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【ひろゆきvsメンタリストDaigo】 個人的感想 いい討論ってなんだろう?

記事の内容

 

アベマプライムで放送されたひろゆきとメンタリストDaigoの討論番組。愛を込めて、敬称は略させて頂きます。

 

 

この2人がメディアで共演するのは珍しいですよね。

視聴者の期待も高かった回でした。

 

みなさんは、今回の討論を見てどんな感想を持ったでしょうか?

 

私の個人的な感想を今回はまとめます。

 

  

 

 

討論になっていなかった

 

まずはじめに感じたことは、討論になっていないじゃん、というもの。

 

あるテーマについて賛成か反対かに分かれて意見を戦わせる。それがなかった。ひろゆきとdaigo、双方ともに討論にならなかったと認めている。

 

では、なぜ討論にならなかったのか?

 

討論のフィールドが整っていない。番組サイドのせいだ。なぜなら、用意された議題があいまいすぎる。

 

そのせいで、賢く合理的な2人の意見は似たものになってしまう。賛成か反対かに分かれない。意見が戦うことにならない。そのために、ひろゆきが司会のようになり、討論になるようにDaigoに質問を繰り返していた。

 

もっと具体的なテーマならば、2人の意見がわかれ討論になった可能性がある。たとえば、後半では「アルコールを摂取した人間から発せられる臭いを猫が嫌がるかどうか」について、やや盛り上がった。これも、ひろゆきが討論になるように誘導してくれたおかげだろう。

 

ひろゆきのおかげで、ある程度、討論風になっていた。彼が話を誘導しなければ、2人とも同意見で即効終了になっていただろう。

 

ひろゆきさまさまですね。

 

 

 

いい討論にするにはどうすればよかったのか?

 

ひろゆき、Daigo2人とも普段から自身の意見を積極的に発信している。その意見のなかで、自分は反対だと思うテーマをお互いに探せばいい。

 

普段ひろゆきが発信した意見に対して、daigoが反対したいもの。

普段daigoが発信した意見に対して、ひろゆきが反対したいもの。

 

これらを討論の議題にしたならば、最初から賛成か反対かに分かれているため、討論になるだろう。

 

そして、さらにより良い討論にするために欠かせないことがある。ジャッジの存在だ。高度な討論を整理し、印象に左右されず、中立的に論理を判断する必要がある。訓練がいる。

 

今回の番組では、視聴者にジャッジを任せていた。これはまずい。視聴者は、ジャッジのプロではないからだ。YouTubeのコメント欄にも、何を見て判断すればいいのかわからなかったというコメントが多かった。もっとも今回の場合、視聴者のせいではなく、番組のせいだろう。

 

 

 

 

論破しやすい方法

 

討論を成り立たせようと誘導していたひろゆきの方法論にフォーカスしてみる。

 

自分が意見を言う前に、相手に言わせていた。自分は前提を整理し相手に質問する。相手に意見を言わせる。

 

そうすると、論破しやすくなる。

 

なぜなら、論理的に穴のない主張を作るのは、理論上ほとんど不可能だからだ。よって、意見を攻撃する側になった方が楽。相手の意見の穴をつけばいいからだ。

 

論破するために、対案となる意見を用意する必要は必ずしもない。相手の意見の穴さえつけば論破したことになるからだ。

 

一方、まともな討論の場合、賛成の意見と反対の意見、両方が存在することが前提となる。だから、相手の意見の穴をつくだけではなく、自分の意見の正当性をできるだけ高める必要がある。

 

 

 

 

討論ではなく、討論風エンタメ

 

アベマプライムという番組の目的にフォーカスしてみる。

 

アベマプライムでは、討論と名のつく放送回も多い。それを見るたびに思っていたことがある。

 

なぜ討論の専門家、ジャッジを呼ばないのか?

 

ジャッジする存在がいないせいで、毎回ゲスト達の意見が垂れ流されて終わる。ここに生産性はあるのだろうか?事実の徹底的な追求はあるのか?

 

生産性を目的にして、番組作りをしているのだろうか?そうでないのならば、何を目的にして番組作りをしているのか?

 

やはり、彼らは視聴率優先なのだろう。エンタメが優先なわけだ。

 

そうなると、アベプラという番組は、事実の追求をしたいわけではない。討論ではなく、「討論風エンタメ」がやりたいことなのだろう。

 

 

 

 

マスコミの目的、役割とは?

 

アベマプライムの以前の放送にて、陰謀論、Qアノン特集があった。反対意見になかなか耳を貸そうとしないQアノンの信者であるゲストに、フリージャーナリストの堀潤が放った一言が印象的だった。

 

「君たちは事実ではなく意見を言いたいだけ」

 

これはそのまま、アベマプライムという番組にも刺さらないか?

 

事実の追求ではなく、意見を垂れ流しているだけ。エンタメ度が高くなればそれでいい。

 

それならば、構造的に、論理的に、陰謀論者たちと変わらないのではないか。

 

マスコミ不信な日本の有様の中でも、アベマプライムの頑張りには個人的にとても期待している。だからこそ、彼らに番組作りの目的を改めて聞いてみたい。

 

目的、信念を視聴者にはっきりと掲示することこそ、マスコミの信頼回復の第一歩なのではないか。今のままだと、アベマプライムも、従来のマスコミと本質的には変わらないままのように感じる。

 

みなさんは、マスコミになにを求めるだろうか。

 

 

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