記事の内容
この記事では、人の変化というテーマを扱います。
・自分を成長させるには?
・人は何によって最も変化するのか?
・手段よりも目的が大事
・すごい人たちのすごさ、雰囲気、オーラ
これらを読み解くキーワードこそ、感染です。
これは、人がどう成長するのかということに関わります。私も、身をもってこの概念を体験しました。
ピンとくる方は、ぜひ本文を読んでいってください。
彼の強さにやられてしまった男たちは多いはず!!!これが感染です!!
(漫画 刃牙より範馬勇次郎)
感染(ミメーシス)とは?
そもそも、感染という言葉の意味にピンとくる方は少ないかもしれない。
松岡正剛の説明を引用しよう。
ミメーシスとは何かというと、語り手に聞き手が身を寄せるということである。すべての知識を、身体的に、演劇的に、感応的に解釈するということである。実際にもプラトン(799夜)はそのような意味でのみミメーシスという用語を使っていた。いまではたんなる模倣のことだと誤って使われているが、これは今日の使い方が完全にまちがっている。
感染(ミメーシス)という概念の響き、なんとなく伝わっただろうか?
こちらの本に収録されています。
なぜ感染が大事なのか?
簡単に答えを言うと、
それが最も自分を成長させてくれるからだ。
なぜか?
感染すると、「自分が何をしたいのか、自分がどんな人間になりたいのか」が自分の内側から溢れてくる。強い動機が生まれるのだ。この内側からあふれ出すような強い動機こそが、自分を本当に違う次元へと導いてくれる。
すごい人のすごさを、身体的に、演劇的に、感応的に感じずにはいられないのが感染だ。その「すごさ」に当てられてしまっている時点で、「ああ私も動きたい」「少しでも近づきたい」と身体が反応してしまうのだろう。
「感染」という概念をはっきりと意識するようになったきっかけは、宮台真司の存在だと思う。彼は、この「感染」という言葉をよく使う。
どんな意図で使うのか?
彼は、「人はどのように変わるべきなのか」「何が最も人を変えてくれるのか」という問題意識を持っているのだろう。だから、手段よりも、目的・動機を圧倒的に重視している。その目的・動機をもたらしてくれるきっかけこそ「感染」という態度なのだと思う。
直感で「スゴイ」と思う人がいて、その人のそばに行くと「感染」してしまい、身ぶりや手ぶりやしゃべり方までまねしてしまう――そうやって学んだことが一番身になるとぼくは思う。
宮台真司 14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に(ちくま文庫)
揺るぎなき佇まいは、その人の近くにいれば必ず「この人みたいになりたい!」と思わずにいられなくなるオーラと表裏一体です。そのオーラに「感染」することを、初期ギリシア(ペロポネソス戦争以前のギリシア)の人たちが「ミメーシス(感染的摸倣)」と呼んで大切にしたということは、『日本の難点』でも書いたとおりです。
今、かっこいいビジネスパーソンとは vol.2 勘違いしない理解力 | 仕事を楽しむためのWebマガジン、B-plus(ビープラス)
外側からやらされるのではなく
かくいう私も、宮台真司という存在に感染した。彼の経験、知識、そこからくる主張の揺るぎなさ、本当にすごかった。
自分自身の経験を通して、やはり自分がもっとも変わったな、成長したな、と感じた背後には、やはり「すごい人、映画、考え方、概念」への感染があったのだろう。すごい人たちはどんな世界を見ているのか、どんな世界を感じているのか、この境地に近づきたいと期待せずにはいられなかった。
親や教師から勉強しなさい、部活しなさいと強制されるのとは次元が違かった。
そんな外側からの言葉では、私には動機がまったく生まれなかった。それらの言葉はまるで真に迫るものがなかった。そうではなく、すごい人たちの生き方そのもの、振る舞いそのものこそ、私の内側に強烈に沁みてきた。自分の内側に勝手に動機が生じてしまうという感染が、やはり成長するには最強なのだろう。
さらに、そんな感染を繰り返しているうちに、私の抱えていた生きづらさは消えていた。悩みや、日常の生活の嘘臭さ、それらをすごい人たちの振る舞いはぶっ飛ばしてくれた。世界の素晴らしさを体感できるようになった。生きやすくなれたし、私の心身のシステムが書き換えられた。改めて、たくさんの師匠たちに感謝したい。
心の仕組み、性質に関心のある方に
今回の記事のような、「心の性質」に興味がある方はこちらもおすすめ。
今現在、だいぶ余裕を持って生きることができるようになったと感じる。だからこそ、今度は私が誰かの自由の役に立てたなら、と思う。それがこのブログを書いている理由でもある。
本ブログが誰かの自由につながったのなら、私はうれしい。
洗脳?
いやちょっと待って、感染ってその人に依存しちゃうことなんじゃ?その人に支配されているよ、洗脳だよそれは。というツッコミができそうです!
洗脳ということの危険性についても、いつか別の記事で書いてみたい。ネットを見ていると信者ビジネスが流行っていますね。その名の通り、まさに宗教的、洗脳的です。
本当に人間って誰かに頼りたくなるものなんだなあ、と思えますね。
感染と洗脳、これを明確に分ける線は引けません。所詮人間の心の話なのですから。しかし、基準は自分自身で作っておいたほうがいい。それが本当に「あなたの人生をよりよくすることに繋がるかどうか」という基準を私は勧めたい。まあ、この判断もとても難しいものではあるのだけれど。冷静になって、誰かの利益のために利用されていないかどうか考え直しましょう。その人が本当にすごい人なら、あなたを支配しようとはしないはずです。
洗脳の専門家、苫米地英人の本を参考に、いつかもっと深く論じたい問題です。(ちなみに、この本は、自分の心を守るためのものです)
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