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キャサリンはどのように子供を産んだのか?【ネタバレ解説】どんどんつながる森博嗣の世界

記事の内容

森博嗣の最新シリーズである「WWシリーズ」の新刊が発売されました。

 

タイトルは、『キャサリンはどのように子供を産んだのか?』です。

 

さっそく読んだので、ネタバレ考察をしていきます。

 

今作は、いつも以上に、抽象的ではっきりとはしない内容でした。SF度、哲学度が上がっています。

 

個人的な解釈にはなりますが、考えられる限り、考察していきます。

それでは、目次をご覧ください。

 

 

 

 

 

キャサリンはどのように子供を産んだのか?

 

 

 

国家反逆罪の被疑者であるキャサリン・クーパ博士と彼女の元を訪れていた検事局の八人が、忽然と姿を消した。博士は先天的な疾患のため研究所に作られた無菌ドームから出ることができず、研究所は、人工知能による完璧なセキュリティ下に置かれていた。
消えた九人の謎を探るグアトは、博士は無菌ドーム内で出産し、閉じた世界に母子だけで暮らしていたという情報を得るのだが。

amazon商品紹介より引用

 

あらすじからわかるように、どこかで聞いたことがあるような流れ。

 

そう、森博嗣の記念すべき一作目である『すべてがFになる』の状況に似ているのだ。

 

なんと、驚くべきことに二つの作品は続いている。この繋がりがはっきりと本書では明言されることになる。ここは、古くからのファンにはとても嬉しいところだ。改めて、著者の世界観に驚愕する。

 

それでは、本所のネタバレに沿って、いくつかの点を考察したい。

 

 

 

 

 

 

以下、重大なネタバレが含まれるので、まだ読んでいない方はご注意を。

 

 

 

 

 

 

 

姿を消したカラクリ

 

どうやって、キャサリン母子と検事局の8人は姿を消したのか?

 

ここが本作の中心テーマにつながっている。

 

 

その解答はこうだ。

 

姿を消したかどうかは、どうでもいい!

 

本書では、少なくともキャサリン母子については、最初から物理世界に存在していなかったと推理される。

 

キャサリン博士は、自らの存在を電子空間に移していたのだ。だから、そもそも現実から消えていた。さらに、娘はそもそも現実世界で産まれたのではなく、最初から電子的な存在だった。

 

この事件のカラクリとは、研究所内という隔離された電子空間から、広大な電子空間への脱出劇だったのだ。

 

消えた8人については、物理的に処理されたのだろうと想像される。なぜ8人が処理されたのか、その理由は曖昧だ。案の定、はっきりとした答え、謎解きは用意されない。ミステリー作品ではないからだ。

 

本書の中心テーマは、「存在とは何か」ということだろう。以降、関連して考察していく。

 

 

 

 

 

存在

 

この小説の舞台は、今から2世紀ほど後の世界だ。そこでは、電子空間が発展している。電子空間に広がるAI、電子空間に没入する人間たちがいる。それに、ウォーカロンと呼ばれる有機的なヒューマノイドも存在している。

 

物理世界だけではなく、電子空間がとんでもなく広がっているのだ。そんな背景において、「存在」とはどういう意味をもつのだろうか。本書では、物理世界にあることだけが存在だという考えを否定している。

 

 

人が機械に近づき、生きているものと、生きていないものの境界が曖昧になってしまった。人は死ななくなったし、生まれなくなった。そうなると、もうほとんど生きていないのと同じなんだ。一方では、ヴァーチャルの解像度がどんどん増して、あらゆるものがデジタル化して、その中に現実を取り込もうとしているわけだから、今度は、存在そのものが、わかりにくくなってしまった。なんというのか、夢か現か、どちらでも良いみたいな感じになっている

 

 

 

クーパ博士と彼女の娘の存在、それに、検事局の八人の存在を明かすことだ、とほとんどの知能が認識しているはずだ。  だが、そもそも、存在など曖昧で不確定である、という素粒子レベルの価値観が、僕たち生命体のレイヤにまで及んでいるとすれば、この事件は発生する以前から既に提示され、ずっと以前、それこそ太古の時代から解決していたともいえる。  十人は、そもそも存在したのか、その認識が、事件の真相であり、解決なのである。  僕は、ようやく本質に辿り着き、真の疑問、真の課題に身震いを覚えた。

 

 

夢か現実かどちらでもいい。区別することは、無意味だ。

 

存在とは一時的な区切りに過ぎない。その実態は、赤色とオレンジ色の違いのように、絶対ではない。

 

こうした生命、存在の本質論は、あらゆる哲学や科学にて、確かな言論が展開されてきた。本書の舞台では、やっとそうした本質が社会に実装されたのだと思う。電子空間の発展のおかげだ。

 

つまり、「姿が消えたのはどうしてか」という問題は、一種の疑似問題だったのだ。問いの立て方自体が間違っていた。それは、本質を考えてみれば、問題でも何でもなかった。この発想の転換が、グアトがたどり着いた場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

電子空間における「子供」

 

本書では、もう一点大事な点がある。

 

それは、「子供」の正体だ。本書の世界では、現実の人間たちは、子どもを産むことができなくなっている。キャサリン博士は、子供を産むことに、彼女の研究成果から成功したのだという。

 

その正体とは、電子空間での話だったのだ。通常、電子空間での複製は容易だ。しかし、それではクローンのようなものに過ぎないという。博士が目指したのは、より現実の生命の「遺伝」に近いものだ。生命が子を成すのに近いことを、電子空間でも実現するための理論を博士は研究していたのだ。その成果のおかげで、彼女は電子空間にて、自らの子どもをもうける。名はミチルだ。

 

電子空間における「子供」とは、次のような役割を果たすのでは、と推論されている。

 

こちらから見れば、それは、影が二重になる程度の意味しかない。ほとんど同じことだ。でも、電子界では、さらに自分たちが生命だという意識が強くなるはずだ。生命としての自信、アイデンティティが生まれるだろう。

 

 

 

 

 

 

真賀田四季の登場

 

そして、本作には久々に真賀田四季が登場する。

 

これも、ファンにはとても嬉しい展開だ。そして、彼女の壮大な思想の一端が示される。

 

彼女は、すべてのものの全体である「世界」の外に、「世界」を作ろうとしているのだ、と。まるで、マトリョーシカ人形のようだ、と表現される。

 

そんな壮大な思考を、ぜひ本書を読んで味わって欲しい。

 

 

ヒントとなる記事として、次のものをおすすめしたい。

www.buchinuku.work

 

 

 

 

 

おなじみのキャラクターの変化、魅力

 

長く続くシリーズものなので、もちろんおなじみのキャラクターの活躍が楽しい。とくに、各キャラクターの変化が見所だ。

 

とくに、ロジやセリンの人間らしいところが見れる。ファンならおもわずニヤリとしてしまうはずだ。

 

 

 

 

 

まとめ

どんどん世界観が抽象的に、濃くなっている。こうした世界観を楽しめる人は、もっと楽しめるはずだ。

 

・「存在」「子供」という概念を再構築する

 

ここが本書の中心的な思考だった。

 

それに、細かいところでの思想が魅力的でもある。ぜひ、本書をじっくりと読んでみてほしい。

 

シリーズものであるので、おなじみのキャラクターたちの停滞と変化にも、ますます期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

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