好きをブチ抜く

「好き」をブチ抜く

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答えを求めたがる人たち、答えを言いたがる人たち

記事の問いと内容

 

・メディア、SNSには「言い切った答え」が溢れている

・答えに飛びつく人たちの心理

・答えを断定し、人を動かしたがる人たちの心理

・「断定できるような答え」なんて、原理的に存在するのか?

 

こんな現状を観察できる。しかし、これはどこか「不自由」に見えてしまう。

 

この不自由さの本質はなんだろうか。

今回は、こんなテーマで深掘りしてみたい。

 

もっと、自由に考えることにこの記事が役に立てば、と思う。

 

 

 

 

 

 

明確で、はっきりとした答えなんてない

 

私たちが住んでいる世界は、本当に複雑で多様だ。だから、絶対的で明確な答えなんてそうそうない。

 

科学という分野でなら、明快な答えがありそうな気がする。しかし、シンプルな解が得られるのは、数学など、自然科学の一部の分野だけだ。

 

多くの科学は、性質上イエス・ノーで答えることはできない。ある理論が、いつ覆されるかもわからない。断定しない慎重さこそ科学だ。明快な答えを用意して、そこで終わりにすることはなかなかできない。

 

次の記事で詳しく、科学的な態度について考えている。

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とくに、人が答えを求めるのは自分の個人的な悩み事だ。これら心の領域は、まさに科学では扱えない分野である。

 

心の有り様も、まさに複雑怪奇だ。

 

しかし、「あなたのその悩みを解決するには、〇〇をすればいいよ。」などの言葉が、メディア、SNS上で溢れてはいないだろうか?

 

問題を解決するには、因果関係を特定する必要がある。しかし、心の領域で、そんなシンプルな因果関係を特定することはほとんど不可能だ。

 

それを踏まえれば、あふれている意見が、いかに根拠がないものかすぐに分かることだろう。

 

次の記事では、人の人格・性格に、はっきりとしたものを求めることのおかしさを考えている。やはり、人の心というものをシンプルに言い切ることは不自由であり、負の効果をもたらすこともある。

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言い切って欲しい人々

 

毎日、占いを気にする人。

インフルエンサーの断定的な物言いを気にする人。

悩み事をSNSで垂れ流し、都合のいい答えだけを求める人。

 

いろいろな人がいる。

 

それでは、なぜ人は答えを求めるのか?

答えがわからない、理由がわからないという状況そのものに、人は不安・不幸を感じる生き物だからだろう。

 

先が見えないこと、原因が見えないことを嫌うのは主に大脳のせいだ。大脳は説明しないと気が済まない。

 

これは、自分では考えたくないという性質にもつながってしまう。答えが得られるなら、思考停止したほうが楽な場合があるからだ。

 

だから、断定的な、言い切った答えに人は安心してしまう。ああ、もう考えなくていいのか、と感じてしまうのだろうか。

 

しかし、それら答えは、さきほど述べたように根拠が薄い。

つまり、一時的な穴埋め、不安の埋め合わせになるだけだ。だから、また悩みや不安はやってくる。

 

そして、また都合のいい答えを求める。

 

このループを繰り返していて、果たして本当に不安・不幸から抜け出すことができるのだろうか?

永遠に都合のいい答えを求め続けるのだろうか。

 

 

 

 

 

アドバイスしたがる人たち

社会をみてみると、アドバイスをしたがる人たちが溢れている。

 

彼らの心理を分析してみる。

 

彼らも、自分の存在意義を求めているのだとおもう。

アドバイスすることで、他人を支配したいのだ。自分自身の穴を埋めるために、他人をコントロールする。自分を肯定するために、他人を使う。承認欲求にも関わるからこそ、根深いテーマだ。

 

しかし、本来、自分の心の穴というものは、他人では決して埋まらないと思う。だから、この肯定の仕方も、一時的・錯覚的なものにならざるえない。

 

元ナンパ師で、心理カウンセラーの高石宏輔の次の言葉は参考になる。

 

人を褒めたり、アドバイスをしたりすることはその人の人生を左右してしまう。だから、それをしても責任が負えるくらいの集中力を持てているというときに、躊躇しながらもやっとして良いかどうかというところ。SNSではそういうやりとりが遠慮なく行われる。

 

彼の次の本がおすすめだ。

 

 

もう一つは、「お金儲けの論理」だと思う。

 

多くの人を動かせば動かすほど、金を儲けることができるからだ。この場合は、逆にシンプルかもしれない。「お金儲けの論理」が背景には見えるからだ。

 

アドバイス、答えを求めている人々にとっては、シンプルな答えが商品になる。その商品を売るために、「成功するには、〜するべき」という言葉で人を煽る。

 

この煽りがSNS上では飛び交っているように見える。だからこそ、明快な答えがほんとうにあるのか...と思えてしまうのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

考え続けて進むことそのものが幸福だ

 

明確な答えがないならば、どうすればいいのか?

 

考え続けて生きることだと思う。それを続けることで、その考え続けている状況そのものが、幸せにつながってくると思う。「言い切り」「断定」を否定する分、抽象的な方法になってしまう。

 

しかし、その抽象の中身こそ個人で埋めていくしかない。人は皆違うのだから。

 

こうした、抽象性の重要さについては次の方がおすすめである。

 

 

 

 

また次の動画では、禅僧である南直哉が「考え続けること」を進めている。そして、仏教とはそのためにいい道具になる、と。仏教こそ、幸せになるための歴史ある実践知だと思う。


宮崎哲弥が禅僧に問うpart1 「私」ってなんなの?

 

 

 

だからこそ、答えのない問題を考えるための方法が必要になる。その方法こそ、本来のリベラルアーツ教育の目的だったはずだ。

 

私自身、「教養」は考えるための最高の道具だと思う。それに、以下のように定義したい。

「教養とは、私がわかることだ」

 

次の記事に詳しく書いている。

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「考える」と「悩む」は違う

 

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悩む=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるふり」をすること

 

考える=「答えが出る」という前提をもとに、建設的に考えを組み立てること

 

とても大事な視点だと思う。

 

これを、日々の生活で実践して感じていくことは、適当な答えで安心するよりもずっと、あなたのためになるだろう。

 

 

 

 

 

現時点での最適解を探す

 

完璧で絶対的な答えはない。だからこそ、考えて今の答えを出し続ける必要がある。

 

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 正解ではなく、「今の最善解」を導き出すのがディベート

 

ディベート思考とは、客観を経て、主観で判断する方法。