ここがすごい
- 脳がなぜ「心」を必要としたのかがわかる
- 「私」についての常識をぶっ壊せる 私は受動的!?
- ロボット研究者から意識へ、さらに幸福学へと歩みを進める著者前野隆司の存在
私の謎を追ううちに、幸福な生き方へとつながる。この流れがすごいですよね!!
記事を読み終えると、意識の謎という大テーマへの入り口に立てるはずです。さらに、幸せな生き方にも通じます。
- ここがすごい
- なぜ私がこの本に出会ったのか
- 心の6つのはたらき
- <私>と「私」と「自分」の関係
- 無意識の処理を担う小人たち
- 意識の3つの謎
- 考え方を変えろ!!!
- 「私」は受動的 新しいパラダイム
- 式、関数
- 意識の3つの謎をとく
- やっぱりクオリアの謎は...
- クオリアについてはこちら
- 著者 前野隆司のメッセージ
なぜ私がこの本に出会ったのか
著者の前野隆司は、意識の謎を解明していくうちにとても幸せになれたそうです。
これ、私にはとても共感できます!!!!
私自身、たくさん悩んだあげく、心理学、脳科学、哲学などの分野の知識を吸収しまくりました。その結果、「心の性質」についての知識と実感を手に入れることになります。おかげで確かに生きやすくなれた。そして、「人の心のはたらき」というものに、より興味を持つことになったのです。
そんな中、出会ったのがこの「脳はなぜ心を作ったのか」という本。この本の大まかな内容をまとめてみます。
脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)
- 作者: 前野隆司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/11/12
- メディア: 文庫
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こちらの動画でも、詳しく紹介されています。
心の6つのはたらき
この本での心のはたらきの定義はこちら
- 「知」 知性、知力
- 「情」 感情
- 「意」 意図や意思決定
- 記憶と学習
- 「意識」 注意と自己意識
- 無意識
<私>と「私」と「自分」の関係
- 「自分」身体、脳、個体としてのハードウェアのこと
- 「私」とは「意識」のこと
- <私> 自己意識の感覚 <私>を振り返って、ああ、<私>だ、と感じる、再帰的な意識の状態のこと
著者の前野は、<私>と「私」を切り離せると仮定し、子供の頃から様々な哲学的問題に囚われていた、と言います。けれど、私には切り離せている状態というものをなかなかイメージできません。
なぜ<私>がここにできたのか、なぜここにあるのか。
確かにこの疑問ならば納得できます。
しかし、この疑問と、<私>と「私」を切り離すことができる、ということを結びつけてイメージできないです。
無意識の処理を担う小人たち
「小人」=ニューラルネットワーク
しかし、小人というと、それぞれが意識を持っているようみえますが、そうではありません。
それなら、最初からミンスキーの「心の社会」のように、エージェントなどという言葉を使った方が誤解を与えないのではないでしょうか。けれど、エージェントなどという新しい概念を持ち出す方が、話をすすめづらいのかもしれません。
意識の3つの謎
2について
たくさんの小人達のやることに注意を払い、観測し、これらを結びつけて理解する「意識」と言う巨大なシステムが分からない。
3について
クオリアとは、私の感覚という質感である。
物体である脳からどのようにしてクオリアが生まれるのかは世界中でまだ誰も理解していない、と言われている。
考え方を変えろ!!!
著者は謎をとくために、空間的、時間的常識を見直す必要がある、といいます。
「内と外、中心とまわり」
「タイミングや、原因と結果」
確かに、これらは、重要な概念だ、と感じます。
「私」は受動的 新しいパラダイム
「自分」の「身体」は「物体」だが、「自分」の「生命」は「現象」なのです。
順モデルを使って運動イメージすることと、実際に運動をすることは、小人たちから見ると同じような体験でしかない
目で見るのではなく、脳を見ている「私」
私たちは「赤いリンゴ」という情報をみている
考える=「無意識」の小人たちの自律分散計算
意図を意識することが錯覚
脳は空間だけでなく、時間もひずませる
時間の流れとともにあるように思える「意識」がだまされている
川の下流にいる「私」
全てを知っている万能な「私」を仮定するより、結果だけをみて自分がやったと錯覚している、おめでたい「私」がいる
式、関数
ここで語られる<私>の"はたらき"とは、まるで、式や関数の一種に見える。式、関数という概念についても深掘りしたら面白いだろう。
しき〖式〗 シキ ショク・のり
1.一定のかた。やり方。てほん。作法。のっとる。「形式・法式・礼式・古式・旧式・新式・本式・略式」 2.《名・造》一定の作法の伴う行事。「式をあげる」
式という言葉を聞くと、陰陽師が浮かぶ。ある決まりを「式」として使役するのだ。京極夏彦の作品にて、説明がされていたように思う。
気になったので、京極作品を引っ張り出してみました。やはり、分厚い。「式」についてまとめてみました。
関数について、苫米地英人は、「自我とは部分関数である」と言っていたように思います。
意識の3つの謎をとく
川人 脳の計算理論
「意識とは無意識下で生じている非常に膨大かつ 並列的に行われている計算を、非常に単純化されたウソの直列計算(脳の他の部位のモデル)で近似すること」
前野氏の答え
「意識」はエピソード記憶のためにある
「<私>というクオリアは<私>である」、という決まりが脳の中に定義された結果作り出されたクオリアにすぎない
クオリア3つの謎
なぜクオリアが生じたのか
どのように表現されているのか
どのやうにしてクオリアを感じているのか
解答
1 エピソード記憶を色付けするため
2 表現の仕方そのものは謎ではない
3 錯覚の決まりが書かれているせいで起こる幻想
やっぱりクオリアの謎は...
クオリアの必要性、なぜクオリアができたのか、それは説明できているようにみえます。しかし、クオリアがどのように起こっているのか、構造的な仕組みはわからないままではないでしょうか。そして、それこそがクオリアが圧倒的に不思議に感じる点ではないでしょうか。
著者は、クオリアをともなう心を作ることができる、と言います。
クオリアについてはこちら
めちゃめちゃ不思議です。
著者 前野隆司のメッセージ
「知能の物語」の中島秀之も指摘しているように、本書は哲学書の部類になるのかもしれません。「知能の物語」についてはこちらをどうぞ。
著者はエピローグにて、「<私>は死なない」として、生き方指南のようなメッセージを残します。思想家としての考えの一面をのぞかせるわけです。
<私>のネットワークは残るのだから、安心できる、という。
しかし、入れ物というか式である<私>を、誰でも持っていることは納得できたが、なぜそれで自分自身が安心できるのだろうか。その説明は足りないように思えました。
著者は、この本の後に色々と本を書いています。そこで、この点について説明があるのかもしれません。
個人的には、ずっと仏教哲学に似ているな、と感じていました。心や、世界について、仏教哲学でも、より詳しい考察と指南が提供されています。「空」を始め、そちらの方が理論が緻密なのではないでしょうか。
またまた勉強したいことが山のようにできてしまいました。
<追記>
著者と仏教界の対談本が出ました!かなり刺激的で面白い。