記事の内容
この記事では、「正義の教室」という本を紹介します。
正義とはなにか?
自由とはなにか?
現代倫理学入門として最高の本でした。
学問としてもライトノベルとしても、とても楽しめます。
流石、哲学入門の導き手として名高い飲茶氏の本です。
気になった方は、ぜひ本記事を読んでみてほしい。
- 記事の内容
- 正義の教室 飲茶
- 正義の3つの基準
- 自由主義の核
- 強い自由主義の問題点
- 無知のヴェール それでも、みんなが賛成する正義がある
- 宗教の正義 直感主義
- 哲学史 物質・理性の世界とその外側
- ニーチェの神は死んだ、の本当の意味
- 本書の結論 正義とは?
- 「善」は全ての思考の源である
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正義の教室 飲茶
★5刷突破!「正義論」のロングセラー
30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?
ソクラテス、プラトン、ベンサム、
キルケゴール、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。
哲学者たちは「正義」をどう考えたのか?
ストーリーで学ぶ「哲学×正義」
★佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)
「抜群に面白い。サンデル教授の正義論よりもずっとためになる」
本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、
学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。
平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と
撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、
「正義とは何か?」について考え始めます……。
物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、
異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。
交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。
個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、
正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは! ?
amazon商品紹介より
正義の3つの基準
正義とはなにか?
平等、自由、宗教、この3つの行いを推し進めることが正義だ、と定義することから本書は始まる。
平等の正義を推し進めるには、功利主義、つまり幸福を求める。
自由の正義を推し進めるには、自由主義。自由を求める。
宗教の正義を推し進めるには、直観主義。道徳を求める。
私たちは、正しさに依存しなければ、何もできない。正しさから逃れられないのが人間だ。だから、正しさとは何か、思索を続ける必要がある。
自由主義の核
まずは、自由こそ正義である、という立場を考えよう。
それでは、自由主義の本質とはなにか?
2つに分けて本書では整理していく。
弱い自由主義と強い自由主義だ。
弱い自由主義では、幸福になるには自由が必要だ、だから自由を尊重しよう、となる。
自由ではなく、幸福が最優先になっている。
つまり、内実は功利主義に等しい。
一方で、本当の自由主義が、強い自由主義だ。
『自由を守ることは、結果にかかわらず、正義であり、 自由を奪うことは、結果にかかわらず、悪である』 そこに結果も事情も幸福も関係ない。いかなるケースにおいても、単純に、愚直に、たとえ誰が不幸になろうとも、自由を守ることが正義だと考える、それが強い自由主義だ
だから、強い自由主義の合言葉は次のようになる。
『自由にやれ。ただし、他人の自由を侵害しないかぎりにおいて』
かなり、説得力が高い。
この原則からは、こんな問いが浮かぶ。
人間には、自分の意思で不幸になる自由はあるか?
強い自由主義では、イエスとなる。
では、無自覚に自分の自由を放棄してしまう人間についてはどうすべきか?
人間はだれしも、バカなことをやってしまうことがある。行き過ぎたバカは、自分の人生を壊す。
違法薬物や危険運転。
不健康な生活。
軽い気持ちで起こす犯罪。
強い自由主義では、「バカな人間は死ねばいい」という結論が導かれてしまう。
いいよ、自分の好きにしな、と。
強い自由主義の問題点
- 富の再分配の停止による格差拡大、弱者排除
- 自己責任、個人主義の横行によるモラルの低下
- 当人同士の合意による非道徳行為の増加
強い自由主義への有効な反論を紹介しよう。
遠い未来の自分は、ほとんど他人のようなものである、というアイデアだ。
だから、遠い未来の自分の自由を侵害するような行為は、強い自由主義でも問題になる。
つまり、長い未来にわたって本人の自由を侵害してしまうような愚行は、強い自由主義においても制限されるべき、といえる。
けっこう納得できる反論だ。
しかし、この批判にも、いろいろとツッコミをできる。決定打にはならない。
無知のヴェール それでも、みんなが賛成する正義がある
強い自由主義では、「バカはそのまま死んでいい」という帰結をもたらす。しかし、やはりそんな帰結を否定する社会的な正義が存在すはずだ、という主張がある。
そんな正義の存在を示そうとしたのがロールズだ。
みんなが『何が自分の得になるか、損になるかわからない』という状態、つまり、完全に公平な状態を仮定したときに彼らが選択するもの、それこそが社会的な正義なのだとロールズは訴えかけたのです
人々がみな記憶喪失のような状態になった時、それでも拠り所にする価値観が2つあるという。
①差別はするな自由を保障せよ
②もっとも不幸な人の助けになっていれば、格差はあってもかまわない
無知のヴェールのもとでは、ほとんどの人がこの2点に納得するという。
たしかに、有効な主張のようだ。
宗教の正義 直感主義
次に、直感的、宗教的な正義論を紹介する。
まずは、「宗教的」の定義から。
では、『宗教的である』とは、もともとどういうことで、どう区別すべきものであるのか? 私は、『物質または理性を越えたところにある何かを信じていること』、それが宗教的であることの唯一の条件であり、その一点によって、宗教的かどうかの是非を見分けるべきであると考えている
物質の世界や言葉の世界を超えたところに、正義がある。
つまり、なぜそれが正義で私たちが従うべきなのか、説明のしようがない正義なのだ。
しかし、直感主義にも問題がある。
人間にどうやって正義を直感できるのか?
