記事の内容
今回の記事では、『現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』という本を紹介します。
現代の世界を分析するには、かなりたくさんの知恵を土台にする必要があります。そのためには、勉強すべきことはとても多い。初心者にとっては、ハードルがかなり高いです。
今回のこの本は、そうした現代思想をとてもよくまとめてくれています。初心者の方も、本質をおさえつつ、知の見取り図が得られるはずです。
この記事では、いくつかのテーマについてまとめてみます。それでは、目次をご覧ください。
- 記事の内容
- 現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章
- ソシュールが開いた言語の世紀
- パースが広げた「記号」
- フロイトが変化させた「主体」論
- 「文化」を分析した構造主義
- 人間とメディアの本質的なかかわり
- 意識の本質と「想像力の時代」
- 求められる知のあり方
- まとめ
- 関連記事
現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章
現在、私たちを取り巻く「知」の数々は、20世紀以降の世界がおかれた4つの状況から発生する。本書ではそれを、ポスト・グーテンベルク状況、ポスト・モダン状況、ポスト・ナショナル状況、ポスト・ヒューマン状況と名づける。そして、そこから浮かび上がってくる「イメージと記号論」「情報とメディアの思想」「ナショナリズムと国家」など、15個のトピックスに切り分け、ソシュール、レヴィ=ストロース、フーコーという巨人たちの思想を読みなおしていく。ありきたりの哲学教科書では学ぶことのできない、現代思想における全ての最重要論点を、一から平明に解く15章の徹底講義。
本書から何点かまとめてみたい。
とくに、「問い」を重要視している。なぜならば、入門者の方がまずするべきことは、根本的な問いを共有することだと思うからだ。この「問い」を自分ごとにすればするほど、思想が生きてくるとおもう。
私が本書を読もうと思ったのは、『新記号論 脳とメディアが出会うとき』という本をもっと深く理解したいからだ。両方とも、著者は石田英敬だ。新記号論の方で掲示されている様々な概念について、本書では説明がされている。
それでは、まとめていこう。
ソシュールが開いた言語の世紀
・私たちの「意味」とげはどこにあるのか?
・どの観点から、この「意味」というものを考えるべきなのか?
言語や記号のコミュニケーションのレベルにある。それは、物質だけの次元でも、精神だけの次元でもない。人間の意味活動とは、記号の活動である。
・「意味」を生み出すものは言語記号だけか?
いや、他にも様々さ意味を持つ記号がある。つまり、言語よりも一般化させて考える必要がある。記号学を提唱した。言語学とは記号学の一部である。
・記号とは何か?
表現形式と表現内容からなる。また、他のものとの相互的な関係があって初めて成り立つ。差異のシステムである。
・ソシュールの記号学は、なぜ20世紀の思想の発展の土台になり得たのか?
記号学は、コミュニケーションあるところに見られる。精神や文字、メディア、文化などその応用範囲は広い。ソシュールによって、言語の世紀が始まったと言われる。
パースが広げた「記号」
・形式を持たない、言語記号でない「記号」についてはどう分析するのか?
この世のあらゆるものは、記号現象だ。人間もそう。私というのは私の思考の連続。人間とは記号を使った推論のプロセスである。これは、生物一般にも拡張できる。これにより、生命の活動や進化を物理的に還元するのではなく、「意味作用のプロセス」として捉えることにもつながる。「生命記号論」といつフレームが注目されている。
・「記号」という観点から見たとき、この宇宙はどう定義できるのか?
すべての存在は、記号解釈のプロセスである。ありとあらゆるものが、記号の連鎖により連なっている。記号解釈のプロセスのことを、パースはセミオーシス(記号過程)と呼んだ。
・記号解釈のプロセスとはどのようなものか?
記号だけではなく、それを解釈する記号があって初めて意味が生まれる。「対象→記号→解釈項」。そして、解釈項自身も、他の記号との関係によって成り立っている。ここには、記号解釈の無限プロセスがある。
対象はつねに記号のプロセスにすでに取り巻かれてしか存在しない。
・記号って、どんな種類があるの?
アイコン
対象の性質が、そのまま記号表現に表れている。類似性の関係。たとえば、似顔絵や写真。
インデックス
対象と記号が事実的、経験的に結びついている。たとえば、雪に残る足跡や、熱っぽい額。
シンボル
約束によって決められているもの。自然言語や数式などがそう。
フロイトが変化させた「主体」論
フロイトと言ったら、無意識という概念は浮かぶと思う。しかし、次のような問いまで把握できているだろうか。
・記号、意味、象徴といったテーマと、「主体」はどのように結びつくのか?
精神的な症状は、語ることによって改善することが発見された。つまり症状とは、意味の問題であり言語でもある。フロイトは、無意識に注目しつつ、主体のモデルを発案した。無意識の領域でこそ、象徴作用が働いている。
フロイトのおかげで、シンボリックな秩序によって構成される意味の主体の解明へと進み始めることができた。
意識だけではなく、象徴的な無意識に私たちは規定されているという「分裂した主体」という概念が新しかった。さまざまなレベルでの主体のモデル化という方向づけとして、20世紀の思想の基礎となった。
「文化」を分析した構造主義
・構造主義の「構造」とはどんな概念か?
