論理的であるためには?
こんにちわ、メタです
論理的に意見を言うにはどうすればいいのだろうか。論破力で有名なひろゆき氏から、ヒントをもらいたい。
さらに、論理的であることから、「自己観察・生き方」まで広げて考えたい。これは、そもそも一人の人間の中でつながっていることなのだから、あたりまえなことだと思う。「自分の感情がわからない」という人にとっても、もちろんヒントになると思う。論理と感情という大きな、抽象的なテーマを考えるのにもつながる。
彼の意見の概要はこうです。
・論理的であるには、自分が何でそう思ったのかを正直に感じること
感じてみると、判断に感情が混ざっていたことを自覚できる。自覚したならば、感情的な部分を取り除く。後には、論理しか残らない。
・別に相手を納得させるためには、論理的でなくてもいい
相手を納得させるという目的がある。それならば、相手がわかる言葉、例で話すことが、論理的であることよりも大事だ。
彼の名言として有名な「あなたの感想ですよね」にも通じる。これらヒントを元にやや広げてみよう。
こちらの本も気になる。
無敵の思考 ――誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21
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自己観察の難しさ
なぜ自分はそう言いたいのか、これを自覚することが大事だ。
確かに、そうだと思う。しかし、これってけっこう難しい。言い直せば、慣れが必要なことだと思う。
ふつうは、自分の判断の根拠は、自分の意識からは隠れている。言葉で意見の根拠付けを行うことはとても難しい。たとえば、誰かのことが嫌いな時に、その理由を言葉で説明はしにくい。
自分の感情だけを取り除く。これも、自分の感情の動きをよく観察できる人でなければかなり難しい。自分の心の中で、感情とそれ以外を分ける線なんて引くことができるのだろうか?
当たり前のことだが、完璧な線を引くことなんてできない。それならば、完璧な論理だってありえない。そもそも「完璧な論理」ってなんだろう?
あくまでも暫定的な論理を目指せばいい。そのために、「これは自分の感情っぽいな」というものをどんどん外していく。これを繰り返して、自己観察に慣れていくしかない。
ひろゆき氏は、自己観察がうまいように見える。彼だけではなくて、きちんとした意見を言える人間というものは、自分の思考をよく内省する訓練ができているのだろう。
正直に感じるということ
テーマを論理から離してみよう。
自分自身を正直に感じるということは、とても大事だと私は思う。そのために、自分と向きあう時間が足りない人が多いのではないだろうか?
自分の感情を感じられなくて悩んでいる人もいる。
自分が見つからないと悩む人もいる。
これは、好きなことをする、自分に素直になる、といったことから自分を認めるという幸福感まで、自分の人生にとって重要なテーマだ。
自分を感じること、自分の感情を感じること、これらを生きづらさや身体知の観点からも考察している人もいる。AV監督の二村ヒトシや、カウンセラーの高石宏輔の本にヒントがあった。それこそ、自分の人生を通して考えたいテーマだ。
なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂)
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これら本についても、いつかまとめたい。
本ブログが誰かの自由につながったのならうれしい。