記事の内容
「無限」とはなんだろうか?
言葉としては知っている人は多い。それに、人類にとって、無限という概念は重要な概念だった。しかし、数学的に分析されるまで時間がかかった。
厳密な論証、分析の体系でもある数学は、無限をどう扱ったのだろうか?
数学と無限。
このテーマに関心がある方にピッタリの本を今回は紹介したい。
それでは、目次をどうぞ。
「無限」に魅入られた天才数学者たち
数学に無限は付きもののように思えるが、では無限は数なのか? 数だと言うならどのくらい大きい? 実は無限を実在の「モノ」として扱ったのは19世紀のG・カントールが初めてだった。彼はそのために異端のレッテルを張られて苦しみ、無限に関する超難問を考え詰め精神を病んでしまう・・・・・・常識が通用しない無限のミステリアスな性質と、それに果敢に挑んだ数学者群像を描く傑作科学解説。
無限、人間はどう理性的に捉えようとしてきたのか?
ギリシャの哲学者から始まり、宗教や神学を経て、現代の数学につながる。
本書では、やはり集合論と無限論を基礎付けたカントールの話題が多い。数学だけの話ではなく、カントールその人自身についての記述も詳しい。
そのおかげで、カントールという生身の人間がどう無限と格闘してきたか、ざっくりと知ることができる。
そして、本書の到達点は、連続体仮説と数学の基礎との関係だ。連続体仮説というものが、どこまで評価されているのか、眺めることができるだろう。
無限と数直線、次元
本書で嬉しかったのは、無限と数について、数直線を例に考えてくれるところだ。
小学生のころから当たり前に目にしてきた数直線。そこには、奇妙で不思議な性質が満載だった。
本当の〝長さ〟、線というものの〝実質〟は、こうして数を数直線に押し込んだだけでは生じない。なるほど、すべての分数と整数(つまり全〝有理数〟)を押し込めば、数直線には無数の数が詰め込まれたことになるだろう。だがそうやってできたものは、無数に穴のあいた目の 粗い 篩 のようなものでしかない。そこに線としての実質はないのだ。数直線に真の構造を与えるためになくてはならないのが〝無理数〟なのである。無理数なしには、われわれが手にする「線」は無数の点の集まりにすぎない。それはぎっしりと詰まってはいるけれども、つながった線ではないのだ。
もしも数直線上ででたらめに数をひとつ〝選んだ〟とすると、その数は確率1で超越数となるだろう。有理数や代数的数も無限に存在してはいるが、超越数があまりにも多いため、有理数または代数的数が選び出される見込みはない。
数直線というわかりやすそうな対象にも、深遠たる無限が隠れている。無理数という超越数の性質が見えてくる。
また、無限と次元の関係にも驚愕の結果が導かれる。
直線と平面は次元が異なる。それならば、そこに含まれる無限個の点の濃度は異なるはずだ。しかし、両者の無限の濃度は同じだとカントールは証明した。これは、連続体である限り、n次元空間にまで拡張できる。無限に関する限り、次元といつ概念は意味をなさない。
超限数
カントールの新しさは、無限の中にも大小があると考えたことだ。数には最大の数はない。しかし、あらゆる有限数より大きな数が存在する可能性はある。それを彼は超限数と定義した。そのなかでも、最も小さい超限数をωと名付けた。有限数における1と同じ立場だ。
そして、そうした超限数について、算術規則も用意した。たとえば、奇数の無限と偶数の無限を足したら整数の無限になるが、元の無限と同じ濃度のままだ。
連続体仮説、選択公理に関しても詳しい
カントールが考え始めた無限は、数学の基礎と大きく関係していく。
・連続体仮説
自然数の濃度の次の無限こそ、実数の濃度であるという仮説だ。無限にもいろいろと種類がある。その順序に関する仮説だ。
そうした無限の種類を考えるために、カントールは「順序」に注目した。順序こそ、数同士の基本的な関係だからだ。それを、無限という対象についても考え始めた。
カントールの心は 逸った──個々のアレフの正体を突き止め、それら相互の関係を明らかにしたい、と。超限数という魅惑の園の扉を開けたカントールは、次にはアレフ相互の順序関係を知りたかった。
整列原理は、「すべての集合は整列させられる」という主張である。ある集合について、空集合以外のすべての部分集合が最小の要素をもつとき、その集合は整列集合であると言われる。
順序という性質を抜きにして数を捉える理論的方法はないことになる。数をごちゃごちゃに混ぜて、それらを順序をもたない集合として考えようとすることには意味がないのだ。連続体上の数はどうしようもなく順序に依存している。そのため、連続体について意味のある解析を行なおうとすれば整列原理の助けが必要になる。
無限と順序の関係を考えたカントールについて、『無限への飛翔(志賀浩二)』という本では次のような解説があった。
'並べる' という操作を、整列集合という概念のなかに包み込んだことに、カントルの概念形成に対する天才的な直感力とでもいうべきものが示されているようにみえる。無限集合を、いかに数えて並べていくかということは、整列集合をどのように調べていくかという、集合論の問題へと変わったのである。
ゲーデルの不完全性定理について
ある条件をみたす形式的体系では、証明も反証もできないような命題が存在する。
本書では、その命題のことを「認識できない」という言葉で説明している。しかし、ここでいう「認識できない」という言葉の意味はやや不明瞭だ。不完全性定理についての本ではないのだから仕方がないことだが。カントールの無限集合には終わりがないということと結びつけて語っているせいだろうか?
数学基礎論において、不完全性定理には触れないわけにはいかないが、本質を抑えつつ単純な説明はやはり難しいのかもしれない。
連続体仮説と狂気
ゲーデルとコーエンは、現行の公理系内部では連続体仮説は証明できないことを示した。したがって、別の公理系が作り上げられるまでは、連続体仮説は謎のままなのである。
結局、連続体仮説は望まれるような形では解決されなかった。
無限に挑んだ数学者として、カントール、つづいて、ゲーデルがあげられているが、二人とも精神に異常をきたしてしまう。この2人の結末についても、本書はわりと詳しく書かれている。タイトルのとおり、「数学者たち」に焦点が当たっている。
無限を目の当たりにすると、人は正気を保っていられないのだろうか?この真偽については、議論は不可能だろう。ただし、やはり天才とは狂気に近づいているように見える。
詳しくは、ぜひ本書へと進んでみてほしい。さらに、参考になる読み物を紹介しておきます。
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