人生の映画
みなさんは「トゥルーマン・ショー」という映画を観て、どんな感想を持ったでしょうか?
もちろん名作映画と言われるように、様々なことを考えさせてくれる映画です。一部では、怖い映画、トラウマ映画とも言われています。
しかし、扱うテーマはあなたの人生に関わるもので、とても深い。
この記事では、この映画の構造と深遠なる問いの関係を考えてみたいと思います。
記事を読み終えると、より一層この映画を楽しめるはずです。
あらすじ
離島・シーヘブンで、保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」が口癖の明るい青年である。彼は生まれてから1度も島から出たことがなかった。それは、父と一緒に海でボートを漕いでいたときに「嵐が来るぞ」という父の警告を無視して船を進め、嵐を回避できず海に投げ出された父親を亡くしたことで、水恐怖症を患ってしまったためであった。
ある日、彼がいつものように新聞を買ったあと、雑踏の中ひとりのホームレスの老人とすれ違う。それは幼い頃、海に沈み亡くなったはずの父親だった。しかしその直後、老人は瞬く間に何者かに連れ去られてしまう。彼はこの出来事をきっかけに、自分の周囲を不審に感じ始める。
「会えない時のために。こんにちは、こんばんは、おやすみ」
こんなセリフが口癖の主人公。見ている私たちにとっても、とても印象的なセリフになっていく。演じるジム・キャリーの笑顔も強烈なインパクトを残す。
自分の生活のどこかがおかしい。
主人公は、徐々に気づき始めてしまう...
もしも自分の人生がショーだったら
もしも自分の人生が仕組まれたものだったなら。誰かが作った脚本の世界だったら。
この事実に、徐々に気がついていくトゥルーマン。彼の心情を考えると、とても恐ろしい。この映画をトラウマ映画に上げる人の気持ちもよく分かる。
映画の登場人物たる彼が、主催者たるゲームマスターに反旗を翻す。この構図は、創造主たる神に人類が物申すことに似ている。これは、あらゆる宗教で繰り返し描かれてきた図式だろう。このメタ的な構造・主題を、この映画は、エンターテイメントとして観せてくれる。
こうした宗教的でもあり、自分の実存に関わる大きなテーマをトゥルーマンの視点、主催者の視点、観客の視点にわたり考えてみたい。
彼の視点
メタ的な主題に、登場人物たるトゥルーマンは気づいてしまう。その自覚過程が、コメディとサスペンスが融合したなんとも言えない怖さを与える。
すべてを知った上で、彼は選択を迫られる。このまま脚本の世界で生きていくのか、それとも、外の世界に飛び出すのか。究極の選択だと思う。
最後の選択をした時の彼の心情は、なかなか想像できるものではない。あの状況での彼の立ち振る舞い。彼もやはり、特異な存在なのだと感じてしまった。
主催者の視点
主催者であるテレビ番組「トュルーマンショー」のプロデューサーのクリストフ。彼は、トュルーマンの一生を最初からデザインし、自分の思いどおりのショーを作り上げようとする。最後の最後まで、自分のショーを完成させるために、トュルーマンを説き伏せようと試みる。ずっと見守ってきたプロデューサーは、本当にトゥルーマンの身を案じていたのだと思う。子を見守る親のようにだって見える。
そんな彼の口から出る言葉は、まるで社会という檻に囚われている私たちに向けられる言葉のようだ。「外の世界に出ることが、本当にいいことなのか?」この問いは、私たちにこそとても刺さる。
そんな彼の注意を受けた、トュルーマンの返答が素晴らしい。この映画の名シーンだと思う。自分のこれまでの人生が幻想という絶望、その先に見えかけている希望、この狭間という極限状態において彼が発したメッセージはとても意外なものだった。
そして、その意外性がトゥルーマンを一層魅力的にし、この映画の幕を引き立てる。
私たちの視点
トゥルーマンが置かれたこの状況。私たち自身も、これまでの人生が誰かによって作られたものなのでは、という感覚を持たされる。そこで気になるのは、この大転換がどれほど怖いものなのか、ということだ。なぜそれほど怖く感じるのだろう。
自分の人生という実存、これを人類はずっと考えてきた。あらゆる宗教、芸術、学問、文化に表れている。それほど人間にとって避けられない問いなのだろう。だからこそ、このテーマに切り込む作品や学問は、とても面白いと感じる。
まとめ
・自分の人生が誰かによって作られたものなら?という問い
・主人公、主催者、観客、私たちという4つの視点
・いくつかの視点が交差し合うメタ的な構造
これらのテーマを感じることで、よりこの映画を楽しめるかもしれません。何回見ても楽しめる良い映画です。ぜひ、見てみて見てください。