どうやって有限な存在である人間に、完全な正義を直感できるのか?
哲学史 物質・理性の世界とその外側
A
物質・理性で世界はおおえる。それを超えたものは何も無い。
B
それらを超えた世界に何ものかがある
直感主義的な正義、善は、Bの立場だ。
そして、本書のありがたいことに、哲学史をAとB、2つの立場の抗争として整理してくれる。
絶対主義vs相対主義
イデア論vs原子論
実在論vs唯名論
合理主義vs経験主義
右側がAの立場。左側がBの立場だ。
『善』や『正義』、他には『神』でも、『愛』でも、『意味』でも何でもいい。とにかくそういった見たり触れたりできない概念(イデア)的なものが、枠の外側……つまり人間の認識や理屈の外側に『本当に存在する』のかどうか……その争点だけを巡って人類は、2500年もの間、ひたすら考え続けてきたと言える
ニーチェの神は死んだ、の本当の意味
ニーチェが「神は死んだ」という言葉で否定したのは、Bの立場そのものだ。
物理や理性の外側の概念は、権力者たちが都合よく構築してきた捏造だ、と。
だから、超越的なものにすがらずに現実を生きよ、という実存主義が流行った。
そして、ニーチェ以降、超越的なものを語ろうとする哲学は廃れてしまったという。
本書の結論 正義とは?
正義は分からない。
分からない、が正解でもあり出発点だ。
迷いながらも、正義を求め考え続けようとする運動こそ正義だ。
人間は、完全な正義を直観できないし、知りようもない。それはどうしようもない現実だ。でも、そんな何が正しいかわからない世界の中でも、それでも「正しくありたい」と願い、自分の正しさに不安を覚えながらも「善いこと」を目指して生きていくことはできる。 きっと僕たちにはそれで十分で——むしろ、それこそが人間にとって唯一可能な正義なんじゃないだろうか。
哲学書にありがちな結論だ。
しかし、この結論にたどり着く考え方こそ、とても学びが多い。ぜひ本書を読み、思考してみてほしい。
しかし、ツッコミはもちろん残る。
それは、独りよがりな正義、倫理になってしまわないか。
自分なりに自分の「善い」を探した結果、たとえば、犯罪が趣味になってしまったらどうだろう?
殺人などの犯罪すらも、独りよがりな正義からは、ある程度正当化されてしまうのではないか?
本書の結論は、ある意味で本書の中身を投げ捨てるようなものでもある。しかし、哲学的思考の行き着くところとして、仕方のない場所でもある。
正義について、迷ったり学んだり考えたりするような人間は、他者の自由を侵害しないだろう、犯罪なんてしないだろう
という、暗黙の仮定があるようだ。
「善」は全ての思考の源である
すべての概念そのものを成り立たせる最も根本的な概念はなにか?
プラトンは、それを「善」と定義づけた。
知的に考えるには、必ず「真である」「正しい」という概念基盤が必要だ。なぜなら、主張をするとは、結局のところ、〇〇が正しい、と言うことに還元されるからだ。
正しいという概念の上位概念こそ、「善」だというわけだ。
だとするなら、プラトンの指摘は鋭い。
なぜ、正しいことだと判断したのか?
その根っこには、「善」という常識的な感覚がある。あらゆる概念は、根っこで善を参照している。
こうしたプラトンの指摘は、とても面白い。
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