全体は、部分の単なる総和ではない。要素は他の要素との関係があって初めて意味を持つ。このような全体とその要素の関係に注目する意味での構造である。
つまり、方法論のこと。
そういった構造として、とくにソシュールから始まる言語モデルが活かされた。
構造主義とは、すべての文化的事象を言語のようなものとして扱って理解しようとする態度であると、まとめることができます。ただし、その場合の「言語」とは、通常、言語学が扱う対象としての「自然言語」にかぎらず、「文化」の「記号」一般のことであり、また、「記号」として成立する文化事象は、数学的抽象性をも含む高度に形式的な論理に従うものであるという認識でもありました。
「文化」とは、自然と対比できるような広い意味のこと。文化とは、人間の意味に溢れたコミュニケーションによって成り立っている色々な現象を指す。
現代はポスト構造主義と呼ばれる。このことの意味をもう少し考えるために、他の本からも学んでおきたい。内田樹の『寝ながら学べる構造主義』から引用する。
・ポスト構造主義とは、どんな状況を示唆する概念なのだろうか?
「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法そのものが、構造主義がもたらした、もっとも重要な「切り口」だからなのです。
構造主義的知見を利用することなしには、構造主義的知見を批判的に省察することができないという出口のない「無限ループ」の中に私たちは封殺されています。この「ループの中に閉じ込められている」というのが「あるイデオロギーが支配的な時代を生きている」ということです。
いまのところ私たちは「構造主義の用語を使わないと、構造主義の成り立ち方を説明することができない」ループの中に封じ込められています。しかし、いずれ構造主義特有の用語(システム、差異、記号、効果……)を使って話すことに「みんなが飽きる」ときがやってきます。それが「構造主義が支配的なイデオロギーだった時代」の終わるときです。
構造主義という切り口の性質と、ポスト構造主義と呼ばれる現状の雰囲気が伝わっただろうか。
人間とメディアの本質的なかかわり
・メディアとはなんだろうか?
物質的に定義されるものではない。メッセージを運ぶための記号が乗っかっている必要がある。
メディアとは、「メッセージ」や「情報」を伝達する「媒介」となるもの、言語の意味作用、あるいはイメージの作用、あるいは情報伝達の支えを行うものという意味です。これが「メディア」という用語の現代的な意味であるといえるでしょう。
・メディアとは、人間にとってどのような働きを持つのか?
マーシャル・マクルーハンのメディア論。
メディアとは身体拡張である。とくに記号活動を行う感覚器官。さらに、脳の延長であるとも言える。
・それならば、メディアは人間、文化にどんな影響を与えるのか?
メディアはメッセージのたんなる伝達手段ではなく、メディアこそ、むしろメッセージの在り方そのものを変化させる、あるいは決定する力を持っているのだ。人間の感覚や経験の存在の仕方そのものを変える可能性をメディアが持っている。
意識の本質と「想像力の時代」
・想像力と意識には、どんな関係があるのか?
意識は、何かについて、常に働き続けている。だからこそ、知覚が成り立つためには、意識が成り立つためには、時間的な条件が前提になる。
〈意識〉は、刻々と新しくなる〈現在〉を中心点として〈流れ〉ています。〈意識〉が〈何か〉を経験するには、ちょっと前に〈現在〉であった何かを〈直近の過去〉において、まだ〈現在〉になる直前の何かを〈直近の未来〉において、ともに捉えていないと〈現在の経験〉はうまく構成されないのです。
この時間の条件がなければ、「ドレミ」という音楽すら認識できない。意識と時間は切り離せない、セットだ。
・想像力が産業に結びついたことによってどんな変化があったか?
想像を消費するようになっていく。人々の意識のあり方が、「消費者」というモードに変わってしまう。
このように「時間的対象」が商品になっていく。時間がパッケージ化され、商品化され、いつでも「再生」できる「記憶」として売られていく。あるいは電話のように、だれもが消費者として「同時」につながって、人々の意識が「同じ現在」の中に、消費の「時間」によって結びつけられていく。
私たちは、文字通り時間を奪われている。そして、想像も似通ったものになっていく。そこでは、誰も想像をしない世界になってしまうのでは、と想定される。イメージ、メディア、想像力の関係を問い直す必要がある。
求められる知のあり方
現代思想と呼ぼれるものの、根本にあるアイデアはどんなものか?
・差異
・文化の恣意性
・自然と文化の区別
・構築性
・複数性
今ここで考えるためには、どんな態度が必要か?
このように「知による世界の総合」を担保していた「知の配置」が崩れた状況をこそ、私たちの「現代思想の知の地平」は指し示していたのです。
現代思想を乗り越え、使いこなすための態度として、著者は次のキーワードを挙げている。
非統合的な総合知
統合することが不可能なことが、現代思想の結果である。それを踏まえた上での、「総合」ということをもっと考えるべきなのだろう。
まとめ
いくつかの「問い」について、共有してもらえたでしょうか。
本書を読むことで、現代を見る目は少しでも変わるはずです。こうした知恵をもとに、さらに深く考えていきたいですね。
関連記事