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【東浩紀と堀江貴文の久々の対談】感想 「伝えるのではく、考えさせたい」

記事の内容

NewsPicksにて、東浩紀と堀江貴文が久々の共演になりました!!

この二人の対談は貴重ですよね。以下、愛をこめてあずまんと呼ばせていただきます(笑)

 

 

今回の対談テーマは、「インターネット時代の言論」だそうです。

 

内容の一部だけが、youtubeで無料公開されています。有料部分までは見れていないこと、有料部分についての具体的な感想を書くのは著作権的に気になることをふまえ、無料公開部分だけについての感想を今回は書いていきます。

 

それでは、目次をご覧ください。

あくまでも個人の感想です。

 

 

東浩紀「伝えるのではく、考えさせたい」

 

考えさせるということは、効率性ということとは真っ向から反する。

 

時間をとって考えさせるにはどうすればいいかが僕にとっての課題。

 

「新しいこと」は考えさせないと伝わらない。人は、知っていることしか受け取れない。

 

ハッシュタグを見て意見を変える人はいない。もともとそう思っている人の間で反復しているだけ。

 

 

彼の言葉をもとに、何点か考えてみる。

 

 

 

 

人は知っていることしか受け取れない

 

まず、現代においてこの指摘ほど重要なものはないだろう。

 

SNSのおかげで、コミュニケーションの形が可視化された。そこでは次のような印象をうける。

 

かみ合わない議論、読解力のない返し。

読解力のいらない攻撃系や感動系のツイートのリツイートのされやすさ。

 

自分の知っていることだけで情報がぐるぐると回っている。

 

コミュニケーションの本質的な難しさを感じる。他者と交流し話し合うということは、自分の中にはないことを受け入れることでもある。しかし、SNSのようなインスタントなコミュニケーションの場所では、自分の中にあるものだけでやり取りすることが楽だ。時間をかけなくていい。

 

しかし、本来必要なはずの新しいものを受け入れるためには、じっくりと時間をかけて考える必要がある。

 

 

 

「考えないこと」を加速させているものはなんだろう?

 

ひとつに、人は情報を鵜呑みにしやすいという性質があると思う。

 

そして、怖いのは、特定の人の言うことをうのみにしてしまうことだ。そこには一番重要であるはずの「思考」がなくなってしまう。

 

私自身もあずまんのファンだ。つい、彼の言うことは正しいのだと無意識レベルで受け取ってしまう瞬間があると思う。

 

この構造の例は、SNS時代だからこそみられる。

 

たとえば、オンラインサロンだ。信者ビジネスとも揶揄される。けれど、揶揄するだけで終わってはいけない。なぜならば、人はだれでも、他者の言うことをうのみにしてしまう傾向があるからだ。

 

では、うのみにしないためにはどうすればいいのか。その人が言った答えに注目するのではなく、その答えを導き出した考え方に注目した方がいい。考える方法を吸収するのだ。そうすれば、答えを聞いたとき、あ、この人はこういうプロセスで考えたのか、と自分も考えることができる。考えることさえできれば、答えをそのままうのみにするのではなく、自分なりの答えも見えてくる。考えることによって、相対化できる。

 

しかし、これはかなり理想論だ。実際に、こうして思考を挟むことはかなり難しい。人間の脳の癖のせいだ。認知バイアスという。たとえば、人の認知は初めて触れる情報をうのみにするように出来上がっている。だから、その認知の癖から逃げることはかなり難しい。

 

ではどうすればいいだろう。知恵ある人たちの考え方を盗みまくることだけでは足りない。常に、自分の思考パターンを疑うべきだ。自分が考えていること、思い込んでいることを再考していく。これは、一般的に年をとればとるほど難しくなっていくかもしれない。こうでもしないと、どんどん考えなくなっていってしまう。

 

「考えないで生きていくのは楽」「自分で考えて自由になりたい」という矛盾するような性質を併せ持つのが人間なのではないか。

 

 

 

 

なぜ考えるべきなんだろう?

 

根本的な点に戻るが、どうしてあずまんは人に考えてもらいたいのだろう。彼の目的を深く聞いてみたい。

人は考えないで生きていた方が楽だ。基本的に考えることは面倒なことだと思っている人は多いのではないか。その帰結が、現在のインスタントでわかりやすいコンテンツ、ハッシュタグによるリツイートだ。

 

なぜ考えてもらうコンテンツを発信するのか。

 

・長期的な視点に立ったとき、じっくり考えるという作業が増えないと社会はよくならない。

・インスタントな情報を知ることよりも、時間をかけて考えることの方が楽しい。

 

このような考えが背景にあるのだと思う。みなさんはどう感じるだろう?

 

 

 

 

考えさせないように社会はできている

 

資本主義では、「いかに物を売りつけるのか」という基準で回っている。だから、個人にあまり考えてもらっては困る。

商業主義てき。新しい情報のバーゲンセール。不安商法。考えさせない構造になっている。

 

「人はは知っていることだけしかうけとらない」というあずまんの指摘はするどい。この性質に資本主義社会の論理はぴったりなのだろう。

 

youtubeを見ていても、「わかりやすい~」「何分ですべてわかる~」と伝わりやすい動画があふれている。あずまんが言う通り、そこに「考えること」はいらない。みんなんがこの状況を当たり前だと感じすぎているのではないか。すぐにわかるような情報だけを得て生活していけばいい、と。

 

自分で自分のことを考えなくても生きていける社会ならば、そのままでいいと思う。しかし、この現実世界、考えなくてもいいのだろうか?他人から与えられた価値観で生きていけばいいのだろうか?これには、NOと答える人が多いと思う。

 

だから、社会の構造、風潮にさからい、考える習慣をつけるしかない。そんなとき、あずまんのような存在は、とても参考になると思う。

 

 

 

youtubeのコメント欄をつかう

youtubeのいいところは、動画にコメントが付くところだ。

 

ぜひ、あずまんとホリエモンの対談動画のコメント欄もみてみてほしい。

 

そこには、いろいろな人の考えがある。それをみて、自分とは異なる意見に注目してみるのがいい。ただし、コメント欄も基本的に大多数の意見に染まってしまう傾向がある。多数に合わせるという人間の仕方がない習性だ。だからこそ、小数意見に目をとめることは、考えることへと導いてくれる。

 

また、そうしたコメントを見ることで、発信者にしたがう信者たちという構造を観察することもできる。人間という生物が集団になると、信者構造、宗教構造が自然とできあがってしまうのだろう。こうした観察そのものもとても勉強になるはずだ。

 

 

 

 

 

まとめ

 

皆さんはどう感じたでしょうか。

個人的には、次のような問いを考え続けていきたいなと感じています。

 

・「人は知っていることだけしか受け取らない」のなら、新しいことを積極的に考えていくにはどうすればいいか

・特定の人の言うことだけを鵜呑みにするのを避けるにはどうすればいいか。信者ビジネスの養分にされないためにはどうすればいいのか。

・人を考えさせるようなコンテンツを発信するにはどうすればいいのか。

・あずまんが人を考えさせたい理由はなんだろう。彼の目的とはなにか。

・なぜ人は考えるべきなのか。

・「考えないで生きていくのは楽」「自分で考えて自由になりたい」という矛盾するような性質を併せ持つのが人間なのではないか。

 

とくに、考えることの意味については自分なりの答えを探していきたい。

みなさんは考えたいでしょうか?それとも、考えたくないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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