あらすじ
アメリカ国民の誰しもが愛する家族と幸せなひとときを過ごす感謝祭の日、幼い少女が消えた。平穏な田舎町に突如訪れた惨劇。手がかりは少なく、警察(ジェイク・ギレンホール)の捜査は錯綜する。そんな中、父親(ヒュー・ジャックマン)は、証拠不十分で釈放された第一容疑者(ポール・ダノ)の証言から犯人を確信する。残された時間は少ない。「パパはどうして助けに来てくれないの?」愛する娘の叫びを心に聞いた父は、自力で我が子を助け出すため、決して超えてはいけない一線を超える決断をするのだが・・・。 filmarksより
感じたテーマ
信仰心と神
無意識
情動と規律
洗脳
価値観と縛り
何に囚われているのか 信仰心と無意識
人間にとって、「信仰」という概念はどんな意味を持つのか。宗教に疎い日本人はこれを自分とは関係の薄いことだと思っている。改めて、信仰ってなんだと考え直す機会も少ない。
はたして、信仰という現象はある一部の文化圏だけに限定されるものなのだろうか。
実際はそうではない。
人の心のはたらきとして、「信じる」というのはごく当たり前で根底的なものだ。
信じるという行為は情報を共有し、意思疎通をはかる場面では欠かせない。人は社会性をもつ。その社会性という概念の部品の一つが信仰現象だろう。
そして、往々にして信仰とは自分が気づかないうちにしてしまっているものだ。人がいつのまにか常識を身につけてしまうように。
これまた、無意識の領域である。そして人の大部分は無意識の部分に根付いている。
人を変えるとはどういうことか
信仰するという行為、あなたは何を信仰するのか。
これをこの映画は強引に変化させる。
キリスト教に詳しいともっと楽しめるのかもしれない。
特殊だったのは、犯人の目的、動機。
人の本質を浮き彫りにするような根源的問いがそこにはあった。
「人という個体が何によって、どのように変化してしまうのか」
これはまさに、心のはたらきが何によって、どう変化するのかというinteractionがテーマといえる。
この映画そのものも、観る私たちを変える力は大きい。
この意味でどこかメタ的なテーマを感じた。
価値観をぶっ壊してくれるほどの改変力を持つ映画は、毒にも薬にもなる。
そこまで強い改変力をこの映画に求めるのはおかしいのかもしれないが。
filmarksやってます