記事の内容
この記事は、『空の時代の『中論』について』という本の読書メモ、要約です。
空の哲学に興味がある人にはとても刺さる一冊です。
一緒に読んでいきましょう。

◎本書に登場する哲学者たち
《私たちはどこから来て どこへ行くのか?》 ライプニッツの「連続律、最善律」、プラトン・ソクラテスの「魂の不死、想起説」、レヴィ=ストロースの「構造主義」、その源流としての古代ギリシアのエンペドクレスの「四大元素説」、ウパニシャッドの哲人ウッダーラカ・アールニの「三分結合説」、そして現代哲学までを渉猟する知的冒険。初期仏教と大乗仏教を結ぶ最大のミッシング・リンク『中論』をすべて読み解く!
◎8つの道標
『中論』という書物が読み解けるということは本書にとっては次のもろもろの疑問をすべてクリアすることを意味する…
(1)ナーガールジュナが『中論』第1章で「縁起」を否定しているように見えるのに、第26章でふたたび十二支縁起を採り上げたりするのはなぜなのか?
(2)最初の「帰敬序」に登場する「八不」(不生不滅、不常不断、不同不異、不来不去)は、なぜあの四種類でなければならないのか? また「Aでも非Aでもない」という第四レンマのロジックが、その四種にだけ適用されるのはなぜなのか?
(3)初期仏教と大乗仏教との関係やその連続性はいかなるものなのか?
(4)輪廻や輪廻主体についてどう考えたらいいのか?
(5)第2章の議論と、その後『中論』で展開される認知論や、時間論、原因と結果についての議論などとの関わりはどのようなものか?
(6)第2章と八不との関係はどのようなものか?
(7)一異門破や三時門破、五求門破というナーガールジュナの独特のロジックは何を意味するのか?
(8)ナーガールジュナ以後に発展した大乗仏教が、ナーガールジュナの思想からどのように芽吹いているのか?
断片的なメモになります。できるだけ、本書の中心概念をまとめたいです。随時更新していきます。
縁起のループ的構造
一異門破も八不も、テトラレンマを駆使して縁起の説を一見破壊したように見えながら、これ以外は考えられないというかたちで完成させている。p85
原因はなにか?に対し、第4レンマにより、どこにもないと答える。
縁起概念のさらなる精緻化。
ボトムアップ的、直線的ではなく、第4レンマによるループ的構造。
レンマを以下にまとめる。
テトラレンマ(四句分別)
- Aである
- 非A
- Aかつ非A
- Aでない、かつ、 非Aでない → 第4レンマ
順に、第1レンマ、第2レンマ...と呼ぶ。
八不
第4レンマ「 Aでない、かつ、 非Aでない」が肯定されるのは、この4つのみ。
- 不常不断
- 不来不去
来る、去るは代表例。
運動の否定、ではない。
はたらきとその主語(目的因)化のことを語っている。主語=自性=目的因、とみたてる。このとき、はたらきとその主語はループ構造になる。一異門破へ。
- 不生不滅
- 不同不異
一異門破のこと。
「同でも異でもない」ということ。
主語をなくして、「同そのものでも異そのものでもない」としたほうがいいと清水は考える。このとき、「一と多」をみる華厳になる。
一異門破
『中論』の基本的な論破ツール。
同と異の第4レンマへ誘導し、その結果として、空を示す。
代表例がはたらきと主体。
作用を主体化し原因と見るとループ関係になる。去るはたらきを目的として持つ去る主体を立てて、原因を主体に帰す。これは、「結果の結果」でありながら、「結果の原因」になっていてループ。一方、去る主体なしに去るはたらきもない。
「自因=素朴目的論」と「他因=近代的機械論」の両者を論破する。
論破の先にはループ構造があり、「無自性にして空」としての作用へ導く。
何を否定して、それにより、何を肯定しているのか。
以下2つは派生ツール。
三時門破
過去、現在、未来において、作用には自性がない。
とくに、現在での作用について、はたらきの主語化を一異門破によって論破。
五求門破
- AはBと同じ
- AはBと異なる
- AはBを有する 十分条件
- AによってBがある 必要条件
- BによってAがある
これら全てを否定する。
十分条件は自己原因的。必要条件は他因。
十分条件で考えられたものを必要条件で組み立て直そうとするとパラドクスになる。
ナーガールジュナの態度
主な対論者は説一切有部であり、その「三世実有法体恒有」というのは、「無我」を説明しながら「救済」を考える、かなり深淵な思想で巨大な敵であった。ナーガールジュナはかなり共感を抱いていて、むしろその欠点(素朴目的論に限りなく近づいてしまう)を補うために、「離二辺の中道」=「縁起」の構造によって、ダルマを「自性をもたないものとして」肯定しなおすことに成功した。
仏教において核心的なのは、「認知の主体い認知の対象」のような、二重化の関係をいかに洞察し、そこに「不一不異」の構造を観るか。そしてあらゆるものに自性があるという誤りからいかに解放されるかということであると、彼は見抜いたのです。
p292
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