記事の内容
この記事では、意識を科学するための有力な理論を紹介します。そのために参考にするのは、
『意識と脳 思考はいかにコード化されるか』という本です。
科学のフロンティアである意識の科学。
科学の面白さを感じるにはぴったりの題材です。心や脳に興味ある人は、ぜったいに触れるべきアイデアでしょう。
それでは目次をどうぞ。
意識と脳 思考はいかにコード化されるか
認知神経科学の世界的研究者が、意識研究の最前線へのガイドツアーに読者を誘う。
膨大な実験をもとに究極の問題に迫る、野心的論考。
私たちの思考、感情、夢はどこからやって来るのか?
――この問いは子どもでも思いつくほど素朴なものだが、意識がどのように生じるかについては、
有史以来何千年も先哲たちを悩ませてきた。
本書は、「意識の研究はもはや思索の域を脱し、その焦点は実験方法の問題へと移行してきた」と言い放ち、
独自の「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」理論を打ち立て、
意識の解明を実証すべく邁進する認知神経科学の俊英ドゥアンヌが世に送り出した、野心的な一冊である。
人工知能やヒューマノイドロボットなどが注目されている現在、
それらの研究の礎となる脳の機能および意識の研究も発展が著しく、
同様に熱い視線が集まっている。
そんな世に堂々と斬り込んでゆく、待望の邦訳。
原著は2014年発行。
1章 意識の定義 コンシャスアクセスという概念
脳は、知覚している無数の無意識的な刺激のうち、そのどれか一つだけを意識にのせている。その結果が、今のわたしが持つありありとした意識体験だ。このような、脳が知覚から意識を選ぶ仕組みを、この本ではコンシャスアクセスと定義している。
つまり、どのようにして、私たちはある知覚を意識し始めるのか、という仕組みことだ。
コンシャスアクセスに注目することで、厄介になりがちな「意識の定義」を丸く収めている。
コンシャスアクセスは、夕飯はカレーかハンバーグどちらにしよう、と選ぶような選択的注意のことではない。それは、すでに意識にのぼっている中での選択にすぎない。
いくつかの実験により、意識が生じる条件の探求が可能になった。
意識にのぼる知覚と無意識的にとどまる知覚。この差を知りたい。そのために、人為的にコンシャスアクセスを操作・介入できるような実験が生み出された。つまり、コンシャスアクセスの最小単位へアプローチできるようになった。この方法論が科学的で面白い。
・実験によって「意識の最小単位」を操作する
・主観的な報告を純粋な科学データとして扱うこと
これが著者の意識科学の型である。
2章 無意識の守備範囲を明確化する
あるゆる実験により、無意識、つまり意識していないときも、脳はざまざま処理をしていることがわかっている。
無意識の働きは、一般的なイメージよりもだいぶ大きい。意識の助け無しに、簡単な言葉や数字などの意味を処理できる。ある種の決定や行為、評価なども無意識がやってくれる。
4章 意識の実証的考察 4つの意識のしるし
コンシャスアクセス、つまり、刺激が意識化されたときの脳には、何かしるしがあるのか?
ある。
本書で著者は、4つの生理学的なしるしを挙げている。
・意識される刺激は、頭頂葉、および前頭前野の神経回路の突発の点火に至る激しいニューロンの活動を引き起こす。
・コンシャスアクセスは、刺激が与えられてから三分の一秒が経過してから生じる、P3波を呼ばれる遅い脳波をともなう。
・意識の点火はさらに、高周波振動の遅れての突発を引き起こす。
・互いに遠く隔たった多数の皮質領域が双方向の同期したメッセージ交換に参加し、広域的な脳のネットワークを形成する。
5章 仮説提起 グローバル・ニューロナル・ワークスペース
意識の本質とは何か?
脳の同期した活動からいかに意識が生じるのか?
意識はなぜ、特有のしるしを示すのか?
