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機械は意識を持てるか?意識の謎はどこまでわかるか? 『脳の意識 機械の意識』

記事の内容

 

電気回路の塊に過ぎない脳に、なぜ「私」が生じるのか?

 

私たちも、物体にすぎない。なのに、感情や痛みを感じる。同じ物体である机には意識はない。私たちと机の違いはなんだろう?

 

この意識の謎をよくよく感じてみてほしい。その不思議さに、爆発しそうになるに違いない。

 

意識の謎は、現代の科学でもとんでもなく大きな謎だ。

 

なぜならば、わたしたちは、客観と主観とを結びつける科学的原理を一切もたないからだ。そして、著者は、意識の科学は従来の科学をはみ出るとしている。

 

今回は、この謎に正面からとりくむ日本人脳科学者の本を紹介したい。

 

「脳の意識 機械の意識」という本だ。それでは、目次を見てみてほしい。

 

 

 

 

脳の意識 機械の意識 渡辺正峰

 

 

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物質と電気的・化学的反応の集合体にすぎない脳から、なぜ意識は生まれるのか―。多くの哲学者や科学者を悩ませた「意識」という謎。本書は、この不可思議な領域へ、クオリアやニューロンなどの知見を手がかりに迫る。さらには実験成果などを踏まえ、人工意識の可能性に切り込む。現代科学のホットトピックであり続ける意識研究の最前線から、気鋭の脳神経科学者が、人間と機械の関係が変わる未来を描きだす。

 

 

脳の基礎知識、実験科学のしくみなど、とても丁寧な本になっている。

 

意識の謎へのとてもいい入門書だ。

そして、著者独自のアイデアが楽しい。

 

 

 

 

電気回路の塊に過ぎない脳に、なぜ「私」が生じるのか?

 

一つひとつのニューロンの仕組みは分かっている。ニューロン、シナプスなど、その簡単な仕組みを本書はまず解説してくれる。

 

脳という物体としての働きは分かる。そうすると、今こうして本を読んでいるこの「感覚」はどこからくるのか?この感覚こそクオリアだ。圧倒的な不思議さを実感できる。

 

意識と脳の相関関係が分かっても不十分だ。クオリアが発生する謎を解き明かしたことにはならない。

 

客観的に三人称的な記述ができる脳と、主観的な心は交わらない。科学には、主観と客観を交える方法がない。

 

 

 

 

 

科学だからこそ、意識を扱えない

 

・チャーマーズ

すべての情報に意識は宿る

・トノーニ

統合された特殊な情報に意識が宿る

 

従来科学は客観の中で閉じている。だから、従来科学の枠内では意識は解明できない、と著者は断言する。

 

また、現在の脳科学では、「ニューロンの活動によって意識が生まれる」とすら言えないのだ。相関や影響にしか触れることができない。

 

 

 

 

自然則へ

 

・自然則

他の法則からは導くことのできない端的な前提のこと。「この宇宙はそうなっている」としか言えないような事実。万有引力や光速度不変の原理など。

 

そして、科学のためには、検証できることが大事な条件になる。

 

それならば、意識を持つような機械を作ってやればいい。しかし、機械に意識が宿っていることをどう確かめればいいのか?

 

ここが著者のアイデアの面白いところ。

 

・自らの主観を用いた機械の意識のテスト

機械と自らの脳半球をつなぐというのだ。機械側の視野と自身の脳の視野が一つのものとして体験されたなら、機械に意識が宿ったことになる。

 

 

 

 

 

意識の自然則 意識を生じさせるのは何か

 

意識の自然則は、なぜそうなっているのかはわからない。宇宙とはそういうもの、としか言えない。意識の自然則は、宇宙の誕生時から存在していた。

 

情報それだけでは意味を持てない。解釈する側があって初めて意味が生まれる。同様に、ニューロンの発火そのものも意味を持たない。

 

著者は、意識の担い手とは神経アルゴリズムだと考えている。神経処理の手順のことだ。

 

脳は仮想現実システムを持っている。だから、私たちはリアルな夢を見ることができる。このような仮想現実を担える「生成モデル」に注目する。生成過程を調整することで、外界と頭の中のイメージとの誤差を小さくしていく。

 

こうした生成モデルの処理の仕方は、深層学習を知っている人ならイメージしやすいとおもう。本書では、その基本的な説明もきちんとされている。生成モデルのイメージもつかめるはずだ。

 

生成モデルならば、意識の時間遅れなどの現象を適切に説明できるという。

 

この生成モデルこそが意識の担い手である。つまり、意識を生じさせる意識の自然則というわけだ。しかし、やはり生成モデルからなぜこのクオリアが生じるのかという点は説明できない。そういうもの、と捉えるしかない。生成モデルという自然則は、世界にある因果的関係性を取り込んだ時、取り込んだなりの意識体験が生じる、ということを示す。

 

本書は、今後の研究として、脳と機械の意識の統合という話題になっていく。とても刺激的だ。

 

 

 

 

意識はどこまでわかったのだろうか

意識の自然則の客観側は生成モデルである。

これが著者の仮説だ。

 

意識の担い手がアルゴリズムということ。

ここからは、気になったことを考えてみる。

 

アルゴリズムとはなんなのだろう?

 

それは、計算手順だ。では、計算とはなんだろう。

 

ここでいう計算という概念は、数学に基づいており、従来の科学の概念である。こうした従来の科学における「計算概念」により、意識の生成過程が説明できるというわけか。

 

そして、もう一点、「モデル」という概念も気になる。モデルという概念も従来の科学に属している。

 

計算やモデルという意味をよく考えてみると、アルゴリズムも気になってくる。著者の仮説に登場する生成モデルは、現在の情報科学と同じ意味でのアルゴリズムなのだと思う。

 

著者は、自動運転などに使われる内部モデルにも、意識は宿るはずだ、という。ここが引っかかる。本当にそうなのだろうか?生成モデルという理論だけでは、まだピースが足りない可能性もある。その時、「アルゴリズムのようなもの」としか今は言い表せない、新しい概念が必要になるだろうか。この路線ならば、どんどん新しい仮説が生まれていきそうではある。

 

また、意識の自然則に、本当にパーツや部品の視点は必要ないのだろうか?生物のように、有機的な部品のみに意識は宿る、と考える方向性の自然則もありうる。郡司ペギオ幸夫などが浮かぶ。

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クオリアの科学で有名な茂木健一郎ならば、意識を科学するために、従来の科学における「計算」や「モデル」という考え方を否定するだろう。

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くわしくは、ぜひ本書へと進んでみてほしい。

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