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力と交換様式【まとめ・感想】交換から来る力と社会

記事の内容

この記事では、柄谷行人の『力と交換様式』という本を紹介する。

 

内容としては、経済、社会、歴史が融合したジャンルになっている。

 

人類社会の発展に、何が作用しているのかを描くマルクスの『資本論』を反省し発展させるのが本書だ。

 

本書では、社会の形成に交換様式からくる力を重要視している。

 

普遍的な概念に興味がある人には、ピッタリの内容になっている。

 

本記事では、内容のまとめと感想を述べる。

 

それでは、目次をご覧ください。

 

 

 

 

 

上部構造をもたらす力と交換様式

 

 

国家、ネーション、宗教などの社会の上部構造は、以下のような人間同士の交換様式から生じる「力」によってもたらされる。

 

A

互酬 贈与と返礼

 

B

服従と保護 略取と再分配

 

C

商品交換 貨幣と商品

 

D

Aの高次元での回復

 

これが本書の主要な見方だ。

 

そして、上部構造は、下部構造に影響を与える。上部構造は、下部構造に従うだけではない。

 

人類の定住化と共に交換が始まった。共同体と共同体との間に、である。交換様式Aとして始まった。

 

交換様式Aは、共同体を見えない強制力で縛る。贈与と返礼というルールに、社会は無意識的に従うことになる。

 

定住化とともに、遊動的な段階に合った個体性、独立性を失った。 

 

 

 

 

 

「力」とは何だろう?

 

・観念的

・反復的、脅迫的

・向こうからくる

・意識してコントロールできるものではない。望んで来るものではない

 

などと、特徴づけている。

 

自然科学でも、力という概念は重要である。引力や斥力などの、自然本来が持っている物理学的な力だ。

 

一方で、柄谷が言う力は、人間心理の領域に属する力のことだと思う。だから、本書では、資本主義の発展や宗教・神の歴史などの人類社会の変化に、交換様式から来る力を見ている。

 

しかし、人間心理の領域に属する力、というのは沢山ある。本書でいう力は、それら力とどう違うのだろうか?

 

基本的には、人々の間に生じる交換様式から生まれる力、として差別化できる。しかし、「交換様式から生じる」という動的な仕組みを、本書はどこまで正確に描けているだろうか。ざっくりとしか示されていない気がする。

 

たしかに交換様式は、人の心理になんらかの作用を与える。これが、本書でいう力である。人類はその歴史の中で、交換様式によって生じる力から様々な制限を受けた。それが、社会構造や文明の発展に影響を与えた。

 

マルクスの資本論などの一般理解である生産様式ではなく、交換様式に注目し人類の発展を説明するのが本書だ。

 

 

 

 

 

 

交換様式Dとは?

 

交換様式Dとは、BとCが発展したあと、その下で無力化されたAの高次元での回復である。

 

うーむ、だいぶ抽象的。

どういうことだろう。

 

何と何の交換なのか?

 

AとB・Cとの間の交換、のようだ。

 

しかし、本来のAは、B、Cにより、無力化され変形させられている。

よって、一段レベルの違う、本来のものとはやや異なる形でのAと、B・Cの交換ということだろう。

 

「荒野に帰れ」と唱える普遍宗教的な運動と預言者の存在が、歴史上のDの例だ。原遊動性の回帰である。

 

イエスにとって、隣人とは社会的諸関係を超えて見出されるような他者のこと。A、B、Cを越えて人と交わることだ。(あれ、Dって、Aの高次元での回帰じゃないの?という疑問は残る)

 

また、ソクラテスやブッダなどの振る舞いも、D的である。

 

資本主義の発展でいうならば、社会主義への運動こそ、Dである。

 

Dも、無意識的で強迫的な力として社会に到来する。

 

Dは、A、B、Cが経験的に実在するように見えて、単に観念的にみえる。

 

 

 

 

 

 

資本=ネーション=国家

 

その後、近代国家・資本主義の発展、つまり、BとCの拡大とともに、村落共同体Aは解体されていった。しかし、それはある意味で回復された。つまり、資本主義経済の下で、ネーション(想像の共同体)が形成されたからである。とはいえ、それはAの"低次元での回復"にすぎない。その結果として成立したのが、資本=ネーション=国家である。

p389

 

BやCを揚棄することはできない、と著者は言う。揚棄しようとすること自体が、それらを回復させてしまうからだ。

 

BとCはどうすることもできない。だからこそ、戦争や恐慌などの危機が自ずと到来する。

 

しかし、その時にこそ、Aの高次元での回復として、Dが必ず到来する、という。

 

 

 

 

交換様式よりも、さらに基本的な様式はあるか?

 

交換様式からどのように力が生じるのか、より厳密に説明できないか。

そのためには、哲学ではなく、心理学や生物学が必要になるのではないか。

 

これが私の感想だ。

 

だから、交換様式よりもさらに基本的な様式はないのか、と問うてみたい。おそらく、進化生物学にヒントがありそうだ。本書でも、進化生物学に言及する場面がある。しかし、より根本的な方向へと進んではいない。

 

ヒトだけでなく、生物に共通する原理原則がある。例えば、

・生殖

・運良く環境に適したものが生き残り、その形質が子孫に伝わり種に広がっていくという進化論

・生き残るための多様性

 

こうした、生物の基本に、「力」の謎を解くヒントがあるかも知れない。

 

さらに、生物を超えて、自然そのものを対象とすべきか?

物理学における原理原則こそ、交換様式の根っこかもしれない。

 

 

 

 

 

Dの謎

 

交換様式Dにどこまで納得できたのか、私にはまだ難しい。

 

いくつか疑問をまとめる。

 

DはAの回復なのか?それとも、A以前の回復なのか?A以前の暮らしの方が、人類にとってより根っこにある原理と関係している気がするのだが。

 

Dは、A、B、Cと同列にないのではないか?Dのことも「交換様式」の一種だと見ているから、話がややこしくなっている気がする。もう一度問いたい。Dは、何と何の交換なのか?

 

・A以前にあった、人の遊動的な暮らしにおける倫理性や尊厳  

・B、Cによって形成された価値観

 

上記のような価値観と価値観の間の交換のことだろうか?

 

うーむ、交換様式に属す概念というよりも、人の生物的本能への回帰性、などの「動物性」という概念に属すようにみえる。

 

こうなると、「動物性」などの概念は、いろんな哲学で語られているテーマなのだから、より拡散していくかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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