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ビットコインは貨幣になるのか?
多くの人が注目している論点だ。
この問いに答えるためには、なにを考えればいいだろうか。
貨幣というものを徹底的に考察してみるのはどうか。
貨幣とはなんだろう。
今回は、この問いにヒントをくれる本を紹介したい。
『岩井克人 欲望の貨幣論を語る』という本だ。
この本のエッセンスを記事では紹介したい。
それでは、目次をご覧ください。
ビットコインは貨幣にならない
貨幣が貨幣になりうることの条件とはなにか。
お金そのものに価値があるわけではない。
例えば、100円硬貨そのものの材料が銀だとしよう。そうすると、100円硬貨は、100円以上の価値をもつ。使わず持ち続ける方が得になる。そんな貨幣はだれも使わないだろう。
国がお金の価値を保証するから、お金が流通するわけでもない。価値を保証する存在がいないのに、貨幣が機能していた例は歴史上みられる。
では、どうすれなお金はお金になるのか?
みんながお金として使うようになれば、そのお金は普及する。
つまり、貨幣の価値は社会が与えるのだ。
みんなが使っているから私も使う。
貨幣が成り立つ根拠は、この事実のみなのだ。
何か実体的な根拠があるわけではない。
底が抜けている。これを、著者は貨幣の自己循環論法としている。
貨幣が貨幣であるための条件。それを著者は、貨幣の基本定理と呼ぶ。次のような関係式だ。
お金のお金としての価値 > お金のモノとしての価値
この基本定理から、ビットコインが貨幣にならないことが導かれる。
なぜならば、ビットコインは投機商品になってしまったからだ。つまり、ビットコインそのものの価値が、お金として使う価値よりもずっと大きくなってしまっている。
お金として使うのではなく、投機目的で保有する人ばかりになっている。
よって、ビットコインはお金として使えないのだ。
合理的な予想が、不合理な不安定性に行き着く
ハイエクやフリードマンが唱えたのは新自由主義だ。市場の障害となる政府や、非合理的な参加者が減れば、資本主義の効率と安定性は増すというアイデアだ。
フリードマンは、投機安定化論を唱えた。市場では、合理的な参加者のみが結果的に生き残る。よって、合理的な参加者たちが生き残った市場は安定にむかう。
そして、この投機安定化論を否定したのがケインズだ。
美人コンテストという例えをあげている。
みんなが美人だと思う美人を当てることができたら、賞金がもらえる。
多くの人が予想することを予想しなければならない。
つまり、根拠はないのだ。予想の無限ループに陥る。よって、皆が合理的に予想した結果、不合理に行き着いてしまう。
おカネは純粋な投機である
著者である岩井克人は、おカネそのものこそ投機であると言い切る。
投機とは、自分がモノとして使うためではなく、将来、他の人に売るために何かを買うことだ。
続けて、著者は、投機として意識されない限りにおいてカネはカネになる、と見抜く。
この視点は面白い。
例を見よう。
おカネのバブルで、おカネの価値がどんどん上がれば、みんなおカネを使わなくなってしまう。投機性を皆が意識しだすと、おカネはいつものように使われなくなっていく。
資本主義の前提には、貨幣がある。
しかし、その貨幣も投機なのだ。
投機はかならずバブルという不安定性につながる。
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