記事の内容
この記事は、ニュースの感想です。
今回扱うテーマは、アベマプライムで配信された「見るハラ」です。
2022/7/15
【見るハラ】“性的な目線“セクハラの境界は?「そもそも人をジロジロ見ないように」当事者と議論
感想 解決むずいよね
今回の内容を見てみると、
「見るハラ」の定義は、10秒以上ジロジロと見続けること
大体このような落としどころだったと思う。
そして、放送内での結論は、だいたいこんなところだ。
・法的に規制することは難しい
・社会の価値観を変えていくことで解決したい
とある出演者は次のように解決方針を示していた。
「いやな人がいるなら、見ることは失礼だね、という風な文化にしていこう、というのがあるべき形だと個人的には思う」
解決性の観点からツッコミを入れたい。
率直に感じたのが、「いや、すでにそんな社会になってるんじゃない?」ということだ。
10秒以上ジロジロと見続けることって失礼だよね、という感覚は、現状の日本でも大体の人が共有していると思う。
それにも関わらず、人に不快感を与えるほどジロジロ見続けることをしてしまうタイプの人がいる。倫理や道徳を説いて、その人の価値観を変えることはできるだろうか?できない可能性が高い。
現状すでに倫理、文化はそろっている。
つまり、平気で10秒以上ジロジロと見続けるような行為をしてしまう人の発生を防ぐために、単なる意識改革を持ち出すことは効果が低い。
「加害」という言葉について
くわえて気になったのは、「加害」という言葉だ。
ニュース内では、繰り返し、「加害」というワードが飛び交っていた。
何かが引っかかる。
加害という概念の適切な使い方が気になる。
加害が存在しているならば、それはすべて無くさなければならないものなのだろうか?
加害は絶対的に悪いことか?
加害という概念の使用には、慎重になった方がいいとおもう。
たとえば、加害をすべてまるっと無くすべきだ、という前提に立つならば、
「あなたの行為は加害です」という言葉、表現そのものも、誰かにとっては加害になりうるのだから、言えなくなってしまう。
しかし、殺人などの加害は、みんなが犯罪だとみなす。抑制すべきだろう。
ということは、許容されうる加害と許容すべきでない加害がある、ということだ。
明快に線引きできるものだろうか?
整理するためには、「公共性」という概念を参照する必要がある気がする。
たとえば、次の動画で、社会学者の宮台真司は
「てめえの快不快に公共性はない」
と述べている。
「"自称フェミニスト"には差別主義者がいる」宮台真司、安藤優子、加藤浩次と語るフェミニズムに嫌悪感が広がる理由
TPOによって、というが...
また、今回の見るハラは、TPOによっては、見るハラになったりならなかったりする、という。
とても当たり前な指摘だ。
しかし、どんなTPOなら見るハラになるのか?
そのジャッジに公平性があるのかどうか、引っかかってしまう。
・見た目が怖いイカつい人が、ジロジロ見てくる。
・見た目が爽やかな人が、ジロジロ見てくる。
どちらも、見るハラになる。
見た目以外にTPOの違いはない、とする。
しかし、不快度は一緒だろうか?
加害性は一緒だろうか?
TPOという言葉では片付けられない、根深い問題が潜んでいるとおもう。慎重に議論してほしい。
記事にする目的
・誰もが自由に意見を言える場を維持したい。
・話足りない人が話せる場所を作りたい。
意見や考えを自由に表現できない社会では、行き着くところは暴力しかない。意見には意見をぶつける。そのために、尊重すべきなのは、理屈です。
意見を数でつぶす。
ある種類の意見は取り上げない、まったく聞こうとしない。
これは、暴力です。
暴力は暴力を産みます。
つまり、公平な話し合いが無い社会では、行き着くところはテロなどの暴力でしょう。
理屈を尊重しようとしない人は、暴力に与することと同義です。
(まあ、かなり理想論ですよね。現実じゃ、暴力が強い。それに、公平な話し合いが行える社会になっても、犯罪、暴力がなくなるわけではありませんが....)
関連記事