テーマは、愛?
今回は、映画「ペット 檻の中の乙女」の感想・解釈・解説です。ネタバレがありますのでご注意を。
実は、単なる監禁サスペンスではない今作。
なぜなら、テーマは「愛」だからです。その分、ひねってあるストーリーが面白い。
この記事では、一筋ではいかない「愛」というものをこの映画がどう描いたのかに迫ります。
記事を読み終えると、また新たな愛の形を目の当たりにすることでしょう。ぜひ、映画も見てみてください。
あらすじ
動物保護センターで働く青年セス。バスで偶然同級生だったホリーを発見し、声をかけるが彼女はセスを全く覚えておらず邪険にされてしまう。悔しい思いをしたセスはSNSで彼女のことを調べ上げ、バイト先を突きとめ執拗に彼女に取り入ろうとするが、逆に馬鹿にされる始末。思いつめたセスはホリーの家に侵入し待ちぶせ、帰宅した彼女を拉致し、自分の働く動物保護センター地下の檻の中に監禁。状況把握もできないまま監禁されたホリーは下着1枚の姿で、ペットさながら飼育されることに。飼い主気分を堪能していたセスだったが…。filmarksより。
ネタバレ
「君のためだ」「君を救いたい」というセス。この時点では、明らかに監禁された女の子かわいそう、、、でした。
しかし、徐々に明らかになっていくホリーの本性。実は、彼女は殺人鬼だったのです。殺人をしないと気が済まない性分というやつなのでしょうか。ここがこの映画のどんでん返しの部分になります。
その事実に気がついたセスが、殺人をやめさせるために彼女を監禁したのです。この行為にはやや歪んではいるものの、セスの愛が見て取れます。
愛の形
監禁された殺人鬼ホリー、そしてセス。両者ともに、普通ではない、と言える。そんな二人の関係がどうなっていくのか、それが見所になっていくのだろう。
セスの愛情から動き出したストーリー。そして、異常な人格者ホリーにとっての愛の形が表れてくる。この二人の関係がどうなっていくのか。
流れとしては、ホリーがセスの愛情を受け入れていくように見えた。
殺人をすることを止めることができないホリー。殺人という行為は、彼女にとってどんな埋め合わせだったのだろう。彼女には、何らかの穴があり、それをどうにかして埋めようとしていた。そこには、癒しと依存の絶妙なバランス関係が見えていた。
「あなたには私のことなんてわからない」と最初のうちは、セスに言っていたホリー。しかし、長い時間をすごすうちに、セスなら私の穴を埋めてくれるかもしれない、と感じ始めたのかもしれない。
そして、彼女は愛の形をセスに求める。その異常な要求に、セスも答えた。
だから、彼女はセスから愛を感じたのだと思う。最終的に、セスという存在のおかげで彼女は殺人を抑えることができるようになる。異常な形と異常な形が噛み合った。セスの本願=愛もかなったことになる。
人それぞれの愛
本当に愛というのは人それぞれなのだと感じる。この映画はそれを示したかったのだろうか。
自分一人では生きていけないこと、誰かを求めてしまう欲求、これらは愛と関係が深い。自分に欠けている何かを、誰かで埋める。その相互作用が成り立つということも、愛の一つなのだ。
そして、その欠けの正体、何ならそれを埋めることができるのか、これらはとても個人的なものだ。だからこそ、人の数だけ愛の形がある。
一つ言えるのは、決まりきった愛などないのだから、自分にも、他人にも愛というものを押し付けないほうがいい。愛と自由のバランスを考えたい。
この映画で描かれる愛は、とんでもなく異常だ。だからこそ、映画としておもしろかった。
愛の証拠
この映画では、愛の証拠を形あるものとして暗示する。それが象徴として表れているのが、「檻」だろう。檻という空間が、二人にとって重要な役割を果たすことになる。
そして、「PET」というタイトルが意味するものとは?ここにも、何かを何かで埋め合わせるための所有という意図が感じられる。「相手を自分のものにする」というこの映画の結論が示されている。
類似映画おすすめ
似たような映画として、こちらの記事があります。