術家の創作は、彼らの生命活動に支えられている。そうした個人性が独創性につながっていく。
しかし、AIがしているのは「剽窃と模倣」だ。アーティストなら許されない行為を、機械にやらせるならいいだろうとしているのが、現状のAI創作の実態である、と著者は指摘する。
AI創作の価値とは?
・商業的成功
人の心を惹きつける作品を手軽にて大量に製作できる。しかし、芸術的価値は低い。「近代芸術の死」をもたらすかもしれない。
・アーティストへの刺激として有効
AIとの対話、AI創作に触れることは、アーティストにとって、新しい視点になるかもしれない。高度に複雑化したAIシステムは、擬似的に人格を持っているかのように人間には見える可能性がある。だから、アーティストに新しい刺激となる。
記号と意味 数理論理学
AI、そして土台になるコンピュータを理解するには、「記号と意味」の違いを抑えることが重要だ。だから、コンピュータサイエンスの基礎となっている数理論理学を勉強することをおすすめしたい。
まとめ
手塚治虫AIは、とてもおもしろい試みだとおもう。どこまでがAI創作なのか、という論点も、もっと議論されるようになるはずだ。なによりも、手塚治虫が生きていたら、この試みをどう思うのか聞いてみたい。とても面白がるのではないか。
個人的には、クリエイターである人間の発想の援助というあたりにすぐに応用できそうだとおもう。主体性を持つAIが誕生する未来よりも、より人間を援助するという形での応用が現れそうだ。
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