ここが凄い
・とにかく雰囲気が怖い
・無意識が誘導されていく過程が怖い
・人間の底が見えていく
・本当のあなたが出てくるかも
・誘導されそう、その先に待っているのは?
「ねえ、あんたの話を聞かせてよ」
この映画のキーパーソン、彼の言葉が聞こえてきます。誘導されてしまいそうではないですか?
ありきたりなホラー映画に飽きた人、極上の心理ホラーを見たい人にオススメの一本。真面目な話をするなら、人間心理の深さと怖さを実感できる映画です。リアリティのある映画なので、ここから色々な考察や学問へと興味が広がるかもしれません。
あらすじを掴むには、以下のサイトがおすすめです。ネタバレにはご注意を。
感想
「ねえ、あんたの話を聞かせてよ」
ものすごく怖い映画。邦画ホラーの中でも、とくに好きな映画。役所広司が、どんどん踏み込んでいくのが怖すぎる。そんな彼の行き着く先は...
・間宮という誘導者
彼は催眠術を使って人の無意識にアクセスする。そして、人の底にある何かを溢れださせる。その手法は間接的で、強制的なものでは決してない。ふつう人は、強いられば反発してしまうものだ。
では、人はどんな時、自ずから動いてしまうのか。
それは、「自分の内側から湧き上がってくる何か」を持っている時だろう。
たとえば、お腹が減ったら何か食べたくなる。そのとき、どうして自分は食べ物を食べたいのか、なんて疑うことはしない。これが自分から動いてしまう、ということだ。とても自然である。
この「自然さ」を間宮はうまく利用する。
人間の心には、本来備わっている性質がある。そして、そこには癖や法則が存在する。それに合致するならば「自然で当たりまえ」な動きになる。だからこそ、彼の手法は、圧倒的に強力なのだ。
・言葉と私、無意識
催眠や無意識、なんとも定義が難しい概念だ。
この概念について、しっかりと考える機会はほとんどないのかもしれない。しかし、これら概念は、人の根本に位置し、「私自身」とは切っても切れない関係にある。それなのに、その意味をつかめていないとは不思議だ。
そもそも、人という存在を「意識」や「無意識」などの「言葉」に切り分けることは、原理的に無理があるのかもしれない。
言葉は、まず分け、その中で同一なものを「言葉」としてまとめる。言葉になった時点で、本来のありのままの自然からは離れてしまう。これは、言葉の構造上しかたのないことではある。
ここで重要なのは、人の心も立派な自然である、ということだ。そして、人の心は、その持ち主とは切り離せない。
つまり、一人称的な ”あなた" や "私” の心こそ、言葉だけでは表せないものなのだ。
・底、ほんとうの私
混沌たる私。
ふつうは常識という檻が、その混沌さをコントロールしようとする。檻とは、社会であり常識である。
そして、私たちは、見かけやパターン化された反応によって、他者をラベル付けしようとする。しかし、際限のない無意識がそれで言うことを聞くはずがない。どこかで必ず爆発する。
人間の底に近づこうとした時、飲み込まれるのは常識、言葉の方なのである。
この映画で<底>にいるのは間宮だ。
「本当のあんたは?」
誘導が始まる。
誘導による無意識への漸近が、あらゆる境界を強引に際立たせる。
悪人と善人、犯罪を犯すものとそうでないもの、これらの差とはいったい何か。その差を簡単に言葉で理由付けしていいのか。
そして、そんな常識なんて都合の良い虚構だと言わんばかりに「死」が起こる。境界が揺さぶられていく。
境界なんて消え去ったときに、本当の私が現れるのかもしれない。
では、タイトルは、何を意味するのか。人にとって「CURE」とは?
人にとっての癒しとは、「ほんとうの私になれること」なのだろうか。
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