記事の内容
それが、「今昔百鬼拾遺 河童」。
・京極作品らしい、妖怪、民俗学などのウンチクが満載
・怪異に絡めた事件が魅力的
・あのキャラクターたちが再登場!
・閉塞的な村ミステリー
などなど、ファンにはうれしい要素が満載です。
今回の記事では、見所やネタバレをまとめていきます。
あらすじ
「今昔百鬼拾遺 河童」
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「そうですね。その河童が――誰かと云うことです」
「河童が誰かって、中禅寺さんあんた」
小山田は顔を顰めた。
昭和29年、夏。
複雑に蛇行する夷隅川水系に、次々と奇妙な水死体が浮かんだ。
3体目発見の報せを受けた科学雑誌「稀譚月報」の記者・中禅寺敦子は、薔薇十字探偵社の益田が調査中の模造宝石事件との関連を探るべく現地に向かった。
第一発見者の女学生・呉美由紀、妖怪研究家・多々良勝五郎らと共に怪事件の謎に迫るが――。
山奥を流れる、美しく澄んだ川で巻き起こった惨劇と悲劇の真相とは。
百鬼夜行シリーズ待望の長編!
登場人物
前作、「今昔百鬼拾遺 鬼」と同じく、中禅寺敦子、呉美由紀が中心になって話が進む。前作を読んでいなくても、ストーリー上は問題ない。(前作の解説は次の記事へどうぞ)
その他にも、探偵見習いでおなじみの益田も登場。
なんといっても嬉しいのが、妖怪研究家・多々良勝五郎!!
多々良先生が、相変わらずの妖怪好きで暴走してくれる。彼が登場するということは、おなじみの妖怪ウンチクがたくさん出てくる。
今回扱う妖怪テーマは、タイトルの通り「河童」だ。河童という妖怪についての考察が進むとともに、今回発生した連続水死体事件とリンクしていく。
このリンクこそが、京極堂シリーズの醍醐味だろう。ファンはワクワクしながら読んでいるはずだ。これらを読むと、あのシリーズが帰ってきたんだ、としみじみと思えるはずだ。
「今昔百鬼拾遺」って何??
『今昔百鬼拾遺』(こんじゃくひゃっきしゅうい)は、1781年(安永10年)に刊行された鳥山石燕の妖怪画集。雲・霧・雨の上中下3巻構成。
あの鳥山石燕の画集。シリーズでも、何度も作中に名前が出ている。
京極先生は、この石燕の作品をモチーフにしているのだろう。
今昔百鬼拾遺シリーズが、「鬼・河童・天狗」の3冊なのもそのせいなのかもしれない。
ネタバレ 犯人は誰だったのか?
とある宝石が物語のポイントになる。
戦後のドサクサにまぎれ、その宝石を盗もうと計画した男たちがいた。
今回の事件はその数年後に起こることになる。
川で水死体となって、発見された男たちの正体こそ、宝石泥棒グループたちだったのだ。
では、なぜ彼らは死んだのか?
ここに、この事件のもう一つの因縁が絡む。
ある山奥の村が関係する。その村には、泉があり、何かを祀った祠もあった。この村の存在が本作のテーマである「河童」と絡む。
その村に住んでいたある家族の父親が、宝石泥棒グループの一員だったのだ。その男は、グループの一員であった別の男に犯行時に刺されてしまう。なんとか、彼は致命傷を負いながらも村まで帰り、そこで息絶えるのだった。
彼が息絶えた場所こそ、泉の底のくぼみだった。
時が経ち、彼の息子も大きくなった。彼は父親の死体を泉の底で発見する。父親の死の真相を確かめるために、犯行グループに近づいた。
その結果、その犯行グループの仲間たちは、宝石の隠し場所が泉の底だと思い込み、泉の中に宝石を探しに飛び込む。
泉の底で、彼らが見たものは、屍蝋となったあの男の死体だった。それに驚き、皆泉のくぼみの天井に頭をぶつけ、溺れてしまったのだった。
今回の事件に犯人はいなかったのだ。真相は、事故と言える。息子も、明確な殺意があって誘導したわけではない。
犯人は河童だった。今回のテーマである河童が、屍蝋と化した男の死体のことだったのだ。
悲しい結末
残された息子は、どう思うのかというのもこの物語の悲しいところだ。
彼は、父親のことを家族よりも、大義を優先した男だと思っていた。それに、犯行グループの男たちも、ただ宝石に目がくらんだ男たちだと思っていた。
しかし、泉の底にある父親の死体は、母親の骨を抱えていた。ここから、父親の隠れた思いに息子も気づくことになる。
ここでもまた、呉美由希が活躍する。まるで、榎木津のような言い切りだ。
「どんな顔してたって心の中までは判らないですよ。私、どんな場面でも割と平気な顔してるって謂われますけど、心の中は全然平気じゃないですよ。他人の気持ちなんか、 然 う簡単に判るもんじゃないんです。そんなの勝手に決め付けてるだけじゃないですか」
河童についてのウンチクたっぷり
本作のテーマは河童だ。京極作品ではおなじみだが、河童そのものについての探求が、事件の謎をなぞるようになっている。
河童の地域による違い、別名、河童という概念ができた歴史。
尻子玉が好きな理由。
猿、龍神との関係。
などなど、めくるめく河童談義だ。これぞ京極作品の醍醐味だろう。
そして、今作には、多々良先生がいる。ものすごい熱でいろいろ教えてくれる。
「つまりですね、過去まで書き替えられてしまうんです! いいですか、文化のようなものは、忘れられることで殺されるんです。誰かが記憶してるか記録するかしないと、死んでしまうんですッ」
彼のこの言葉で、今回の記事を閉めるとしましょう。
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まとめ
ファンでも、そうじゃない人もかなり楽しめる本です。是非読んでみてください。