記事の内容
この記事では、
- 臨床心理
- 潜在意識
- コミュニケーション
- 身体知(瞑想・呼吸)
などなど、広く心に関する本を紹介します。
気になる方は目次をご覧ください。
ピンとくるような本があるかもしれません。
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それでは、さっそく本を紹介していきます。
一応ジャンル分けしていますが、境界は曖昧です。
一部、スピリチュアル?に属するような本、学問志向では無い本、まで紹介しています。はっきりと捉えきれない心というもの。心に寄り添うために、あまり厳密になりすぎず、幅広い本を読みたい、という意図です。
臨床心理だけでなく、瞑想やマインドフルネスのような自己修養に関する本も合わせて紹介しています。身体と心のつながりを見る、ここが私の拘りになります。
取り合えげる本を一言で表すならば、「一人称的な知に関わるテーマ」、でしょうか。
それでは、本の紹介を開始します。
臨床としての心
野の医者は笑う 心の治療とは何か?
読みのものとして面白い。
心、そして、人間に真っ直ぐに向き合う。
心理療法序説
心理療法について述べることは極めて難しい。それは心理療法が取り扱う人間の心というものが捉え難く、二律背反に満ちているからである。心理療法の二律背反性については、これまでにも多々論じてきたが、このために、心理療法について定言的なことを言うのは、ほとんど不可能である。何かのことを言えば必ずその反対のことも言いたくなるようなところがある。さりとて、余りにも曖昧なことばかりも言っていられない。そこのところは、ある程度の思い切りをもって発言するより仕方がない、と思っている。
心理療法のモデルには、「治す」と「治る」の間にグラデーションがある。
「治る」の極限には、「自然(じねん)モデル」が考えられる。あるがままにある、という方向性での治る、だ。
深層心理学の普遍性とは、「私が私の心について考える時に役立つ普遍性」であり、そのまま他人へ適用しづらい。
「普遍主義の名のもとに自己の責任を放棄しない」、つまり、今、目の前に居る個人に対して、コミットせよ。
変化が生じるためには、誰かの大きな心的エネルギーが流れることが必要。
非因果的、全体性を見る目。
カウンセラーも教師も、しつけ型、補助型、両方の資質が必要である。
河合さんによれば、治療者とクライエントがそれぞれ全存在をもって向き合い、関係を深め、物語を創り出しながら、クライエントが自己実現してゆくのを治療者が手助けする、その全過程が心理療法なのだという。人間存在は二種都に満ちみちているから、この本のなかのあらゆる問いと答え、あらゆる言明もまた、二律背反に満ちみちたものとなるほかはない。心理療法は科学ではないが科学である。宗教ではないが宗教である。教育ではないが教育である。河合さんはすべてのドグマを排しようとするが、すべてのドグマを否定するというもうひとつのドグマにたいしては、ドグマもときには有効だと説く。
終結というのは関係が切れるのではなく、関係が「深く」なるので、それほど会う必要がなくなるのだと言ってもいいし、あるいは、クライエントが「治療者」像を自分の内部にもつようになるので、外界に存在する治療者に会う必要がなくなるのだ、という言い方をしてもいいであろう。
p248
失敗、つまり中断をあまりにも恐れていると、クライエントに次も「きてほしい」と願うような気持が強くなりすぎて、治療者の姿勢が甘くなるときがある。そのときは、心理療法は長く続くが、「療法」として意味を失ってしまう。心理療法というものは、うまく動いているときはいいが、(あるいは、うまく動いていても)、治療者、クライエント共に苦しみを強いるところがある。本格的な心理療法は、地の利、人の和、天の時がそろわないと難しいと言いたくなるようなところがある。こうまで言うのは言い過ぎであるが、それほどのものだという自覚をもって努力すべきで、安易に「続ける」ことのみを考えては駄目である。
p262
療法家になるためには、多くの二律背反に耐える強さをもたねばならない。理論的思考と実際的な行為、の両方を学んでゆくのであるが、そこに存在する多くの対立原理が、
その人間の体験を深める方向に作用しているか、あるいは、分裂をきたす方向に作用しているかによって結果は異なってくる。下手をすると、心理療法について講義するし、論文も上手にかけるが、心理療法そのものをすることができないようなことにもなる
p265
無意識の構造
私たちは何かの行為をしたあとで「われ知らずにしてしまった」ということがある。無意識の世界とは何なのか。ユング派の心理療法家として知られる著者は、種々の症例や夢の具体例を取り上げながらこの不思議な心の深層を解明する。また、無意識のなかで、男性・女性によって異性像がどうイメージされ、生活行動にどう現れるのか、心のエネルギーの退行がマザー・コンプレックスに根ざす例なども含めて鋭くメスを入れる。
