チューリングを受け継ぐ 論理と生命と死 星野力
コンピュータによって計算できることとできないこと。計算とはいったい何かという問いは、「人間は機械なのか」という問いにつながっている。世紀末になってやっとはじまった適応と遺伝による生命の計算にもチューリングの貢献は大きなものがあった。彼のはじめた問いと受け継がれなかった問いを手がかりにしながら、生命と死を考える。
今回は、チューリングについて考察する本を紹介したい。
AIが流行っている現在、コンピュータサイエンスの基礎となる理論を提唱したのがチューリングである。
・思考するとは?
・知能があるとは?
・計算するとは?
これらの問いを一歩深く考えてみたい人におすすめな本。数式もなく、とても読みやすい。それでは、いくつかのトピックをまとめてみる。
人工知能の限界
・明示的な記号と表象によって人間の知識を演繹する表象主義人工知能
・数学的なニューラルネットによる脳のシミュレーション
・生物の進化をたどる人工生命、進化計算
一定の成果はあるが、人間の知能には到達していない。
チューリングマシンは全能ではない
計算できない問題とは、一般に停止性問題と呼ばれるものだ。
大雑把に言うならば、ある計算が停止するかどうかは計算できないというものがあるということだ。
このある計算とは、自己言及的な構造をもつ問題のことだ。(詳しく触れるとむずい)
つまり、記号・ルール化できるのに、原理的にコンピュータで計算できないことがあるのだ。
自己言及と自己改変を征するものが、未来の計算科学を開くだろう。計算爆発や計算限界の制約を逃れ、アナログとデジタルの壁も乗り越え、自己言及・自己改変を積極的に取り込んで、新しい計算のパラダイムを創造することが望まれている。
チューリングの停止性問題、計算論の基礎については次の記事にまとめている。興味がある方は、進んで欲しい。
論理と生命と死
ウィトゲンシュタインは、言語、論理の絶対性を疑う。
矛盾や計算不能といっても、レベルに依存したものに過ぎないのでは?と。
数学上に矛盾が生じても、現実世界に何が起こるのか?と。
一方、チューリングの研究は、常に生命の方を向いていた。自殺を選んだチューリングの意思について、著者は「論理と生命と死」という観点から興味を持っているよう。
まとめ
・計算可能限界が、表面からは見えないところからITの可能性を限定してあるのでは
・脳を分解しても心は分からない。細胞の興奮信号などの意味ありげな結果から、心や知能があると判断するならば、チューリングテストをやっているのと変わらない。
この指摘はとても重要だと思う。脳を分解していったところで、いつまでたってもそこに「知能」「心」の本体があるわけではないのだ。それならば、なぜ我々人間は、人間に対して知能があるように見える、心があるように見えるのか。
人工知能がわれわれと同じような知能を持てるのかどうか判定するだけでも、深い問題が生じる。その営みは、私たちの心はいったい何なのかを自覚させる。脳科学に答えを求めようとしても、心を脳だけでは現状説明できないのだ。現状の神経科学とは違ったパラダイムが必要になると思う。それまでは、哲学的な知恵、論理をベースに慎重に議論していくべきだろう。
この本の著者は、チューリングをベースに「生命と計算」について論を深めていきたいと語っている。その思索がこの本である。より詳しくは、ぜひ本書に進んでほしい。
おすすめ記事・本
映画というストーリーによって、チューリングに少しでも触れたい方にはこの映画がおすすめ。
今気になっているのが次の本。
ゲーデル、チューリングなどの認知、思考を形式化する成果と、ウィトゲンシュタインのような言語と論理の哲学を紹介していくれる。それも全て、「認知科学」という新しいパラダイムの文脈を示すためである。
個人的に気になっていた人物が、ゲーデル、チューリング、ウィトゲンシュタインだった。そんな彼らを繋げる本なんて最高!!
ゲーデルについては、次の記事でまとめている。「不完全性定理」気になりません??
本格的に計算論、人工知能の基礎を知りたい方には、次の本がおすすめだ。内容は数学であり、根気を入れて読む必要がある。