これらを説明するための著者の仮説が、
グローバル・ニューロナル・ワークスペースだ。
この仮説の軸は、
「意識は脳全体の情報共有である」
というものだ。
脳の情報処理には局所性がある。ある皮質は「顔」にのみ反応し、ある皮質は「数」にのみ反応する。それら局所的な情報を利用できるようにするのが意識の役割だ。
だから、今注目したい情報を脳全体で共有するコミュニケーションネットワークが必要になる。このコミュニケーションネットワークこそ意識の本質である、というわけだ。
そして、グローバル・ニューロナル・ワークスペースを支える生理学的な構造が、ニューロンの長距離結合だ。長い軸索を持つニューロンは、脳の前部に位置する前頭前野に最も多く見られる。これが脳の主要な相互接続センターとして機能している。
グローバル・ニューロナル・ワークスペースを支える生理学的な反応は、意識のしるしの一つである「意識される刺激は、頭頂葉、および前頭前野の神経回路の突発の点火に至る激しいニューロンの活動を引き起こす」と一致する。
コンシャスアクセスが続くあいだ、ワークスペースのニューロンは、その長い軸索を利用して情報を交換しあい、一貫した解釈を得るべく同期しながら大規模な並行処理を実行する。そしてそれらが一つに収斂するとき、意識的知覚は完成する。その際、意識の内容をコード化する細胞集成体は脳全体に広がり、個々の脳領域によって抽出される情報の断片は、全体として一貫性を保つ。というのも、関連するすべてのニューロン間で、長距離の軸索を介してトップダウンに同期が保たれるからだ。
p249
ワークスペースでは、一部のニューロンが活性化し、残りが抑制されることによって、その瞬間の意識の内容が定義される。抑制される領域の方が巨大でありそれらが産む電位が、意識のしるしであるP3波の実体である。
このように著者らの仮説は、意識のしるしを説明できる。また簡易版だが、コンピュータシミュレーションによる裏付けにも成功している。
感想
・意識の本質とは脳全体の情報共有である
まだ解像度が粗い気がする。「情報共有」ということのさらなる分解が欲しい。この仕組みを成り立たせるもっと小さい単位での仕組みまで知りたい。本書で紹介されている仮説は、まだ、意識の本質を説明するための最もおおまかな指針という程度なのだろうか。
7章 考察と哲学 意識のハードプロブレムは問題ではない
意識のハードプロブレム、つまり、脳という物質からどのようにして主観(クオリア)が生じるのか、という問題がある。
この問題に対する著者らの見解は、ハードプロブレムは難しい問題ではない、というものだ。著者は、意識の科学を続けていけばいずれ完全に解明されるだろう、人工意識も可能、と述べている。
感想。
この観点についての著者らの意見の根拠がもっと知りたかった。たとえば、以下のような問いを著者らは意図的に無視しているように見える。
・主観を操作できるような実験ができ理論化もできるのだから、クオリアが生じる原理も解明できる。これは本当にそうか?あくまでも、脳状態と主観の相関関係しかわからないのではないか?
・もっと還元的にアプローチが進んだときの話がない。クオリアが生じる最小単位、最小の仕組みをグローバルニューロラルワークスペースを使い説明できるのか。本書にはその説明はない。
・本書の刊行は2014年である。10年近く経っているが、意識科学の本質的な進歩が話題にならない。私が知らないだけかもしれないが。
関連論文
2011
Experimental and Theoretical Approaches to Conscious Processing: Neuron
最近の実験的研究と理論モデルは、主観的な意識経験と測定可能な神経活動との間の因果関係を確立するという課題に取り組み始めた。本稿では、非意識的処理を超えて意識的処理へのアクセスを獲得する、外部または内部の情報についての明確に定義された問題に焦点を当てる。この移行は、報告可能な主観的経験の存在によって特徴付けられる。意識的処理と非意識的処理の間の最小限の実験的対比によって得られた神経イメージングと神経生理学的データは、意識的アクセスに関する客観的な神経測定指標を示す:関連する感覚活動の遅い増幅、ベータおよびガンマ周波数での長距離皮質間同期、および大規模な前頭頭頂ネットワークの「点火」。我々はこれらの知見を、意識処理の現在の理論モデルと比較する。これには、グローバル神経作業空間(GNW)モデルが含まれ、このモデルによれば、意識的アクセスは、長い軸索を持つニューロンのネットワークを通じて、複数の脳システムに情報をグローバルに利用可能にすることによって発生する。これらの結果の全身麻酔、昏睡、植物状態、および統合失調症に対する臨床的意味合いについて議論する。
- subjective conscious experience: 主観的意識経験
- neuronal activity: 神経活動
- conscious processing: 意識的処理
- nonconscious processing: 非意識的処理
- neuroimaging: 神経イメージング
- neurophysiological: 神経生理学的
- beta and gamma frequencies: ベータ波およびガンマ波周波数
- ignition: 点火
- prefrontal-parietal network: 前頭頭頂ネットワーク
- Global Neuronal Workspace (GNW) model: グローバル神経作業空間モデル
- general anesthesia: 全身麻酔
- coma: 昏睡
- vegetative state: 植物状態
- schizophrenia: 統合失調症
2021
What is consciousness, and could machines have it?
