記事の内容
今回は、『確率思考』という本を紹介します。
「私たちの人生における意思決定、それは全て賭けなんですよ」
この事実を実感、納得するのがこの本の目的になっています。
それでは、なぜこうした思考の転換にメリットがあるのでしょうか?
それは、次のようなテーマを深掘りすることで納得できるはずです。
なぜ、意思決定の全ては賭けといえるのか?
不確実性とは何か?
意思決定とその結果の関係の本質とは?
この現実を見ていきましょう。
本書の考え方が身につけば、次のような思考は消え去るはずです。
「くそ!あの時の判断は間違ってた!自分のばかやろう」
この思考のままでは、不確実性に満ちたこの世界でより良い意思決定に近づくことは困難になります。
それでは、本書からいくつかのトピックを拾ってみます。目次をご覧ください。
- 記事の内容
- 結果が悪いのは意思決定が悪かったから?
- 「分からない」から始めよう
- 「間違い」を定義しなおし、「正しい」の快感を捨てる
- すべての意思決定は賭け しかし、主観が邪魔をする
- 結果から学ぶときも賭け
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結果が悪いのは意思決定が悪かったから?
人は結果が悪ければ、その原因である意思決定が悪かったのだと思ってしまう。結果から原因をさぐる時に生じる認知バイアスの一種だ。
しかし、意思決定の質と結果の質は、必ずしも対応するわけではない。そこには、運という要素が大きく影響するからだ。
私たちの脳は、全てが予想可能だと思いこむようにデザインされてきた。その方が生存に有利だったからだ。混沌から秩序を作り出す必要があった。
脳の仕組みの話なのだから、認知バイアスから逃れることは不可能だ。錯視を起こさないように、視覚を変化させることはできないのと同じだ。
現実では、自分の意思決定と運がそれぞれどのくらい結果に影響したのか見極めなければならない。私たちの生活の質は、意思決定の質と運の総和である。
「分からない」から始めよう
確信を持った意思決定は、逆に、隠れた情報や運の影響を見逃してしまう恐れがある。自分がなにを知らないのか理解することから始める。
不確実性を受け入れることで優れた意思決定者になれる理由は数多くあるが、ここではそのうち二つを挙げておく。まず、「わからない」はこの世界を正確に表現した言葉である。次に、一つめとも関連するが、確信できないことを受け入れれば極端な思考に陥る可能性が低くなる。
「間違い」を定義しなおし、「正しい」の快感を捨てる
成功と失敗の白黒で判断してはいけない。
別の結果がもたらされる可能性を前もって考慮し、それに基づいて決定を下せば、良くない結果が出ても間違っていたことにはならない。起こる可能性のあったことの一つが起こっただけだ。
起こる可能性のあったことの一つが起こっただけ!!
「間違い」という言葉のイメージは、ひどくマイナスな印象を与えてしまう。このイメージを書き換える必要がある。
だからこそ、一度の結果の良し悪しにこだわることは意味がない。
白と黒の間のグレーに、色調の目盛りをつける。
「間違い」を定義し直せば、結果が悪くて感じるあらゆる苦痛から解放される。だが同時に、「正しい」も再定義しなければならない。結果が悪かったからといって自分が間違っていたわけではないということは、結果が良かったからといって自分が正しかったわけでもないということだ。私たちはこういった考えの転換を感情的に受け入れることはできるのだろうか?
正しいことの快感も捨てるべきなのだ!
実際には、人間の脳にとってはとても難しい。
すべての意思決定は賭け しかし、主観が邪魔をする
普段の生活の中で毎日行う意思決定は、実は賭けである。意思決定には必ずリスクがあるからだ。
意思決定という賭けの目的は、未来の自分が手にするリターン(お金、時間、幸福、健康など、その状況で自分にとって価値のあるもの)を、他のどの選択肢で得られる分より大きくすることである。
こうした賭けの精度を上げるためには、客観的な情報を利用すればいい。しかし、人間の認知の仕組みのせいで、それはとんでもなく不可能に近い。なぜなら、私たちの脳は得た情報をまずは真実として認識するからだ。これも、進化の過程では、得た情報をそのまま信じた方が生存に繋がりやすかったからだと考えられている。そしてさらに、一度形成された信念はなかなか覆らない。誤報が真実として広まってしまう理由だ。
一度作った誤った信念により認知していくことで、その誤りが増幅していく可能性もある。
そして、賢いからと言ってこのバイアスから自由になれるわけではない。
つまり、数学的処理が得意な人は、自分の主観を裏づけるために数字を解釈するのがうまかったのである。 残念だが、これは進化によって確立されたものだ。真実の追求を目指しても、私たちは主観を守るようにつくられている。頭がよく、人が合理的でないことをわかっているだけでは、偏った推論からは逃げ切れない。
この主観の仕組みに対抗するために、著者はまた目盛り化をすすめている。100%正しいと思っているかどうかではなく、60%正しいなとど数字で表現するのだ。
情報を得たときに自分の考えを逆転させるのではなく、それを利用して主観に自信度の目盛りをつけることができれば、物知りで学歴が高く賢い人が優れた意見を持つという定説も嘘にはならないだろう。
これも、白黒で正しいかどうかを見るのではなく、そう判断する過程そのものをチェックする。
結果から学ぶときも賭け
結果の原因をスキルか運かに分類する。しかし、この分類にもリスクがある。賭けなのだ!!
この分類ミスには、自己奉仕バイアスというものがある。良い結果は自分のおかげで、悪い結果は運のせいだと認識してしまうのだ。これも、自己肯定したいという根源的な欲求のせいだ。
逆に、他者に対しては反対の判断をしてしまう。他人がうまくいっているのは運のおかげだ、と。
こうした本能に基づく習慣を変えるしかない。
過ちを認めることで気分を悪くするのではなく、むしろ責任逃れをしたことで学習機会を逸したと後悔するようにしたらどうだろう。あるいは、良い結果の余韻に浸るだけで、フィル・アイビーのように改善点を探らないのは悪いことだと考えてみてはどうだろう。
とくに、つぎの変化がとても重要だと思う。この習慣は、ぜひとも獲得したい。
自分は他の人よりも進んで他者の能力や自分の間違いを認め、自分を貶めて他人の評価を上げるかもしれない場合でもなおいっそうオープンな思考で結果の原因を探ることができるのだと。こう考えることで、ほとんどの人がしていない困難なことに挑戦する自分は優れていると感じられる。他とは違う存在になれるのである。
「賭け思考」について、さらに興味を持った方は、ぜひ本書や類似書へ進んでみてほしい。
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