タイトルのよさ
" the shape of water "
このタイトルが沁みてくる、ほんとうに。
OPからいいし、ラストの詩まで...
どうして、"水" の "かたち" なのだろう。
正常よりも異常を
正常とは、平均のことである。それならば、平均とはなんだろうか。平均とは計算の結果でしかない。実体はなく、幻想であるといっていい。つまり、平均という「言葉」があるだけである。言葉に還元できない部分に、個性があり、私がある。だから、普通という場所に、"あなた" はない。
そして、注意したいことがある。
正常ではなく、異常こそがあたりまえだということだ。なぜなら、あなたも私も、平均値に還元できない個性を持っているからだ。あなたも私も異常、これが当たり前である。
しかし人は、自分のアイデンティティを守るために平均にすがろうとする。私はまともなんだ、という保証が得たいがために「正常」に拘る。そして、異常を排斥しようとする。その例として、差別やいじめがあるのだろう。この映画でも、いろいろなところに差別が転がっていた。
けれど、それにすがるしかないのだろうか?
いや、違う。
あなたにも、私にも決まった形などない。「水」のように自由なのだ。
澄んだ水のような綺麗さ。
この綺麗さを誰でも知っていたはずだ、持っていたはずだ。
取り戻せないことはない、と思う。
あなたは、この映画を見て共感できているのだから。
性から逃げない、性をとらえる
この姿勢こそが、ある種の人の本質に迫るために必要だと思う。人という生き物のどうしようもなさ、つまり、言葉以外の「動物的」領域。これらを無視しない表現に、私はとても共感できた。
言葉以前の領域。
そこには、良いも悪いもなく、概念すらない。
言葉という檻から自由になり、自分、他人という境界からも離れる。そこにあるのが、性だったり、愛だったりするのだろう。
それが、<変性意識>の領域である。
これを表現するために、形のない「液体」がしっくりくる。水の中で抱きあう2人の姿、観ている我々観客もフュージョンしてくるよう。
変性意識状態の例として、フュージョンセックスなどの経験がある人もいると思う。自我、他者が溶け合い、時間を超越する感覚。その「感じ」大事にできているだろうか。
液体的イメージの連続。
そこでは、水の冷たさと柔らかさを感じる。
とても素直だ。
言葉を忘れて、もとの「世界」の可能性にただただ癒された。
最高の友情
ゼルダ!!!!
ゼルダって最高の友人ですね。友人の性を理解し、応援する。
イライザが交わったことを報告するシーン。そしてゼルダの反応。とても良いシーンでした。
魚人役の方、ペイルマンとかシルバーサーファーもやってたんですね〜
変性意識についてはこちら
この映画にて描かれる液体的イメージ。そこに、私はとても惹きつけられました。とてもトランス的な一体感を得られた映像でした。
そこで、トランスという概念が気になる。
興味のある方は、以下のリンクの一読をお勧めします。
変性意識状態(へんせいいしきじょうたい、英: altered state of consciousness, ASC)とは、日常的な意識状態以外の意識状態のことである。
filmarksやってます
映画好きな方は、ぜひこちらをどうぞ。
似たような無意識、トランスを描く作品としては、以下がオススメです。
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