機械が意識を持つことができるかという議論は、疑いなく意識を持つ唯一の物理システムである人間の脳における意識の発生方法を慎重に考慮する必要がある。我々は、「意識」という言葉が、脳内の2つの異なる情報処理計算を混同していると提唱する。1つ目は、情報をグローバルに放送して柔軟に計算と報告できるように選択する計算(C1、第1の意識)であり、もう1つは、それらの計算の自己監視を行い、確実性またはエラーに関する主観的な感覚をもたらす計算(C2、第2の意識)である。我々は、最近の成功にもかかわらず、現在の機械は主に人間の脳における無意識処理(C0)を反映する計算を実装していると主張する。我々は、無意識(C0)と意識(C1およびC2)の計算に関する心理学および神経科学の知見をレビューし、それらがどのように新しい機械アーキテクチャをインスピレーションするかを概説する。
- C1: 第1の意識 (consciousness in the first sense) - 情報のグローバルな選択と利用に関する意識
- C2: 第2の意識 (consciousness in the second sense) - 自我意識やメタ認知に関する意識
- C0: 無意識処理 (unconscious processing) - 意識に至らない情報処理
私たちの立場は、単純な仮説に基づいています。すなわち、「意識」と呼ばれるものは、脳のハードウェアによって物理的に実現された特定の情報処理計算の結果であるということです。これは、情報理論的な量だけでは意識を定義できないという点で、他の理論とは異なります(Tononi et al., 2016)。 我々は、C1とC2を備えた機械は、意識があるかのように振る舞うであろうと主張します。例えば、何かを見ていることを知り、それに自信を持ち、他者に報告し、監視メカニズムが故障したときに幻覚を経験し、さらには人間と同じ知覚錯覚を経験するかもしれません。しかし、このような純粋に機能的な意識の定義は、一部の読者を満足させないかもしれません。我々は、高レベルの認知機能が必然的に意識に結びついていると仮定することで、「意識を過度に知的化」しているのでしょうか?私たちは、主観的な経験(「意識されること」)を無視しているのでしょうか?主観的な経験は、計算的な定義から逃れることができるのでしょうか? これらの哲学的な疑問は、本論文の範囲外ですが、経験的に、人間ではC1とC2の計算の喪失が主観的経験の喪失と共変することを指摘します。例えば、人間では、一次視覚皮質の損傷により、「盲視」と呼ばれる神経学的状態が生じることがあります。患者は、影響を受けた視野で盲目であると報告しますが、驚くべきことに、彼らは盲視領域内の視覚刺激の位置を特定することができますが、それらを報告することはできず(C1)、成功の可能性を効果的に評価することもできません(C2) - 彼らは単に「推測している」と信じています。少なくともこの例では、主観的経験はC1とC2の所有と一致するように見えます。何世紀にもわたる哲学的二元論は、意識を物理的な相互作用に還元できないものとして私たちに考えさせてきましたが、経験的証拠は、意識が特定の計算からしか発生しない可能性と一致しています。
- C1: 第1の意識 (consciousness in the first sense) - 情報のグローバルな選択と利用に関する意識
- C2: 第2の意識 (consciousness in the second sense) - 自我意識やメタ認知に関する意識
- C0: 無意識処理 (unconscious processing) - 意識に至らない情報処理
- blindsight: 盲視 - 視覚刺激を認識できないが、無意識的に反応できる状態
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