ゼロから始めるジャックラカン
二十世紀における思想的な震源地のひとつであるラカン。その理論は、思想としての側面と、実践臨床としての側面の二面性をもち、両者が渾然一体となっていることに難しさがある。本書は、著者みずからの精神分析の体験にもとづき、実践臨床の側面からラカンの本丸に迫る。ラカンの核心を読み解く超入門の書、『疾風怒濤精神分析入門』増補改訂版。
ラカン理論の入門書。
フランス現代思想の根底になるラカンの精神分析が気になる人にちょうどいい。
哲学・思想が気になる人向け。
身体はトラウマを記録する
私たちは何よりもまず、患者が現在をしっかりと思う存分生きるのを助けなくてはならない――世界的第一人者が、トラウマによる脳の改変のメカニズムを解き明かし、薬物療法や従来の心理療法の限界と、EMDR、ニューロフィードバック、内的家族システム療法、PBSP療法、ヨーガ、演劇など、身体志向のさまざまな治療法の効果を紹介する、全米ベストセラー。トラウマの臨床と研究を牽引してきたヴァン・デア・コーク博士の集大成。
実際の例が生々しい。
トラウマの治療。
心とトラウマ
第1章 心についた傷
心に傷がつくとはどういうことなのか。斎藤茂太と北杜夫のユーモアが躁うつ病への間口を広げる。ひきこもりも、夏樹静子の腰痛も「心」がつくったものだった。岡田尊司の千夜で、精神医学的な「心の病気」の大要を示す。「悲しみ」も病に分類するDSMの功罪を問題提起し、最後にトラウマの謎にせまる。
第2章 自分の中の別人たち
本章では自己の多重化や分裂を扱う。狂気もPTSDも統合失調症も古代から文明とともにあったことを明らかにした、中井久夫のメッセージが章全体を貫いている。人類が知らずに隠し持っているネオテニー戦略とはなにか。ジキールとハイド、ビリー・ミリガンを通して、驚くべき「自分の中の別人たち」と出会う。
第3章 脳が心を見ている
脳科学の入口を案内する章。最初に心の正体にせまったのがペンフィールドだった。ボパーとエクルズは世界を3つにわけ、ペンローズは量子モデルをトレースし、ダマシオはソマティック・マーカー仮説で「脳と心」の難問を解こうとする。ミンスキーのエージェント理論は、編集工学の大きなヒントにもなった。
第4章 心理学と「私」の間
錚々たる心理学者が並べられた章。グロデックは「エス」という無意識を想定し、ユングは物質の変化は心の変容だと断定する。自己とはアンジューにとっては「皮膚」であり、ラカンにとっては「他者」だった。レインは自分が「引きされた自己」であることを赤裸々に語る。ラストは松岡が最期の日々をすごした岩井寛。
アサーション入門
客観性の落とし穴
生々しい語りにあるリズム。矛盾しあい、複数生のあるリズム。
他者を侵害しない、歪めない表現のために。
(1)語り手の言葉を、繰り返しや言い間違いなども含めて可能な限り尊重して再録する。そうすることでその人の身体性・個別性が保存される。
(2)語られた文脈を重視するため、ただ一人の人の語りを大きく引用しながら論文化する(複数の人の語りを断片的にトピックごとにまとめて引用することをしない)。
(3)語りのディテールを尊重した分析を行う(外部からの理論や概念図式から借りた説明をあてはめない)。
(4)分析する研究者自身がどのような社会的立場に立ち、語り手とどのような関係に立つのか吟味する。
ベンヤミン
平均ではなく、個別の経験にこそ、理念、普遍性をもつ。
「子どもがケアする世界」をケアする
分析心理学 自我と無意識
精神科医のユングは、フロイトが創始した「精神分析学」に共感し、交流を深めた。 が、志向の違いからフロイトと決別したユングは「無意識」の、 より幅広い解釈の必要性を感じ生涯をかけて無意識の探求へと乗り出す。 人間の心理を解明し、また神話や錬金術、心霊などにまで幅広い解釈をもたらした、 ユング心理学がよくわかる2冊を漫画化。
人を動かす対話術
催眠、潜在意識
はじめての催眠術
ミルトンエリクソン心理療法
マインドフルネスと催眠
コミュニケーションのための催眠誘導
自己暗示
洗脳原論
無意識さんの力で無敵に生きる
催眠ガール
身体知、瞑想、呼吸法
どもる体
あなたは、なぜ、つながれないのか
身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり
日本人の身体観の歴史
知のデザイン
姿勢のふしぎ
阿修羅の呼吸と身体
思考のすごい力
瞑想と認知科学の教室
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