記事の内容
この記事では、
『情動はこうして作られる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』
という本を紹介します。
感情、情動の仕組みを解き明かす最新の脳科学です!
とくに、私たちの常識と反するような内容なので、より楽しめるはずです。
本書の一部を要約
本書の一部を要約します。
主要なメッセージはこうです。
- 情動概念がないかぎり、自己の情動もないし、他者の情動も知覚できない。
- 情動概念とは、生まれつきのものではなく、学習を通じた神経活動によって作られるもの。
ただし、要約の内容は、あくまでも主張のイメージの紹介になります。厳密な説明はできません笑
科学的に厳密な主張として知りたい方は、ぜひ本書を読んでください。
本質主義の批判
- 怖れ、悲しみ、怒り、など特定の情動を識別する指標、つまり、情動の本質となる脳神経パターンがある。
- 情動は生まれつき、普遍的に決まっている。
上記のような立場を本質主義と呼ぶ。
この本質主義が間違っていることを、「構成主義的情動理論」は説明する。
導入として例を紹介する。
「悲しみの概念」が無ければ、悲しみを経験することができない!!
感情の源泉「内受容」
まずは、脳の基本機能をみる。
刺激に対する反応、ではなく、予測とエラー訂正が脳のデフォルト機能だ。脳内では、絶え間なく予測とその訂正が働く。無数の予測ループが常に機能する。
そうした予測ループの中でも、身体のエネルギー需要の予測は、情動生成の根幹に関わる。
身体エネルギーとは、呼吸、脈拍、血圧、体温などの体内の動きのことだ。そして、それらの脳内表象を内受容と呼ぶ。
この内受容の変化についても、脳は予測しているのだ!!
結果として、内需要の予測ループの結果、大雑把な快不快、興奮、落ち着きなどの情動が経験される。本書では、これらを「気分」と言う。つまり、気分とは身体予算の要約なのだ。
内受容は、感情を経験するためではなく、身体予算を管理するために進化した、と考えられている。
概念、目的、言葉
情動の経験、他者の情動の知覚には概念が必要である。
情動の経験、他者の情動の知覚のたびに、概念を使って内需要や五感から意味を作り出す。
その概念も、目的に応じてその場で作られる。概念は、これまで経験した具体例たちの類似点を作り出す。言葉は、この仕組みを誘導する働きをもつ。
あるグループに属す情動概念たちは、ある言葉で名前がつけられる。この名前こそ、パターンの本体なのだ。概念結合と言葉によって、現実は生み出される。
私はヘビを見て、しかるのちにそれを分類したのでもなければ、逃げたいという衝動に駆られて、しかるのちにそれを分類したのでもない。自分の心臓の鼓動を感じて、次にそれを分類したのでもない。
そうではなくヘビを見るために、逃げ出すために、心臓の鼓動を感じるために、さまざまな感覚刺数を分類したのである。私は生じるはずの感覚刺激を正しく予測し、それにあたり「怖れ」の概念のインスタンスを用いて感覚刺激を説明した。情動はこのように作られるのだ
新しい感情の概念を学ぶことで、自分の感情の幅が広がるという研究もあります。
例えば、
-
「寂しさ」と「孤独」は似てるけど違う。
-
「恥ずかしさ」「屈辱」「気まずさ」も微妙に違う。
これらの言葉と意味を知ると、感情により正確なラベルをつけられるようになり、感情を“細かく”経験できる
脳はどのように、意味、情動を作るのか
予測
「今の体の状態+状況」から、どんな感情が妥当かを“仮説”として立てている。
脳は予測をするとき、「感情カテゴリー(emotion concept)」という学習された知識を使います。
たとえば:
-
「これは“怒り”という状況だ」
-
「これは“恥ずかしい”という体験だった」
この意味づけのツールは、個人の言語・文化・経験によって育っていきます。
つまり、「これは怒りだ」と脳がラベルを貼ること自体が、過去の経験+文化的知識によって作られた概念の応用なのです。
① 体内の状態(インターオセプション)
↓
② 外界の状況(感覚刺激)
↓
③ 脳が予測(予測符号化)
↓
④ 感情の「意味」を与える(感情概念)
↓
⑤ その瞬間の意味づけ、「感情」が出来上がる
概念を効率的に獲得するために。
類似性が差異性から区別されるよう概念をつくる
パターンの要約、一般化。
概念と予測。
予測の連鎖の全体が、ある概念のインスタンスになり、その情動を感じる!!
