科学か、非科学か
「原発の安全基準の数字は?絶対安全なの?」
「そのワクチンって、絶対効果あるの?」
私たちは、これらの答えを科学に求める。
しかし、そんな科学は、はっきりとした答えを返してくれるのか?
さらに世の中には、「科学っぽいけど、なんか怪しいもの」が溢れている。商品や人の発言など、SNSのおかげで、ますます増えているのではないか。
そんな中で私たちは、科学とどう付き合っていけばいいのか。そのヒントを、「科学と非科学の間」という本からもらってみよう。
科学と非科学の間 その正体を探る
著者 中屋敷均について
分子生物学者。著書は、「ウイルスは生きている」など。
生命とは何か、気になる人は次のインタビュー記事が参考になると思う。
今回の本は、生命学者ならではの視点が多かった。生命を専門とする学者から見て、「科学とは一体なんなのか」「科学とは何でないのか」が、まとめられている。
「科学は生きている」という著者の言葉にもあるように、科学という歴史を生命に見立てている視点も勉強になった。ただ、またてるだけでなく、その内容の分析も鋭い。ぜひ読んで見てほしい。
科学が持つ2つの顔
科学には二つの側面があるという。
・社会に「信託」を下す装置としての科学
・この世の法則や真理を追究する科学
そして、重要なのは、科学という営みは何を前提にしているのか、だ。
「この世界は同じことをすれば、同じ結果が返ってくるようにできている、という仮定」だ。
しかし、現実には、同じ条件を2度と作ることはできない!!!!
たとえば、創薬を考えよう。本当にその薬が効くかどうかを調べるために、実験では条件に制限をしている。しかし、現実には無限の組み合わせがある。調べきることができない。
社会が関わる科学ではほとんどがそうだ。実際の無限の可能性を調べている時間はない。
だから、絶対に正しい、100パーセント正しいと、科学は言えないのだ。
現実的な問題に対しては、イエス/ノーで答えられないのが科学なのだ。
確率で答えるしかない。
真理、法則を求める科学と、元来100%の正しさなどあり得ないことを前提とした科学。
この2つの側面が社会ではごちゃごちゃになっているのが問題だ、と著者は指摘する。
特に、社会との関わりの中で大きなテーマになったのが原発だろう。「安全基準の数値」これも、「安全か安全でないか」の2択には原理的にならない。
科学という方法そのものへの批判を、しっかりと議論しているのが科学哲学という分野だ。どのように科学を考えていけばいいのかのヒントがたくさんある。次の記事を見て欲しい。
科学と非科学はどう分けるのか?
科学の歴史は、未知の領域の中から新しい真実が生まれ続けるというもの。
今後も、どんどん新しいことが見つかり、正しいと思われていたものが否定される。つまり、科学だと思っていた対象が、突然、非科学のレッテルを貼られることがある。その逆もそうだ。
それならば、科学と似非科学の線引きはどうすればいいのか?
著者はこういう。
科学的であるかどうかは、
対象、内容ではなく、人間の姿勢によるのだ!
科学的な研究態度、非科学的な研究態度は、これなら分けられる。
そして、科学的な態度とは、修正による発展のことだ。
しかし、これは、ある対象について、科学と非科学の線引きなど簡単ではないことを意味する...
科学は生きている
科学の発展のさまは、生命の適者生存に似ている。たくさんの仮説が否定され、良さそうなものは長く残っていく。またそんな仮説すらも、いつ否定されるかわからない。
これらのことは、科学の説のどれも「不動の真理」ではないことを論理的に導く。科学的であればあるほど、100%正しいことなどないのだ。あるのは、どれくらい確からしいのかということだけだ。
権威主義は、生きている科学、つまり、科学の発展の可能性を殺してしまう。科学全体の信頼をも殺してしまう可能性がある。
「科学こそが、最も新しく、最も攻撃的で、最も教条的な宗教制度」という、ファイヤアーベントの言葉にも、著者は触れている。
著者自身が印象に残っている言葉としてあげているのが次だ。とても重要な見方だと思う。
「科学的真理とは、その時つける最善の嘘である。」
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まとめ
全体的にエッセイ調でとても読みやすい。専門である生命論的な視点も新しい。
また、著者の科学者としての姿勢と、生の人間としての姿勢との間の、葛藤のようなものも見える。その間を照らす、「人間の意志」というものに可能性を感じている様は印象的だった。
この「人間の意志」という論点は、かなりきわどい。オカルトやスピリチュアルに分類されることが普通だ。しかし、科学の先端というものは、著者が言うように非科学と接近するところにある。今後の科学に期待したい。