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100分de名著 資本論【本紹介】資本主義は私たちの幸福なんてどうでもいい

記事の内容

経済に関するとても有名な著作といえば、マルクスの「資本論」でしょう。

 

しかし、読んだことがない人も多いはずです。にもかかわらず、その内容は資本主義社会にいきる現代の私たちにとって、ぜひ押さえておくべきものです。私自身、今回あらためてその内容に触れてみて、その重要さに驚かされました。

 

資本主義とは何なのか。

なぜ資本主義社会である現在は、格差が大きいのか、幸福感が低いのか。過労死などが発生してしまうのか。

 

そんな資本主義を見事に分析しているのが、マルクスの資本論です。

今回は、そんな資本論のエッセンスを紹介してくれる本を紹介します。

 

 

資本論の政治的な利用のされ方(マルクス主義)とは別に、資本論の主張を抑えてみましょう。資本主義社会とは一体なんなのかの構造的な分析として、とても価値があると思います。

 

 

 

 

 

それでは、本書からエッセンスを要約します。紫字の箇所は、私個人のコメントです。

 

 

 

 

商品化が進む以前の暮らしとは?

 

わたしたちの暮らしや社会は、自然に対してどんな働きかけをしたかで決まる。

 

「富」と商品のちがいは?

 

富とは、人々が豊かに暮らすのに必要なもの。たとえば、空気や水、豊かな大地、公園や図書館など。

 

こうした社会の富が、資本主義社会では「商品」になっていく。このせいで、社会の富が貧しくなっていることをマルクスは問題視した。みんなが使える富が資本によって独占され、貨幣を介した交換の対象、商品になる。どんなに生活に必要なものであっても、お金の無い人は手に入れることができなくなる!

 

富を利用できた社会と比べ、商品化された社会では、商品を通さないで生活することがほとんど不可能になる。

 

なぜ資本主義は富を商品化するのか?

 

誰もが使えるのならば、商品を作っても売れるわけがない。だから、囲い込む。そして、商品にするために、締め出した人々の労働を利用する。商品生産の担い手は、自らの労働力を提供するだけでなく、商品の買い手となって資本家に市場を提供することになる。

 

 

 

資本主義社会とそれ以外の社会との違いとは?

 資本主義社会では、

・あらゆるものが商品化され、社会の富が商品になる

・労働の目的が他の社会とは異なる

 

資本主義以外の社会での労働は、人間の欲求を満たすため。こうした欲望は具体的なモノと結びついているため、一定の限界がある。おいしいものを無限に食べることは不可能。

 

しかし、資本主義社会の目的は異なる。「資本を増やす」こと自体が目的なのである。だから、資本主義社会では、目先の金儲けを止めることができない。

 

だから、資本主義社会で生産される商品の性質にも特徴がある。生活に本当に必要なものではなく、それがどれくらい売れそうか、どれくらい資本を増やすことに貢献してくれるか、が重視される。とにかく売れそうなものを生産するのが目的になる。

 

 

 

商品の二つの側面とは?

 

・使用価値

人間にとって役に立つこと。人間の欲求を満たす力。食べ物には空腹を満たす力、マスクには感染予防という力がある。資本主義社会以外での生産の目的。

 

・価値

商品を市場で交換するための指標。その商品を生産するのにどれくらいの労働時間が必要であったかによって決まる。労働価値説。使用価値は実感することが可能だが、価値は人間の五感ではとらえられない。幻のようなもの。

 

人間が労働して作り出したはずなのに、価値は独立に動いていく。その結果、人間が逆に価値の変動にコントロールされてしまう。物象化。

 

わたしたちは、経済を「回させられている」。

 

人間のために経済を回すのではなく、経済を回すこと自体が一種の自己目的になって、人間は、資本主義経済という自動装置の歯車としてしか生きられなくなっている。これこそが、マルクスが指摘した物象化の世界なのです。

 

 

使用価値と価値の対立、富と商品の対立が、人間にも自然にも破壊的な帰結をもたらすとマルクスは警告。

 

 

 

 

そもそも、「資本」ってなに?

 

マルクスの答え

「お金でも、物でもない。資本とは運動。絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動のこと。」

 

お金や商品は「価値」のかりそめの姿。価値が主体となって、その運動が自動化されていく。

 

資本家すらも、自動化された価値増殖運動の歯車でしかない。価値の自己増殖はだれにも止められない。

 

「資本=運動」とは、とても抽象的。何か固定的な実体のことではない。つまり、これが資本だよと指し示すことができない。私たち人間の目に映るのは、ある瞬間のきりとりでしかない。つまり、運動、変化とは私たちの想像の中にある。これは、資本の定義の中に含まれる「価値」が、わたしたちの想像の中の存在だからなのだろうか。人間には止められない価値の増殖運動。超越論的でもある。「人間にはどうしようもなくなる、逆に価値に人間がコントロールされてしまう」ということの理屈をもう少し深掘りしておきたくもある。

 

資本とは数学的存在物なのだろうか。たしかに、資本の運動の様子は計算式で表すことができる。ということは、資本とは「式」「アルゴリズム」と言えるか。しかし、数学的存在物とはなにかという根源的な問いに戻ってしまう。

 

自然数は、数えられるうちは現実に存在しているように見える。しかし、無限まで数えることは現実にはできない。無限まで射程に入れるならば、数学世界での話になる。「三平方の定理」はどうか?現実の直角三角形には必ず当てはまる。ではなぜ、数学世界における定理が、現実と一致するのか。

 

数学の哲学の深みにはまってしまう。数学について深ぼる経験の本質は凄まじいのかもしれない。その応用例が、今回のような「資本」の本質を理解することにつながるのだろう。

 

 

 

 

生産力向上は、なぜ労働者を幸せにしないの?

 

生産力が上がり物が安くなれば、その分賃金も安くてすむ。同じ時間働かせるのに、その賃金は安くなる。

 

さらに、生産力向上のために進むことは、労働者の徹底的な管理システムだ。それが、労働者が本来持っている、労働力という富を奪う。

 

労働からの疎外とは、自分の頭で裁量をもって生産活動をすることができなくなること。生産力が高まるということは、あくまでも利潤の追求が目的。労働者の働き方をよくするということとは全然目的が別。

 

管理され、機械になることを強いられる。過酷な労働環境の仕事だけではなく、高給取りでも、社会的にどんな意味があるのか不明なマニュアル仕事も多い。(ブルシットジョブ)

 

本来の人間がもっている労働力は、豊かな富でもあった。こうした富を取り戻すためには、自律性の回復が重要であるとマルクスは言う。

 

 

 

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