人は人生の初期の段階で、身体や外界から(予測エラーとして)得られた細かな感覚入力をもとに概念を築き上げていく。脳は、ユーチューブが動画を圧縮するように、受け取った感覚入力を効率的に圧縮し、差異性から類似性を抽出しつつ最終的に多感覚性の要約を形成する。
ひとたびこのようにして特定の概念を学習すると、脳はこの過程を逆方向に実行して、パソコンや携帯端末がダウンロードされてくるユーチューブの動画を表示するために圧縮データを復元するのと同じように、類似性から差異性を展開し、その概念のインスタンスを生成できる。これが予測の実体なのだ。概念を「適用」し、一次感覚野や運動野の活動を変え、必要に応じて訂正したり、洗練したりすることとして、予測をとらえるとよいだろう
構成主義的情動理論は、顔、身体、脳に一貫した生物学的指標を持たずに、どのように情動を経験したり知覚したりできるのかを説明する。脳はつねに身体内外から受け取る感覚入力を予測し、シミュレートしている。だからそれが何を意味し、それに対して何をすればよいかを理解できるのだ。
予測は皮質を伝わり、内受容ネットワークの身体予算管理領域から一次感覚皮質へと流れ、脳全体に分散されたシミュレーション(そのそれぞれが概念のインスタンスである)を生む。そして目下の状況にもっとも近似するシミュレーションが勝ち、それが経験になる。また、勝利したシミュレーションが情動概念のインスタンスであった場合、この経験は情動経験になる。
社会的現実としての情動
言語は概念を代理し、概念は文化の道具として機能する。社会的な現実として、世代間で受け継がれていく。
何かを作り、それに名前を与え、概念を作り出す。その概念を他者に教え、その人がそれに同意する限り、現実の何かを作り出したことになる。いかにして、この創造のマジックを実行するのか?
分類することによってである。現実に存在する事物を取り上げ、それに物理的な特性を超えた新たな機能を付与する。それから、その概念を伝達し合い、それぞれの脳を社会に適合するよう配線し合う。
このようなプロセスが、社会的現実の核心をなす。
情動は社会的現実である。私たちは、色、倒れる木の音、お金などとまったく同じように、脳の配線によって実現される概念システムを用いて情動のインスタンスを生成する。私たちは、知覚者からは独立して存在する外界や、自己の身体に由来する感覚入力を、たとえば多数の人々の心に見出される「幸福」という概念の文脈のもとで、幸福のインスタンスに変換する。つまり概念は、感覚刺に新たな機能を付与し、それまでには何もなかったところに、情動の経験や知覚という現実を構築する。
概念と言葉、どちらが先なのかはまだはっきりとはわからない。
情動概念が無くても、無意識においては情動は存在しうるという考えは間違い。
まとめ
脳が複雑であるという事実は、その配線図が、普遍的な心的機構を備えるたった一種類の心のために用意された一連の命令から構成されるわけではない、ということを意味する。
人間の脳は、快/不快(感情価)、動揺/落ち着き(興奮)、音の強弱、明暗などを除けば、あらかじめ設定された心的概念をほとんど持たない。変化が標準なのだ。
その代わり脳は、さまざまな概念を学習し、自己の置かれた状況に応じて社会的現実を構築するように、構造化されている。
とはいえ、変化の可能性は無際限のものでも恣意的なものでもなく、脳が必要とする効率性や処理速度によって、また外界や他人を出し抜くか、それとも他人とうまく折り合ってやっていくかなどの、人間的なジレンマによって制約を受ける。自文化は、このジレンマを解決するために、概念、価値観、実践方法に関する独自のシステムを提供してくれる。
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